「もうどうにでもなれ」腰痛と思ったら希少がんだった。難病の女性が腫瘍を隠さず「覚悟の写真」を公開した訳
「病気を気にしない人もいるんだ」。 その気づきが、彼女を思いもよらない危機から救い出すことになります。全身にシミや腫瘍が広がる難病「レックリングハウゼン病」を抱える大河内愛美さん。長年、自身の体と向き合うのを避けてきた彼女の転機は、SNSでの発信でした。「どうにでもなれ」と恐怖を捨てて病状を公開したことで、偶然にも見つかった「ある重大な病」。大手術を経て、彼女が「覚悟の写真」をさらけ出すに至った、後悔しない生き方の真意に迫ります。
推しに会いたい執念が、閉ざしていた扉を開けた

大河内愛美
幼いころからの夢を叶えてガラス作家に── 難病「レックリングハウゼン病」と向き合いながら、25歳で希少がんを見つけたきっかけは、意外にも「推し活」だったそうですね。
大河内さん:そうなんです。中学生のころから俳優の大東駿介さんの大ファンで。「いつかガラス作家になって、仕事でお会いする」というのが私の最大の夢でした。 念願の作家になり、思いきって大東さんのSNSに「中学生のころから応援していて、当時から夢だったガラス作家をしています。いつか一緒に仕事をするのが夢です」とコメントしたんです。そうしたら、私の作品に大東さんが「いいね」をくださって!そこから奇跡的にDMのやり取りを少しして、翌年には楽屋へ作品を届けに行けることになりました。
当日は、新しい服を着て、美容院で髪をセットしてもらって出かけました。「ガラス作家になって、会いたい」という夢がかなって、大東さんに私の作品をほめていただいて、本当に夢を見ているみたいな時間でした。
── 夢が叶った瞬間ですね。その経験がどう病気の発信に繋がったのですか?
大河内さん:「発信したら、夢って叶うんだ」と確信したんです。レックリングハウゼン病の症状には個人差はありますが、「カフェオレ斑」というシミや「神経線維腫」という腫瘍が全身にできます。その見た目のせいで、小中学校のころはひどいいじめに遭いました。「気持ち悪い」と言われたことを思い出すと怖くて、病気のことは誰にも話せませんでした。でも、大東さんとのご縁で勇気をもらい、「発信したら、受け入れてくれる人がいるかもしれない」と思えたんです。
2018年、ブログに自分の胸部や背中の写真を投稿しました。何を言われるか怖かったけれど、最後は「もう、どうにでもなれ」という気持ちでした。
誹謗中傷よりも救いになった「意外な反応」
ガラス作品を制作中の様子── 写真を公開してみて、周囲の反応はいかがでしたか。
大河内さん:ひどい言葉を覚悟していたのですが、実際は「そうだったんだ」という驚きが多かったです。なかには「病気より胸の大きさが気になる」なんてコメントもあって(笑)。でも「病気そのものを気にしない人もいるんだ」と、ちょっと救われました。
そのブログがきっかけで患者会の方と繋がることができました。そのころ私は腰痛がひどくて悩んでいたので、その話をしたら「合併症のリスクがあるから検査したほうがいい」とアドバイスをいただいたんです。紹介してもらった病院で検査したところ、希少がんである「MPNST(悪性末梢神経鞘腫瘍)」が見つかりました。腰の痛みは、腫瘍が脊髄を圧迫しているせいだったようです。
もし発信していなければ、手遅れになっていたかもしれません。大東さんは、まさに私の命の恩人です。
背骨にボルト7本も「輝いて生きたい」
── 手術は、背骨を削ってボルトを入れるという壮絶なものだったそうですね。
大河内さん:背骨を固定するためにボルトを7本入れました。1年半もコルセット生活が続き、大好きなガラス制作もできない。でも「今できることを」とライブ配信を始め、ボルトが入っていることもネタにして笑いに変えていました。
── 1年半も!それは大変でしたね。
大河内さん:コルセットが取れても、背骨にボルトが入っているので、ガラス制作は可動域を探りながらおそるおそる再開しました。感電する恐れがあるから、エステなどは受けられません。激しい運動もダメと言われて、通っていたジムは解約しました。
できなくなったこともあるけれど、新たに挑戦したこともあります。ブログで発信するだけでなく、たくさんの人の前に立ってみたいと思って、「Beauty Japan」にエントリーしたんです。
自分の想いをスピーチで伝え、内面の美しさを競うコンテストなので、水着審査はもちろん、外見の審査はありません。でも、私の場合は「自分の見た目こそが表現」です。知り合いのカメラマンに水着の写真を撮影してもらって、スピーチのときにスクリーンに映しました。
── 水着写真を公開するのは、相当な勇気が必要だったのでは。
大河内さん:怖かったですが、どうしても乗り越えたかったんです。
自分にとっては人前で身体を出すことは、とても勇気のいることでした。当日は、肌を見せるドレスを着て「難病があっても、輝いて生きていきたい」という内容のスピーチ、プレゼンをして、グランプリをいただきました。ドレスや水着を着たのは、レックリングハウゼン病患者の私が肌を隠さない勇気を伝えたかったからです。
── 思いきってご自身のことを発信して、世界が変わりましたね。
大河内さん:レックリングハウゼン病は出生時に3000人に1人が発症するという指定難病で、症状に個人差もあります。そのせいで、自分でも病気に気づいていない人が多いんです。見た目の症状で悩んでいても、どの病院へ行ったらいいかわからない人もいるし、私がそうだったように、定期受診をしていない人もたくさんいます。
また、私は年に1回、手術で「プク」と呼ばれる腫瘍を取っています。神経に干渉するから取れないものもあるし、取っても新しいのがどんどんできて大きくなるのでキリがないのですが、少しでも肌をきれいにしたいので。私の発信やビフォー・アフターの写真を見て、誰かが病院へ行くきっかけになったり、同じ悩みを持つ人の励みになれば嬉しいです。
平均寿命が短いからこそ、やってから後悔したい

大河内愛美
「Beauty Japan」に出場しグランプリに── これからやりたいことや、夢はありますか。
大河内さん:小中学校やフリースクール、児童養護施設で自分の経験をお話ししたいし、もっとメディアに出て病気のことを知ってほしいと思っています。いつか、大東さんと対談をしたいという夢もあります。ガラス作品は一点モノで大量生産はできないので、「この人の作品がほしい」と思ってもらえるようにがんばります。
レックリングハウゼン病を持っている人は、平均寿命が健康な人より短いと言われています。私の場合はMPNSTの転移再発リスクも高く、予後不良と言われています。10年後に生きていられるかわかりません。だから、日々悔いなく生きようと思っています。
ただ、恋愛には消極的になってしまいますね。病気のことや肌のことを思うと、なかなか心を開けなくて。この病気は50%の確率で遺伝するので、子どもを持ちたいと思っていいのかわかりません。私は遺伝ではなく孤発性での発症です。恋愛や結婚は相手の人生にも関わることなので、「迷惑をかけたくない」という気持ちになってしまうんですよね…。
でも、自分だけのことなら、やりたいと思うことはなんでもやってみようと思っています。これからも、やらない後悔より、やってから後悔するほうを選びたいですね。
…
「10年後に生きていられるかわかりません」。そう語る大河内さんの言葉は、諦めではなく、今日という日を全力で選び取るための「覚悟」に聞こえます。 誰かにどう思われるかより、自分がどうありたいか。恐怖の先にあったのは、病気さえも自分の表現として輝かせる新しい人生でした。「いつか」ではなく「今」。あなたは、やらない後悔よりも、やって後悔する道を選んでいますか?
取材・文:林優子 写真:大河内愛美