実は日本語とそっくり?古代エジプトの象形文字に隠された、漢字との意外な共通点

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一見すると、まったく意味不明な絵の集合に見える古代エジプトの象形文字・ヒエログリフ。だがその仕組みをひもとくと、実はアルファベット的でもあり、漢字的でもあることがわかってくる。絵心にあふれ、どこか可愛らしさも感じさせるヒエログリフは、どのようなルールで成り立っているのか。その構造と魅力に迫る。※本稿は、研究者の大城道則、青木真兵、大山祐亮『古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話』(ポプラ社)のうち、大城道則による執筆部分を抜粋・編集したものです。

ピラミッドに描かれた

神秘的なヒエログリフ

 ヒエログリフはラテン語のヒエログリフィカ(聖なる刻印)に由来するものだ。だからヒエログリフという言葉自体は、古代エジプトとは関係がないのだ。

 ただヒエログリフを実際にこの目で見てみると、ピラミッド・テキスト(ピラミッドの壁面に書かれた世界最古の宗教文書とされる)のように、一部のピラミッド内部の壁一面に描かれた、あるいはルクソールのメディネトハブ神殿の壁に深く彫り込まれたラムセス3世の王名(写真11)をはじめとした文字群は確かにそれだけで目を見張るものがあるし、精神的に圧倒される感はある。

同書より転載

 その意味ではヒエログリフは、広く人類にとって「神聖」と言えるものなのかもしれない。

 その一方でヒエログリフは、日本においてしばしば「象形文字」とも呼ばれてきた。

 確かに同時期のメソポタミアを中心に広く使用された楔形文字とは見た目が異なり(楔形文字も最初はウシや家などを描いた象形文字であったが、早い段階で必要に合わせてかなりの省略化・単純化がなされた)、鳥や動物、人間の身体の部分など、視覚的に区別が可能な点が大きな理由であろう(ただし鳥もヘビも種類が色々あるし、フクロウとミミズクの違いなどもあってなかなか難しいのだが)。

絵のようなヒエログリフは

アルファベットに近い

 このように表意文字であるヒエログリフだが、同時に表音文字でもあるのだ。だから現在のアルファベットのごとくヘビは「F」、フクロウは「M」で表されたりもする。実際のイメージとしては、かなりアルファベット的なのだ。

 私などは著書にサインを求められた際には、それを利用して次のように書くのである(写真12)。

同書より転載

 道則(MICHINORI)のM(フクロウ)をもじったものだ。

 これはまだ娘が幼稚園に通っている頃に、先生から宿題的に出されたものであろう自分のサインを一生懸命に作成している横で「パパ」が自分用に創作したものである。そしてそれを今でも愛用している。幼き日の娘の思い出とともに。

 ただ表音文字には注意も必要で、母音は無視されて子音のみが記される。ゆえに古代エジプトのヒエログリフで「美しい」を意味する単語のNFR(翻字表記)を例にとると、たとえば我々が読みやすいように子音の間に故意に母音を挟み込み、ネフェル=NEFERと発音するのだ。

 このことは現代人である我々の都合に合わせた簡易処置にすぎないので、実際に古代エジプト人たちがどのようにヒエログリフを発音していたのかは、現在でも正確にはわかっていないのである。

古代エジプトの同音異義語対策は

漢字の「へん」に似ていた

 また、母音を飛ばして表記すると、ひとつ大きな問題に遭遇してしまう。それは意味は異なるが、同じ文字列・同じ発音の単語が存在することになってしまうということだ。

 たとえば、日本語で「すずき」と発音しても苗字の「鈴木」なのか魚の名前の「スズキ」なのか判別がつかないのと同じだ。あるいは「あめ」と言っても空から降って来る「雨」なのかお菓子の「飴」なのか区別がつかないのである。

 古代エジプト人たちは、この問題を解決するために「決定詞」というものを用いた。つまり同じ発音の単語でもそれが人を表すのであれば、語尾に発音しない人を表す文字を、動物を表すのであれば同じく発音しない動物の文字を置いたのである。

 具体例を挙げてみると、メル=MRという単語には、主に「愛」と「ピラミッド」のふたつの意味があるが、語尾に人間の文字を置くことでそれは「愛」を意味し、ピラミッドの文字を置くことで「ピラミッド」を意味するとわかるのである。

 先の日本語の例で言うと、苗字の「鈴木」の最後に人間の記号を、そして魚の名前の「スズキ」の最後に魚の記号を置くようなものだ。

 少し違うが、日本語の漢字の場合のように木に関する漢字に木へんを使用したり、金属に関する漢字に金へんを用いたりするのにも似ている。時代と地域は違えど、人間は似たような発想をするものだと思う。本当に不思議だ。

絵心溢れるヒエログリフが

古代エジプト文明を作り上げた

 ヒエログリフの魅力のひとつはその写実性にある。

 鳥の種類だけでも30種類ほどあるし、哺乳類も同じく30種類ほどある。そしてトキ(朱鷺)はトキに見えるし、ハゲワシもハゲワシであるとひと目で判別できる。キリンもゾウもカバもひと目見てそれとわかるのである。人間を描く際にも老若男女の区別は明確である。

 古代エジプト人たちは、対象物の特徴を捉えることに長けていた。

 おそらくそれは最初の王が出現し、統一王朝を樹立した紀元前3000年頃よりも数千年前から、サハラ砂漠へとつながるナイル河の西方に暮らしていた彼らの祖先たちの一部が岩絵を継続的に描いてきたからなのだと思う。

 サハラ砂漠をトヨタランドクルーザーのような四輪駆動車で回ると、巨大な岩場の陰に数多くの岩絵(写真13)が描かれていることがわかる。

同書より転載

 古代エジプト文明は、そのような岩絵を描いてきた人々の末裔が作りあげたものでもあるのだ。

 絵で視覚的に物事を相手に伝えてきた祖先たちは、環境の変化に伴いナイル河畔に定住するようになり、そこで文化・習慣あるいは言葉の異なる他の民族と交わるなかで、緩やかにナイル世界の住人となっていった。その過程でコミュニケーションツールとしての絵画的記号であるヒエログリフを創作したのである。

 それゆえヒエログリフの創造こそが偉大なる古代エジプト文明誕生の原動力であったと言えるであろう。

 そして同じ文字と言葉を共有するようになった人々は、コミュニケーションを利用した共同作業・相互理解に長けていたことから、ピラミッドや巨大な石造の神殿群を建造することができたのだ。そしてそれはなんと約3000年も続いたのだ。

イシス神殿の壁に残された

最後のヒエログリフ碑文

 最終的にローマ帝国による古代エジプト文化の否定があった紀元後4世紀、異教徒に対する迫害が激しく行われた。一部の例外を除いて多神教世界であったエジプトは、徐々に一神教世界に染められていったのである。

 ヒエログリフ、ヒエラティック(編集部注/古代エジプトの筆記媒体・パピルスに書く時に使う、ヒエログリフを筆記体にしたような神官文字)、デモティック(編集部注/日常生活で使われていた民衆文字)は使用されなくなり、人々に忘れ去られてしまったのである。古代エジプト独自の文字の使用の停止こそが古代エジプト文明の終焉と言えるのかもしれない。

 2025年3月中旬に大城ゼミのメンバーとともにエジプト研修旅行をし全10日ほどの行程中にアスワンのフィラエ島を訪問した。

 そこには大王とも称されるラムセス2世の命によって建造された有名なアブシンベル神殿の移築の際に一緒に移築されたイシス神殿がある。多くの小型船が並ぶ波止場で全員一緒に船に乗り込み、10分ほどかけて景色を見ながら神殿のある小島に向かうのだ。

 あまり知られていないのであるが、神殿の壁には、「最後のヒエログリフ碑文」と呼ばれているものがある。現在知られている限り、これが年代の記された最も新しいヒエログリフ碑文なのだ。

 つまりそれこそが最後に古代エジプト人によって書かれたヒエログリフということになる。そこに彫り込まれた紀元後394年8月24日が古代エジプト文明最後の碑文になるとは、よもや描き手自身も考えていなかったであろう。

『古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話』 (大城道則、青木真兵、大山祐亮、ポプラ社)

 ヒエログリフの語り部であった神官たちとともに古代エジプトの宗教・信仰はその役割を終え、同じくヒエログリフの伝承者であった書記という職業は、ナイル世界にやって来たギリシア人やローマ人の定着によって、形を変えその機能を失っていった。

 古代エジプトらしさは、古代地中海世界のなかに溶け込んでいき、その地において一見するだけで「これは古代エジプト的だ」とは判断ができないものとなったのだ。唯一の例外がヒエログリフであったのかもしれない。

 ヒエログリフの読み手・描き手は失われてしまったが、ヒエログリフの碑文はエジプトのいたる所に残された。たとえ意味がわからなくともヒエログリフが非エジプト的なものと考える人はまずいないであろう。たとえヒエログリフのヘビが「F」、フクロウが「M」で表すことを全然知らなかったとしても。