生まれてきた息子は全盲 「申し訳ない」と思っていた両親が「なんとかなる」と思えるようになった理由とは

生まれつき目が見えない、中学1年生の小山内湊琉(かなる)さん。フィンガードラムやシンセサイザーの演奏が得意で、Instagramでは演奏する姿を投稿して反響を呼んでいます。そんな湊琉さんを、ご両親はどのようにして育ててきたのでしょうか。父の俊さんと母の佳奈さんに、湊琉さんの子育てについて聞きました。※後編<生まれつき全盲の中学生ミュージシャンが、3歳で音楽に目覚め、習得するまでの道のり「リズムを刻むのが大好き!」>に続く
■まさか自分の子が障害を持って生まれてくるなんて
北海道在住、中学1年生の小山内湊琉さん。取材が始まると、湊琉さんは鍵盤やパッドでビートたたきだす「フィンガードラム」を操作し、「こんなふうに音が鳴るんですよ」と実演してくれました。音楽を通じて人と交流するのが楽しくて仕方がない、といった様子です。
父の俊さんは、湊琉さんが生まれたときの心境をこう振り返ります。
「まさか自分の子が障害を持って生まれてくるなんて、という思いはもちろんありました。これから周りの人に受け入れられるのか心配でしたし、本人に対して『(障害を持って生まれてきたことに)申し訳ない』と思うこともありました。実は、視覚障害の認定までも時間がかかったんです。生まれてから目が見えていないことを客観的に証明することは案外難しく、一定期間メガネをかけて、それでも見えないことを確認する、といったプロセスが必要でした。まったく目が見えないと診断されたのは、小学校に入る前くらいだったんです。診断が下りるまでは、すごく長かったですね」(俊さん)
視覚に障害がある場合、一般的には視覚支援学校への進学が検討されます。専門的な歩行訓練や点字の指導を受けるため、遠方の学校へ入寮して学ぶケースも少なくありません。
小山内家から通える範囲には、視覚支援学校がありませんでした。遠方の支援学校は車で片道1時間半。「入寮することがもっとも現実的な選択肢だった」と俊さんは振り返りますが、どうしても離れて暮らすことは考えられませんでした。

「私たちが最優先したのは、“家族がともに過ごすこと”でした。私たち夫婦には、職員が住み込んで子どもたちをサポートする児童養護施設で働いていた経験があります。さまざまな事情でそこに暮らす子どもたちと共に過ごして感じたのは、どんな課題や障害があったとしても、まずは、子どもが安心して生きていくための居場所や心の土台といった『家庭機能』を整えることが、人の成長には欠かせないということでした。
専門的な支援も大切ですが、それよりもまずは親子が一緒にいて、安定した生活を送ること。湊琉の子育てでも、そのことを最優先にしようと思ったのです。そこで、地元の小学校の弱視学級に通う道がないかを模索しました。『前例はない』ということは言われたのですが、地域や学校の理解とご尽力があって、受け入れてもらえることになりました。先生方や、周りの保護者の方々には本当に感謝しています」(俊さん)

■人は一人では生きていけないからこそ「感謝」を
学校生活では、“みんなと同じ”にはできない場面も出てきます。例えば体育の授業でバレーボールをする際、湊琉さんだけ支援の先生とキャッチボールをする、といったこともありました。
「周りのみんなは『なんで湊琉だけ参加しないの?』と寂しがるだろうし、僕だけ別のことをやっていていいのかな、と感じた」と湊琉さん。
そんなとき、小学校の先生方はその都度向き合ってくれたそう。
「一方的に何かを決めるのではなく、必ず本人と対話を重ねてくれました。何事も子どもを主体に考えてくださる先生方だったんです。何かを決めるときには、必ず湊琉に『どう思う?』と確認をしてくださって。湊琉の将来のことを考え、音声での入力や読み上げができるタブレットなどを、積極的に授業に取り入れてくれたこともありました。本当に、湊琉は人に恵まれたと思います」(佳奈さん)
そうした環境で、ご両親が何よりも大切に育んできたもの。それは「人に感謝する気持ち」でした。

「小さいときから言い続けてきたのは『人は一人では生きていけないよ』ということ。だから、何かをしてもらったときには『ありがとう』『うれしい』と、言葉にして感謝を伝えようね、と話してきました。
それに、目が見えない湊琉が将来社会で生きていくときには、さまざまな壁にぶつかることもあるかもしれません。そんなときに、素直に周りの人に『助けて』と言えるよう育ってほしいなあと願っています」(佳奈さん)
俊さんは、WHO(世界保健機関)における「障害」の定義が、身体的な特性だけを指すのではなく、その人自身が日常生活で感じている生活上の障壁や生きづらさを重視していることをふまえながら「目が見えないことよりも、おごり高ぶったり、意地悪だったりして、誰にも手を差し伸べてもらえない状態になるほうがよほど『障害』になる。だから、いつも感謝の気持ちを忘れないようにしようね、と伝えています」と語ってくれました。

■親のマインドを変えた「まあいっか」の精神
小学校高学年のころ、湊琉さんのある言葉が、ご両親の心を大きく救いました。ある日、湊琉さんがふと「目が見えている世界ってどんな感じなの?」と尋ねてきたときのことです。
「親としてはいよいよ、自分の障害について悩む時期が来たかと身構えました。でも、『あなたは目が見えないことについて、どう思うの?』と私が聞き返すと、湊琉はこう言ったんです。『目が見えないっていいですよ。物を触ればだいたいのことはわかるし、音楽も上手になれたし』って。その言葉を聞いて、心底ほっとしました。本人がそう思えているなら、親はもう、彼がどう楽しんで生きていくかを応援するだけだなって」(佳奈さん)
父の俊さんは「子育ては、常に100点を取ることができないもの。その経験を積みながら、学ぶことがあった」と語ります。それは、先の不安や心配を一度手放し、「きっとなんとかなる」と余裕を持つこと。そのために大切にしているマインドが「まあいっか」です。

「湊琉には目の病気と関連して、腎臓にも問題があることがわかっています。今後、本格的な治療が必要になるかもしれない。心配しようと思えば、そのための要素はたくさんあるとも言えますが……それでも今は『むしろ、早く不調が見つかってよかったよね。きっと、なんとかなるよ』と捉えているんです。
湊琉の子育てから、親の私たちのほうが学んでいます。何事も深刻に捉えすぎず、『まあいっか』と捉える余裕を持つことで、親も子もポジティブに毎日を過ごしていきたいですね。
私たちには湊琉を含め4人の子どもがいるのですが、実は一番心配していないのが彼なんです。音楽が大好きな彼の姿を見ていると、時間を忘れるほど没頭できるようなものを見つけられた人は、すごく幸せなんじゃないかなと思います」(俊さん)
取材の途中、俊さんがトントンと湊琉さんの肩をたたいて聞きました。
「ねえねえあなた、目が見えないことで心配なことってある?」(俊さん)
「ん? 今のところないね」(湊琉さん)
即答したその姿からは、多くの人に支えられ、愛されながら生きる湊琉さんの自信と、それを温かく見守るご両親のまなざしが垣間見えました。
(取材・文/塚田智恵美、写真/ご両親提供)
○小山内湊琉(おさない・かなる)/2012年、北海道生まれ。生まれつき目が見えない、全盲の中学生。音楽が大好きで、フィンガードラムやシンセサイザーの演奏が得意。2023年からインスタグラムでの投稿を始め、演奏動画を発信。津軽三味線を弾く叔母とのユニット「OITOBA」でライブ活動も行う。
Instagram:@kanaru_chan
YouTube:Blinder_kanaru
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