最強産油国・アメリカの独善が破壊した石油秩序

(写真:ロイター/アフロ)
アメリカの「シェール革命」という歴史的転換
20世紀後半、2つの世界大戦を経て石油が「国家の血液」であることが誰の目にも明らかになると、世界の覇権をめぐるゲームの舞台は中東へと移りました。
【イラストを見る】従来掘削方式とシェール革命後の掘削方式の違い
長らくアメリカを中心とする国際石油資本(セブン・シスターズ)が石油市場を支配していましたが、1970年代のオイルショックを経て、石油におけるパワーバランスは完全に中東の産油国(OPEC)へと移りました。
この混乱の中、アメリカは自国の通貨「ドル」の地位を守るため、歴史的な一手を打ちます。サウジアラビア王家に対し軍事的な保護を約束する見返りに、OPECにおける石油取引の決済通貨をすべて米ドルで行うことを確約させたのです。これが「ペトロダラー体制」の始まりです。
世界中の国々は石油を買うためにドルを買わなければならなくなり、ドルは世界の基軸通貨としての地位を不動のものとしました。しかし同時に、それはアメリカの経済と軍事が、中東の不安定な情勢に「人質」に取られることを意味していました。
2000年代に入ると、エネルギー市場の最大の関心事は「ピークオイル(地球の石油生産はやがてピークを迎え、枯渇する)」でした。世界最大の石油消費国でありながら国内生産量が減少し続けていたアメリカにとって、これは国家安全保障上の悪夢でした。
しかし、この悪夢を一夜にして終わらせたのが、「シェール革命」と呼ばれる技術革新です。
「シェール(頁岩)」と呼ばれる非常に硬く緻密な岩石の層に閉じ込められた石油は、例えるなら「硬いスポンジに染み込んだ油」のようなもので、従来の技術では取り出すことが不可能でした。
この不可能を可能に変えたのが、地下深くでドリルを90度曲げて進む「水平掘削」と、超高圧の液体を注入して岩盤にヒビを入れる「水圧破砕法」という2つの技術の組み合わせでした。

左が従来掘削方式、右がシェール革命後の掘削方式(出所)『2時間 de 資源史』
その効果は劇的でした。アメリカの原油生産量は急増し、18年にはついにサウジアラビアとロシアを抜き、世界最大の原油生産国へと返り咲きました。そして20年には、約20年ぶりに石油製品の「純輸出国」へと転換したのです。これは、世界の地政学における転換点でした。
アメリカは、もはや中東の石油に依存する必要がなくなりました。これによりアメリカの外交政策は大きく舵を切り、中東への過剰な関与を減らし、新たな最大のライバルである中国への対策にリソースを振り向ける余裕が生まれました。
ドナルド・トランプ前大統領が、それまでタブーとされてきた「イラン核合意からの離脱」や「在イスラエル大使館のエルサレム移転」を強行できたのも、極論すれば「中東の産油国の顔色を、昔ほど伺う必要がなくなった」という、シェール革命によるエネルギー自立が背景にあるのです。
サウジ・ロシア・アメリカの「新・三極体制」
アメリカという「世界最大の買い手」が、突如「世界最大のライバル売り手」に変貌したことは、旧来の産油国にとって悪夢以外の何物でもありませんでした。
OPECの盟主であるサウジアラビアの実権を握るムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、アメリカのシェール企業を市場から一掃するため、増産による「価格戦争」を仕掛けました。
しかし、サウジアラビア自身も財政難に陥り、戦略を転換。同じく低価格に苦しむロシアのプーチン大統領と手を組み、2016年に「協調減産」を行う歴史的な合意を結びました。これが現代の石油価格を決定づける最強のカルテル「OPECプラス」の誕生です。
これにより世界の石油地政学は、アメリカ(価格の天井を守る力)、サウジアラビア(価格の底を作る力)、ロシア(両者に影響を持つソロプレイヤー)という、三つ巴の「新・三極体制」へと移行しました。
シェール革命によってアメリカは「エネルギー自立」を達成しました。しかし、これで「中東の石油」が重要でなくなったかというと、まったくそんなことはありません。
日本は依然として中東の石油に依存
なぜなら、アメリカは自立しても、アメリカの同盟国である日本、韓国、そしてヨーロッパ諸国は、依然として中東の石油に依存しきっているからです。さらに、世界最大の石油「輸入国」の座はアメリカから中国に取って代わり、中国もまた輸入の大半を中東に頼っています。
中東、特にペルシャ湾岸地域は、現在もアジアとヨーロッパの「生命線」であり続けています。そしてこの生命線には、たった一つの「急所」が存在します。
それが、ペルシャ湾とインド洋(オマーン湾)を繋ぐ、幅わずか数十キロの狭い海峡、「ホルムズ海峡」です。

ホルムズ海峡はイランとオーマンを隔てるごく狭い海峡(出所)『2時間 de 資源史』
世界の石油(海上輸送)の約3分の1、LNG(液化天然ガス)の約4分の1が、この狭い水路を通過しています。もし、このホルムズ海峡が何者かによって「1日」封鎖されたらどうなるでしょうか。
世界の石油供給の3分の1が止まり、原油先物価格は即座に1バレル=200ドル、300ドルへと際限なく跳ね上がり、世界経済は瞬時に破滅的な打撃を受けます。
26年3月16日現在、アメリカがイランの原油輸出の拠点、カーグ島の軍事目標を攻撃したことから、イラン側による報復が激化し、石油輸送の要衝であるホルムズ海峡の封鎖状態が長期化するとの懸念から、アメリカのWTI原油先物価格は1バレル=100ドルの大台を突破してしまいました。
追い詰められたイランの最強カードと「歪な力学」
そして、この「世界経済の首を絞める」ことができる位置に陣取っている国こそが、サウジアラビアの最大の宿敵であり、アメリカが「ならず者国家」と呼ぶ、イラン共和国です。
シーア派の盟主であるイランは、湾岸戦争以来、アメリカを中心とする西側諸国から厳しい経済制裁を受けてきました。特にアメリカが18年に「イラン核合意」から一方的に離脱し、イラン産原油の「全面禁輸」という、事実上の経済戦争を仕掛けて以降、両国の緊張は一触即発の状態が続いています。
現在、アメリカとイスラエルによるイランへの爆撃が連日のように報じられていますが、こうした直接的な軍事衝突において、追い詰められたイランに残された最強の「切り札」が、このホルムズ海峡の「軍事封鎖」なのです。
イランは、機雷、高速艇、対艦ミサイルなどを用いて海峡を封鎖する能力を誇示し続けており、これが西側諸国にとって最大の脅威となっています。現代の原油価格が、中東の地政学リスクと常に連動しているのはこのためです。
・ イランが支援するイエメンの反政府勢力が、サウジアラビアの石油施設をドローンで攻撃した(19年)
・ ホルムズ海峡付近で、謎の勢力が、日本のタンカーを含む複数の石油タンカーを攻撃した(19年)
・ アメリカが、イランの英雄であるソレイマニ司令官をイラクで暗殺した(20年)
「ホルムズ海峡封鎖」のリスクが原油価格を動かす
こうした事件が報じられるたびに、市場は「ホルムズ海峡封鎖」のリスクを瞬時に織り込み、原油の先物価格は急騰します。
シェール革命後、中東におけるアメリカの存在感は低下傾向にあります。しかし、この「世界最大の火薬庫」の安定は、今や当のアメリカ以上に、中国や日本にとっての死活問題となりつつあるのです。
自国はエネルギーの自立を果たして痛手を負いにくくなったアメリカが、イスラエルとともに中東での軍事的な圧力を強める。その結果、イランが「切り札」を切り、ホルムズ海峡が実質封鎖の危機に陥れば、その最大の被害者はアメリカではなく、中東依存から抜け出せない日本や欧州、そして中国などの輸入国となります。
アメリカがいくらシェールオイルを増産しようとも、イランのほぼ一存、あるいは中東での武力衝突という一つのトリガーで、アジアや欧州の経済が根底から揺さぶられ、世界の原油価格が乱高下する。
これこそが、エネルギー自立を果たした超大国と、急所を握る資源国が織りなす、現代の石油市場と地政学の「極めて歪な力学」なのです。