「妻は桜蔭→慶応医」1浪明治の夫「劣等感」の行方

(写真:トマトさん提供)
1浪して明治大学商学部に合格
今回は、1浪して明治大学商学部に合格したトマトさんにお話を伺いました。
【クリックして写真を見る】浪人が確定し絶妙な気持ちで迎えた高校卒業。浪人時代は朝から晩まで毎日10時間以上の勉強を続けた。
進学校に入ってビリに近い成績からスタートした彼は、挽回するも、大学受験では間に合わずに挫折を経験します。
しかし、ここで経験したことが、今の人生に大きく生きているそうです。
彼が浪人生活で得たものとは何だったのでしょうか。
トマトさんはベッドタウンである、埼玉県の草加市に、サラリーマンの父親と、専業主婦の母親のもと生まれ育ちました。

2歳の頃(写真:トマトさん提供)
小さい頃は「外で遊ぶというよりは家の中にいたいタイプだった」と語ります。
「小太りの小学生で、インドアのタイプでしたね。漫画大好きで、『NARUTO』とか『ONE PIECE』とかジャンプ系の王道の漫画を100周くらいするほど読み込んでいました」
小学校のときには塾に行っていなかったものの、「結構できた」方だったそうです。
公立中学校に進学してからも勉強の成績が良かったトマトさん。生徒会長もやり、「人生的にはピークでした」と語ります。
「小学校のときとは全然変わりました。痩せてソフトテニス部に入って運動して、勉強も埼玉県内では結構できる方でした。高校受験では県内の公立でトップ3に入る大宮高校にギリギリで合格しました。公立高校は内申点が加味されるんですけど、内申点がすごく良かったおかげだと思います」
進学校に入って落ちこぼれる
「人生で一番良かった時期」の中学校時代。しかし、県内有数の進学校に入ってからは最低合格点近くで入ったこともあってか、授業についていくことが大変だったそうです。
「みんなは勉強できるけど僕はできないという感じでした。400人同級生がいて、入学当初はビリ近く、390番くらいからのスタートでした。さすがにこれはまずいと思って頑張って、最終的には中の下くらいまでになれました」
高校でもソフトテニス部に入っていたトマトさん。当時、将来の夢は作家とロックミュージシャンと書いていたそうです。塾には通っていなかったものの、「大学には当然行く」という感覚はありました。
「志望校は決めていませんでしたが、高3になって部活を引退した夏頃から考えだしました。オープンキャンパスに行けとかいろいろ言われて、何個か興味があるところに行っていました。教育学部を受けようかなと思ったので、東京学芸大学の教育学部と筑波大学の人文・文化学群で悩んでいました。私立は早稲田かなという感じです」
筑波大学の人文・文化学群では、高校2年生のときの模試で一度A判定を取ったそうです。しかし、その結果を受けて「いけるわ」と思ったために、勉強のペースが全体的に緩くなってしまったといいます。
結局、その後の模試ではほぼE判定から動かず。現役時のセンター試験では5教科7科目で6割程度に終わり、東京学芸大学の教育学部と、早稲田の文学部・文化構想学部・教育学部、立教大学の文学部を受けたものの、全て落ちてしまいました。
「高校の偏差値が高いから、実力がともなっていないけどプライドが高くなってしまいました。判定が良くなくても、高校受験もずっとE判定だけど受かったという謎の成功体験と、家族も教育一家ではないから誰も止めないまま暴走して安全なところを受けず終わりました。学力が足りなかったんです。基礎がおろそかだったし、模試の判定を軽んじているし、実際の学力がどれくらいなのかというのを自分でも把握できていませんでした。過剰な自信もよくなかったです。全部が悪かった1回目の受験でした」

浪人が確定し絶妙な気持ちで迎えた高校卒業の頃(写真:トマトさん提供)
全落ちで仕方なく浪人
トマトさんに浪人を決断した理由を聞くと「全部落ちたから」と答えてくれました。
「大学に行かないという選択は両親も同級生たちもありませんでした。就職とかは1回も考えたことはなかったです。だから、自動的に駿台に入学しました」
この駿台予備学校での生活が、自信を粉々に打ち砕かれたトマトさんの意識を劇的に変えてくれました。
「基礎を丁寧に教えてくれた先生がいました。高校生のときは難しい参考書からやっていたんですけど、やりやすそうな参考書から入るようになりました。わからないところは素直に中学分野からやり直そう。そう思って勉強のやり方を学び、初めからやり直す1年間でした」
志望校は「1年専念すれば何でもできる」と思ったために京都大学文学部に設定したものの、「序盤から数学の授業全然わからなかった」ことで志望校の変更を検討します。
「現役のときに受けなかった筑波大学の人文・文化学群を考えたのですが、結局どこに行きたいのかが自分でもわからなくなって、北大などを見に行ったりして、一度は全部の大学を考えました。結局受けようと思ったのは東京外国語大学の言語文化学部英語専攻でした」
目標を設定して1年間、朝から晩まで毎日10時間以上の勉強を続けたトマトさん。その甲斐あって、秋になると成績がだんだん伸び始めてきました。
「基礎を全部やり終えた、夏休み終えたあたりくらいに学力の伸びを実感するようになって、どこかは受かるだろうなと思い始めました。外大も模試ではC判定、早稲田もBくらいまではきました」
この年のセンター試験は5教科7科目で8割程度を確保し、センター試験利用入試で出願した明治大学の文学部・商学部、立教大学の文学部、東洋大学の文学部、全てに合格。
早稲田への密かな憧れもあったトマトさんは、この結果を受けて東京外大の外国語学部と早稲田大学の文学部・文化構想学部・教育学部・国際教養学部、学習院大学文学部に出願しました。
しかし、学習院大学は受かったものの、東京外国語大学と早稲田大学は全て落ちてしまい、1浪で明治大学への進学を決めました。
東京外大と早稲田は落ち、1浪で明治大学に進学
こうして1浪で明治大学に進学を決めたトマトさん。文学部に行きたかったものの、商学部に合格したことを周囲から褒められ、将来を考えて商学部に進学することを決めました。トマトさんに浪人して良かったことを聞くと、「勉強の仕方を学べたこと」、頑張れた理由を聞くと、「頑張るしかなかったから」と答えてくれました。
「基礎からやり直すことと反復することの大切さを18歳までわからなかったので、何もわからずにたまたま進学していたら、自分で勉強ができない人間になっていたなと思います。
最近は社会科の教養を学び直したり、資格試験の勉強をしたりしようとも思っているのですが、資格試験もセンターの勉強と同じだなって思うんです。浪人してなかったらできなかったことがたくさんあるので、学力面で浪人して良かったと思うことはとてもあります」

明治大2年生の頃(写真:トマトさん提供)
明治大学に進学してからは学童保育のアルバイトを始め、そこで出会った奥さんと結婚したトマトさん。現在は保育士をしながら2人の子どもを育てています。
桜蔭→慶応医学部→モルガン・スタンレー証券の妻
桜蔭高校から慶応の医学部に入り、モルガン・スタンレー証券に勤務していた妻、くるみさんとYouTubeでトマくるチャンネルを運営しています。
「僕は浪人して傲慢じゃなくなったなと感じます。『自分はなんでもできる!』とか偉そうにしていた部分が高校生のときにあるんですが、失敗したことで必ずしもそうじゃないよなと気づいて優しくなりました。
妻の経歴はすごいので、コンプレックスを感じないのか聞かれますが、違いすぎると、コンプレックスを感じないんですよ。草野球をしている人が、プロ野球選手と比べるような感じです。
確かに浪人を終わってからは、早稲田に落ちたときに、僕は一生『早稲田に落ちた』状態で終わるんだなとショックを覚え、学生時代に学歴コンプレックスを引きずっていたのですが、それが自分を挑戦に導く原動力になりました。
早稲田の下位互換的扱いを受けがちな明治に一浪で入ったからこそ「なにくそ」と暗中模索して努力ができ、今の自分を作った部分もあると思うので、コンプレックスは自分次第で昇華できると信じています。
妻とYouTubeチャンネルを始めたという挑戦も、最初は妻との学歴ネタで伸びたのですが、今は保育士として、また親として学んでいる教育・知育などに関する情報を発信していきたいという思いがあります。
浪人せず、まかり間違って現役で早稲田に受かってなどいたらと思うと、今になって考えると寒気がします。やっぱり明治がNo.1です」
学生時代に抱えたコンプレックスを昇華し、妻と比較されても平気な今の彼の姿は、浪人時代の努力の積み重ねによって作られたのだと思いました。