「部下を守らない課長」「下請けを簡単に切り捨てる部長」上司を覚悟の有無で断罪しても全く意味がない理由
覚悟なき上司レッテルの拡散理由
最近、若い世代の間でよく聞く「上司ガチャ」という言葉。どんな上司に当たるかは運任せで、自分では選べない――そんなもどかしさを端的に表している。しかし、そもそも上司を変える力はほとんどの人にない。だから「当たり・ハズレ」にこだわっても意味はなく、不満を運のせいにしていては自分の成長の機会を逃してしまう。本連載「上司ガチャという虚構」では、上司を「良い・悪い」で単純に裁くのではなく、無駄な労力に振り回されず、自分の成長や適応力に目を向ける視点を探る。変化の激しい職場で、自分の市場価値をどう磨き、キャリアをどう守るか。そのヒントを丁寧にひも解いていく。
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職場で問題が起きると、その矛先は上司に向かいがちだ。
「ピンチのときに部下を守らない課長は覚悟が足りない」
「長年付き合った下請けを簡単に切る部長は冷酷だ」
といった評価がしばしば下される。しかし人が変わっても同じ状況に置かれれば、同じ選択が繰り返されるだけだ。問題の多くは上司個人の“覚悟”ではなく、そうせざるを得ない組織のインセンティブや制約にあるからだ。
物事の原因を個人の資質に求めるのは、最も説明が簡単だからである。「制度や評価体系、権限の所在がこうなっている」と複雑な構造を説明するより、「あの人がダメだ」と断じるほうが手早い。
また、個人批判は感情のはけ口にもなる。理不尽な目に遭うと、人は目に見える「顔」に怒りをぶつけたくなる。しかし特定の個人を責めても、対策は「良い上司を配属する」「研修で意識を変える」といった精神論に終わり、組織構造自体は変わらない。「腹をくくるかどうか」は個人の問題として片付けられるが、
「腹をくくらせない状況」
はそのまま放置されるのだ。
評価体系が生む合理性の罠

悩める上司イメージ。
「部下を守らない課長」が生まれる構造には三つの理由がある。
ひとつめは、上司の責任と裁量のアンバランスだ。多くの中間管理職は、売上や進捗、トラブル防止といった重い責任と説明義務を背負っている。しかし人員の増強や配置転換、業務削減、メンタル不調者への配慮などの決定権は、上層部や人事・法務に握られていることが少なくない。その結果、上司は
「結果は出せ、だが手段は与えられない」
という出口のない状況に置かれる。現場で「もう限界だ」という声が上がっても、上司に納期を延ばす権限はなく、外注を増やす自由もない。結局、現場で取れる選択肢は「誰かに無理をさせて帳尻を合わせる」ことだけになる。守る意思があっても、それを実行する手段が手元にないのである。
ふたつめは、評価体系の偏りだ。評価の指標が「売上・原価・納期」に偏っていると、目に見えにくい「人員の保全」や「育成」は後回しにされる。採点されない仕事は、余裕がなくなれば真っ先に切り捨てられるのが組織の常だ。
「人を守った結果、数字を落とした」と説明するのは難しいが、
「数字を守るために厳しくした」
という理屈は通りやすい。制度が後者を評価する以上、人は合理的に後者を選ぶ。さらに皮肉なのは、本人も「管理職は強くあるべきだ」とその論理を内面化し、構造の問題がいつの間にか性格の問題として書き換えられてしまうことだ。
三つめは、過剰な業務負荷である。管理する領域や人数が増え、会議や報告、トラブル対応に追われると、部下ひとりひとりに向き合うコストが相対的に高くなる。相談に1時間応じれば、その分どこかで自分の穴を埋めなければならない。それが深夜残業でしか解決できないなら、長くは続かない。結局「今は無理だ」と突き放さざるを得なくなり、部下からは「守ってくれない」と映る。しかしこれは心が冷たくなったのではなく、組織が冷たくなっているからだ。坂道に置かれた石が転がるのは、気合いが足りないからではなく、傾斜があるからである。
厚生労働省の「労働安全衛生調査」でも、仕事上の強いストレス要因として「仕事量の多さ・業務の忙しさ」を挙げる人は約6割に上る。管理職層ではその傾向がさらに強く、業務の密度が高まることで時間的・心理的余裕を失いやすいことが示されている。こうした状況では、部下ひとりひとりに個別対応する時間を確保すること自体が難しくなり、守らないのではなく
「守れない」
という判断が合理的に選ばれやすくなる。
切り捨てを合理化する「短期的視野」

経営幹部イメージ(画像:写真AC)
経営幹部クラスになると、取引先との関係も判断材料に入るが、ここでも「短期成果の可視性」が強く影響する。原価の圧縮はすぐに数字に現れるが、取引先との信頼関係や技術の蓄積といった価値は、単年度の損益計算書には反映されない。
また、責任が形式化していることも影響する。「契約上は問題ない」「規程通りだ」という論理は社内で非常に強力だ。一方的な単価引き下げや発注停止は、短期的には「コスト改善」として評価されるが、その反動である品質低下や協力先の離反は半年後や1年後に現れる。
その頃には担当の管理職が異動していることも多く、将来の損失に対する責任は曖昧になる。「今、切ること」がプラス評価になり、未来のリスクが分散されるなら、今日の最適解は切り捨てとなる。
これらの問題を根本的に解決するには、個人の資質ではなく、なぜその行動が選ばれたのか――という誘因に注目する必要がある。
・最終決定者は誰か
・上司が守らなかったのか
・守るための決裁権がそもそもなかったのか
・責任と決定権は一致しているか
・責任だけを現場に押し付け、決定権を上に残していないか
・「守ること」が損になっていないか
守る選択をした人間が損をする仕組みなら、誰がその席に座っても同じ振る舞いをする。人を非難する前に、まず「席の形」を疑うべきである。
善意を生かす制度設計

「冷たい上司」は組織が作る。
人事制度や評価項目は、静かに、しかし確実に人の行動を縛る。組織の中の人々は、使命感や責任感だけでなく、ある種の損得計算によっても動いている。これは冷たい話ではない。計算式さえ変えれば、人の行動も変えられるという希望でもある。
管理職の評価に負荷の適正化や離職の予防を組み込み、短期利益だけでなく、サプライチェーンの途切れるリスクを可視化する。評価期間を複数年に延ばし、関係維持の価値を査定に反映させる。善意に頼るのではなく、
「善意を発揮しても損をしない仕組み」
を作ることこそ、人事や経営の本来の仕事である。
上司を「覚悟が足りない」と片付けるのは簡単だが、それは問題を次の世代に先送りするだけだ。文句を言う若手も、遠くない将来自分ごとになる。変えるべきなのは個々人の心ではなく、それを陰で動かしている
「計算式」
の側かもしれない。人を動かす背景にある仕組みを直すことが、組織を救う最短ルートである。