【コラム】『ぽこ あ ポケモン』が考えさせる「ポケモン世界の人間、滅んだほうがいいんじゃねえの」説
Metacriticで平均88点と高い評価を得ている『ぽこ あ ポケモン』。のんびりとしたスローライフものでありながら、常に目的が提示されているので黙々と労働するゲームとして楽しい。
本作の世界ではなぜか人間がいなくなっており、ポケモンだけが地上にかろうじて生き残っている。これはスピンオフでたまにある「ポケモンだけの世界」なのだが、これが本作において非常に重要な設定になっている。
というのも、人間がいないことによってポケモンの世界をうまく描けているのだ。そう、人間がいないことがむしろメリットなのである。
「ポケモンが人間より下」という構造
そもそも、ポケモンには「昆虫採集の呪い」とでも呼ぶべきものがある。
ポケモンのアイデアは昆虫採集から生まれたと言われており、実際にさまざまなポケモンを集めて戦わせるのが本編シリーズにおける基本的な遊びとなっている。しかし、愛らしいポケモンが増えれば増えるほどこれは問題になる。
虫ならともかく、哺乳類を戦わせるのに抵抗を感じる人は多いだろう。犬や猫のようなポケモン、あるいはタブンネを殴って経験値を得るのは倫理的なのか? とすら思えてくる。
「なぜ人間がポケモンを使役していいのか?」というテーマは本編シリーズでもたまにあるが、結局のところ解決しない問題としてずっとつきまとい続けている。しかしこの問題、実は人間がいなければ容易に解決できるのだ。
『ぽこ あ ポケモン』ではメタモンが主人公である。人型にはなれるが、あくまでポケモンだ。
そして本作ではポケモンを捕まえない。適した環境を作ると勝手にポケモンが湧いてくる。ポケモンたちが仕事をする際も命令するのではなく、お願いするような状況に近い。

もっとも、うちのヒバニーやロコンは常に鉄や金を焼き続けているし、お願いというより無理やり仕事をやらせている雰囲気に近いのだが……。
そう、主人公がポケモンであるならば、あくまで対等に仕事を任せられるのだ。
かつて『パルワールド』が話題になったとき、ポケモンのような生き物に銃を持たせたり、働かせるといった露悪的な部分が注目された。確かにそれは問題なのだが、生き物が自主的にやっていれば問題ないといえるだろう。
何よりポケモンたちが働くこと自体はよいことだ。ゴーリキーが引っ越し屋を手伝うように、人間とポケモンが一緒に社会活動できているのは素晴らしい。
働くこと自体は問題なく、人間とほかの生き物の間に明確な上下関係があるからこそ問題になるのだ。
ポケモン世界の人間は重要だが、消えているほうがよりよい

『ぽこ あ ポケモン』にも人間の遺物がたくさんあり、それが重要な役割を果たしている。
とはいえ、ただ人間を消せば問題が解決するわけではない。
本編シリーズでは人間キャラクターも人気がある。『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』のノボリやクダリは根強い人気があるし、『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』のチリも印象強い人間キャラクターだ。
そして、現実において犬や猫が人間のパートナーであるように、ポケモンと人間の関係性も重要となる。発電所にいるポケモンや、ゴミをあさるポケモンは人間の社会があったうえで存在するものだ。
里山は単なる自然ではなく、人間の手が入っているからこその場所であり、ゆえにさまざまな生き物が集うのと似ている。
ただし、人間がいると上下関係ができてややこしくなるのも事実である。犬や猫のようなペットを家族と認めている人は多いものの、一方で法律ではペットを所有物と判断せざるを得ない実情がある。
人間が動物を飼う行為には、どうしても利己的な態度がつきまとうものである。ゆえに「過去に人間はいたが、いまはいない」という設定はかなり都合がよい。実情は消え去り、ただ関係性だけが残るからだ。
ポケモンの風呂敷が広げられすぎている
株式会社ポケモンは、『ポケモン生態図鑑』を発売したり、理工系・農学系の博士号取得者を求人したりと、ポケモンが生き物として納得できるような調整を図っている。これが続けば、ポケモンと人間の関わりもそのうち整理できるだろう。
しかしながら、ポケモンという生き物を人間が私利私欲のために使っていいのか、という問題は残り続けるし、ポケモン世界にいる人間たちがそれをどう合理化している(どのように正当化している)のか、というのも難しくなってくる。
また、ポケモンは現実世界の動物よりも、それどころか人間よりも圧倒的に賢い。タブンネは他人の精神状態まで確認できるし、フーディンはIQ5000もあるらしい(まるでキッズが考えた設定だ!)。ルカリオは人間の言葉を理解しているそうだ。
そんな生き物を人間が使役する、というのはちょっとありえない。そもそもこの世界では創造神がポケモンだと考えられているわけで、そういったものすら昆虫採集するのはいくらなんでも無理がある。広げた風呂敷が回収しきれない状況に陥っているのだ。
仮にポケモン図鑑の描写が正しいのであれば、人間が発展させた世界ではなく、ポケモンによって発展させてもらっている世界である。まさしく、人間が滅んでも問題ないのではないかと思わされる。
ポケモン世界に必要な歴史や哲学
結局のところ、ポケモンと人間の関係を考えるうえでは、ポケモンがいる世界における独自の歴史や哲学がなければならない。なぜ人類を超越している存在を使役することができているのか? それに理屈がついたあとは、巨人を飼う小人の特殊な心理状態を、現実のわれわれが納得するように描かねばならない。むしろ、ポケモン世界における人間のあり方を考えなければならないのだ。
幸い、答えはいくらでもありえそうだ。もともと野生のポケモンはカオスな存在であり、それを仲間にしたり図鑑で分類することによって、人間の目的を達成するために姿を変えるといった理屈もつくだろう。
あるいは、ポケモンは命令されることによってはじめて意義を持つ存在になるといった考え方もできる(これは奴隷制を肯定しかねないリスキーな論だが)。いずれにせよ、人間がポケモンに何かを与えている特別な存在であることを指し示さねばならない。
逆にいえば、そういった道理がないと人間とポケモンの共生を描きづらいわけである。ゆえに、ややこしい事情を持ち込む人間はいっそ滅んでいたほうがむしろよい。あるいは滅んでいなくとも、かなり遠くに行ってもらっておいたほうがよいのかもしれない。
『ぽこ あ ポケモン』を遊んでいると、ポケモン世界において人間はノイズになるのだなと痛感させられる。