3月11日夜、市役所から「パンとごはんを数千食つくってください」と電話が…福島・南相馬のソウルフード「よつわりパン」が紡ぐ希望と笑顔の物語

レトロなパン袋に入った「よつわりパン」155円。
今から半世紀以上も前、福島県南相馬市の小さなパン屋で生まれた「よつわりパン」。愛らしい見た目のそのパンは、世代を超えて親しまれてきたが、その理由はおいしいから――ただ、それだけではない。
その背景には、東⽇本⼤震災の時、自らも被災しながらパンを焼き続けた人たちの物語があった。
ケーキをイメージして生まれた「よつわりパン」

2010年に同じ町内から現在の店舗に移転。三角屋根のメルヘンな建物が目印。
福島県南相馬市の原町で1951(昭和26)年に創業し、今年で75周年を迎える「原町製パン」。現在は、2代目の佐藤敬一さん・まりさん夫妻が店を切り盛りし、息子の浩一さんが中心となり、パンの製造を行っている。

ケーキをイメージして生まれた「よつわりパン」155円。
看板商品の「よつわりパン」が誕生したのは、今から約65年前。当時はあんぱん、クリームパン、ジャムパンが主流で、ケーキは贅沢品でなかなか買えない時代に、初代が“ケーキのようなパン”を思い描いて生み出したのが「よつわりパン」だ。
「実は、発売当初はフラワーパンという名前だったんです」と佐藤さん。
十字に切り込みを入れたパンにこしあんとホイップクリーム、中央にはシロップ漬けのチェリーが輝く見た目が、花のように見えることからそう名付けた。ところが実際には、“よっつに割れたパン”と見たままの名前で呼ばれることが多く、思い切って「よつわりパン」へと改名することに。
「それから“よつわり”の愛称で親しまれるようになって、あっという間に看板商品になりました。これも、お客さんが付けてくれた名前のおかげですね」(佐藤さん)
そうした誠実な姿勢も信頼を集め、地元の幼稚園、小学校、中学校の給食パンも任されるようになった「原町製パン」は、やがて“原町の顔”へと成長していく。次第に、遠方から車で訪れる人も増え、2010年には広い駐車場を備えた現在の店舗へ移転。その頃、息子の浩一さんも店を継ぐ決意を固め、父から基礎を教わると、独学でパンづくりに向き合う日々が始まった。
そうして、家族一丸となり、創業60周年という節目を迎えようとしていた2011年。東日本大震災が発生する。
「家族も店もかろうじて無事な自分には、やるべきことがある」

フランスパンやデニッシュにも定評がある。
「原町製パン」のある南相馬市は、最大震度6弱の激しい揺れを観測。いつも通り店を開けていた佐藤さんは、津波こそ免れたものの、避難は一刻を争う状況だった。まずは従業員と家族の無事を確認し、店を閉めて、避難所に向かおうとしたその矢先。佐藤さんのもとに南相馬の市役所から一本の電話が入る。
「夜7時過ぎぐらいでしたかね。市役所から“いま店にある給食用の粉と米を使って、パンとごはんをつくってください”と連絡があって。自分たちもまさに避難しようとしていた時だったんですが、何食ぐらい必要かと聞いたら数千食という数字で……。その時に、これはただ事ではないと認識しました」
あらためて状況を確認すると、その時すでに避難所となっていた南相馬市民文化会館には1000人を超える人が身を寄せていた。その中には、双葉や浪江、小高からの避難者も含まれ、津波で家を流された人や、家族とはぐれてしまった人で溢れかえっていて、食べるものもない――そんな状況を聞かされた佐藤さんは、“家族も店もかろうじて無事な自分には、やるべきことがある”と思い直し、店へと引き返した。
「あれだけの大きな地震でしたから、電気も水道も止まっていました。でも、うちには井戸があって地下水をくみ上げることができた。これはもう使命なんだと覚悟を決めて、給食用の工場へ向かいました」

レトロな袋に入った昔ながらのパンが並ぶ。
幸い、工場にあった6トンもの大きな釜が動いたため、佐藤さんはすぐに米を炊き始め、黙々とパンを焼き続けた。そして深夜0時を過ぎた頃、1000食以上の食糧を避難所に届けた。ところが、それでもほんの1食分に過ぎず、空になったトラックに市の備蓄米を積み込み、そのまま工場へ引き返すと、再び米を炊き始めた。
「結局、3月11日は一睡もできませんでした。翌日も朝5時には朝食を届け、その後も昼、夜と食事の時間に合わせて休む間もなく作業が続いて……。気づけば、震災が発生したその日から10日間ほど、釜の前で寝泊まりをしながら、毎日3食分のパンとごはんをつくり、避難所に届けていました」

震災後、一度も休むことなく店に並ぶ「よつわりパン」。
そんな父の姿を見て、息子の浩一さんも店に戻ることを人知れず決意。自らも被災者でありながら、「地元の人たちに愛されているパンを焼き続けることが、地域を元気にする」という親子の思いが重なり、震災からわずか2週間後の3月26日、支援を続けながら店の営業を本格的に再開。その日から「よつわりパン」も復活した。
「営業を再開したものの、南相馬は避難区域だったので人っ子一人いなくて、通るのは自衛隊の車だけ。それでも営業している店は貴重だったので、テレビのテロップで紹介してくれて。その途端、お客さんが一気に押し寄せました。
最初に売れたのは、トンカツやコロッケなど、おなかにたまる惣菜パン。でも、そんな状況のなかでも、よつわりパンを目指して来る人もいてね。私たちにとっても希望になりました」(佐藤さん)
震災で日常が奪われたなかで、“よつわり”は変わらない味の象徴だった。ふわりと甘いそのひと口が、張り詰めた心をそっとほどき、“よつわりに救われた”という声も少なくなかったという。
学校給食にも登場するソウルフードに

「原町製パン」は南相馬市の学校給食でもおなじみの存在。
やがて支援は朝食のみとなったが、パンの原料が底をつくのは時間の問題だった。
「そんな時、郡山にある阿部製粉の社長さんがわざわざ店に来てくれたんです。父の代から60年ほどのお付き合いのある製粉所なんですが、“粉はいくらでも提供します。代金は商売がちゃんと成り立った時に払ってくれればいい”と言ってくれて……。そのおかげで、御用納めの12月28日まで一日も休むことなく、毎朝6時に1000食分のパンを避難所に届けることができました」
その心強いサポートが原動力になり、仮設の小学校・中学校ができた時にも給食を納めることができたと話す佐藤さん。さらに、10月17日に南相馬の学校で授業が再開された際も、これまでと変わらず給食用のパンを焼き続けることができた。

左から、「コーヒーあんよつわり」180円と「よつわりパン」155円。
震災を乗り越えた“よつわり”は、2020年からはソウルフードとして市内の中学校の給食に年に一度登場するようになり、南相馬では知らない人がいないほどの存在に。さらに、甘さを控えた「コーヒーあん」や「うぐいすあん」、土曜限定の「高級よつわり」など、新しい味も加わり、ファン層にも広がりを見せている。
すると、その評判を聞きつけ、「よつわりパン」をつくり始めるパン屋も出現。一時は市内だけでなく浪江や小高にも広がり、その数は7店にまでのぼったという。
「実は、よつわりパンは商標登録をしていて、本来は同じ名前の商品をつくることはできないんです。でも、ある時、仙台でパン屋さんを始めるという、私と同い年の男性から電話をもらったことがあって。学生の頃、うちのよつわりを食べて、おいしくて感動した記憶がずっと残っていると。それで自分の店を持つことができたので、どうしても“よつわり”を出したいという熱い思いを伝えてくれて……。
もともと、“喜んでもらいたい”という思いから生まれたパンですから、いろんなところでつくってもらえるなら、その分、笑顔も広がる。なにより、うちが元祖ということは地元の人がわかってくれているので、“よつわりの名前も使っていいですよ”と伝えました」

「南相馬市18歳巣立ち応援事業」のポスターに起用された佐藤さん夫妻。
「震災の時は、“これでもうおしまいだ”と思いましたが、よつわりパンのおかげで生き残れたのかなと、今になってしみじみ感じます。
南相馬にもスーパーやコンビニが増え、個人経営のパン屋はだいぶ少なくなりましたが、うちは息子ががんばってくれている。ありがたいことに75周年を迎えることができたので、100年続いてくれたら。それが今の願いです」
震災を乗り越え、世代を超えて愛され続ける「よつわりパン」。その原点であるフラワーパンの名にふさわしく、まるで一輪の花のように今日も誰かの心にそっと寄り添い、笑顔を咲かせている。
原町製パン
所在地 福島県南相馬市原町区本陣前3-1-5
電話番号 0244-23-2341
営業時間 9:00~18:30
定休日 日・月曜
Instagram @haramachiseipan