「やる気がない」では片づかない「静かな退職」 今問い直すべき仕事のあり方

「やる気がない」では片づかない「静かな退職」 今問い直すべき仕事のあり方
【3行要約】
・身を粉にして働く「昭和的価値観」と、役割以上の仕事を拒む「静かな退職」。この対立の根底には、現代の資本主義に対する深い諦念が潜んでいます。
・労働社会学者の常見陽平氏は、「静かな退職は日本型雇用の呪縛を解く真っ当な選択」と語り、やる気に頼らずとも回る組織設計の重要性を説きます。
・「言われたことしかやらない」と部下を責める前に、企業は役割の境界線を再定義できているか。人手不足時代の新たな組織のあり方を問い直します。
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ハードワーク志向という逆方向の動き
常見陽平氏(以下、常見):一方で、現場で感じるのは、いわゆるブラック企業と呼ばれるような企業が、一定数支持されてしまっているという現実です。
メディアで批判されたり、ネットで話題になったりするような、営業の厳しさで知られる会社です。初任給は高いけれど営業が厳しい、といった企業ですね。
最近では、そうした企業を「ザス・ゾス系企業」と呼ぶこともあります。挨拶が気合いに満ちていて「ザス!」「ゾス!」のように聞こえることから来ています。IT企業や不動産、住宅系の企業などが該当すると言われています。
そうした企業に行けば力がつくとか、「新卒初任給40万円だから若いうちに稼ごう」という考え方もあります。コンサルを選ぶのも、徹底的に鍛えられるからです。
日本は働きすぎだから、もっと海外のように働けばいい、という単純な話でもないのだと思います。私は働き方改革は進めるべきだと思っていますが、海外と単純に比較すべきではないことは、優秀な若い人ほど理解しています。
海外はエリートとノンエリートの差が大きい社会です。日本は縮小している市場ですが、その中で戦える力をつける必要があると考える人も一定数います。
こうした中で、働き方には明確な違いがあります。ただし、ハードに働く人たちも、必ずしも会社が好きなわけではありません。仕事が好きだったり、自分の将来に投資している感覚だったりするのだと思います。
一方で、仕事や会社と一定の距離を置く人たちが出てきた中で、静かな退職は合理的だとも言えます。ただし、これは非常に複雑で、若者はこうだと言い切ることはできません。
大事なのは、全員が静かな退職をしているわけではなく、労働意欲や会社との距離感が多様化している、という点です。

「会社の飲み会に行かない若者」は昔からいた
——先ほど、昔から飲み会には参加したくないと思いつつも、断る選択肢がなかったというお話があったと思います。静かな退職というのも、今は名前がついて広まっていますが、実はそれ以前からあったものなのでしょうか。
常見:そうです。会社の飲み会問題は、何度も蒸し返されてきました。「今時の若者は飲み会に行かないぞ」という話を、私がリアルタイムで初めて見たのは、1980年代に「新人類」という言葉が流行った頃だと思います。
筑紫哲也さんが『朝日ジャーナル』の編集長だった頃に「新人類」という言葉が流行ったのですが、新人類っぽい人が一通り辞退したからか、流行語大賞はなぜか西武ライオンズの当時の若手が受賞するという、謎の展開でした。
とはいえ、その時もマジョリティは文句も言えず、なんだかんだ丸め込まれていましたが、それに対する抵抗や、それをリジェクトする奇異な若者といった言説は、ずっとあったと思います。そういうことは繰り返されてきています。
企業が“昭和的な文化”を手放さない理由
常見:現実を見ると、「昭和は終わった」と言いつつも、結局そうした文化を残し続けようとしているのが組織です。実は今、新卒一括採用の崩壊とか、日本的雇用システムが変わったと言われていますが、バブル期以上に昭和的な空気が強いのが、令和の大企業社会です。
バブル期も含めて、これほど入社式が派手な時代はないのではないかというぐらい、大手企業の入社式は派手です。また今、褒賞旅行や表彰旅行といった社員旅行が流行っています。旅行代理店の方に聞くとそういう傾向があるそうです。
これは何かというと、例えばエース社員には辞めてほしくないから、営業担当者を全国から集めて、日本国内であれば宮崎のシーガイアなどで、研修という名目の集まりを行う。偉い人の話や講演もあるかと思いきや、実際には懇親会やゴルフが中心で、費用は会社負担、というようなケースです。
「トップ営業20人はニューヨーク旅行です」といった制度もありますし、社員旅行も、ありがた迷惑だと言われつつも、根強く残っています。
さらに、社員食堂がある会社では、夕方にハッピーアワーを設けて交流の場にする、といった最近らしい取り組みも見られます。
——それはやはり人材の流出を防ぐためですか。
常見:流出を防ぐという意味もあります。ただ、「どうせ流出するから意味がないのではないか」という声もあるかもしれませんが、今は少し状況が変わってきています。
企業の評判は非常に重要で、例えば辞めた人が「前職はすごくブラックだった」と言えば、それは企業にとってマイナスです。
今はカムバック採用やアルムナイ採用といって、一度辞めた人が戻ってくるケースも増えています。これは人材獲得という意味で大きな可能性を持っています。いろいろ言って辞めたとしても、「やっぱりいい会社だ」と戻ってくる人もいるわけです。そうした意味でも、企業としては評判を落としたくないという意図があるのだと思います。

静かな退職をどう受け止めるべきか
——例えば上司が部下を見て、「あの人は静かな退職なのではないか」と感じた時、管理職はそれをどのように受け止めがちでしょうか。
常見:管理職は、まず「なぜその部下が静かな退職のように見えるのか」、そして「それを悪いことと決めつけていいのか」を考える必要があると思います。
繰り返しになりますが、「なぜ部下は静かな退職をするのか」、そして「それは悪いことなのか」を、面談などを通じて考える必要があります。ただ、面談だけだと気合いの入ったことを言いがちなので、やはり日常的に観察することが大事だと思います。
くれぐれも言いたいのは、静かな退職とパフォーマンスや成果はまったく別問題だということです。言われたことを高いレベルでこなす人もいますよね。もちろん、「もっとやればさらに良くなるのに」と思うかもしれませんが、それはお給料以上の働きになってしまう可能性もあります。
いくら能力があっても、仮に労働時間の制約がなかったとしても、「これ以上はやりたくない」と考える人はいます。私はそれを真っ当だと捉えるべきだと思いますし、むしろそこで、「我が課として、部として、仕事のあり方はどうなのか」と考えることが大事だと思います。
期待と見返りのズレはなぜ生まれるのか
——これまでうかがった前提で考えると、静かな退職は意欲の問題というよりも、企業と社員の間の期待と見返りのズレが表に出てきた現象なのかなと思います。今、職場ではどのようなズレが一番大きいと思いますか。
常見:「組織や人事は戦略に従う」という点です。企業自体が過渡期にあり、環境が変化しているからこそ、そのズレがより明確になっているのではないでしょうか。
ビジネスも提供している価値も変わっていく。一方で、組織や働く人の働き方、価値観がそこまでアップデートされているかというと、必ずしもそうではないと思います。
大きな視点で見ると、そのズレがあるのではないか、ということです。そして、ジェネレーションギャップも非常に大きいと思います。
ジェネレーションギャップという言葉で、「おっさんと若者」という単純な話にしたくはありませんが、生まれ育った環境、働いてきた環境、そして働く前提そのものが大きく変わっています。
もっと言えば、昔も本質的には同じだったのではないかとも思います。昔も今も、会社の宴会はみんな本当は嫌いだったのではないか。昔は断る選択肢がなかったり、他の選択肢が少なかったりしたのに対し、今はそれが増えただけだ、ということです。
環境の変化を過度に強調するつもりはありませんが、重要なポイントですし、実は昔は無理をして合わせていたのではないか、という視点は持つべきだと思います。
例えとして適切ではないかもしれませんが、国内外のさまざまなコンテンツを見ると、前に出てギラギラするタイプではなく、一歩引いたポジションでも活躍する人は一定数います。『ルパン三世』の3人と不二子のチームも、キャラクターも貢献の仕方も大きく異なりますよね。
組織論でも語られますが、その組織が何を目的として、何によって結びついているのかが重要です。その部分で一致しているのであれば、大きな方向性が一致している、という状態もあり得るのではないでしょうか。
問われるのは個人ではなく組織設計
——静かな退職という言葉には、一定数ネガティブな印象もあると感じています。一方で、常見さんがおっしゃったように、必要以上に仕事を抱え込まない健全な働き方だという見方もあると思います。企業と個人、それぞれの視点で見た時に、静かな退職に問題やデメリットのようなものはありますか。
常見:そこなんですよ。実はあまりないのではないか、ということです。むしろ、組織の設計や運営自体の問題ではないかと思います。
非常に気をつけないといけないのですが、例えばお給料や仕事内容が決まっている派遣社員やアルバイトに、「もっとがんばれ」と言うでしょうか、という話です。それを言ってしまっているのが日本企業で、「それは搾取ではないか」という批判も出てくると思います。
「お値段以上」は美談ですが、「お値段以上」や「お客さまは神様です」という信仰には、問題があるのではないでしょうか。

顧客や株主にとっては本当に問題なのか
常見:静かな退職に何がデメリットなのかは、個人、組織、顧客、株主といったさまざまなステークホルダーの軸で考える必要があります。極論を言えば、顧客や株主、社会に対して、期待される対価に見合うパフォーマンスやリターンがあれば、あまり関係ないとも言えます。
例えば今回もQRコードで入館しましたが、「なぜ受付がいないのか」と怒る人はいないですよね。
——そうですね。
常見:以前より確実に人は減っていますが、サービスレベルについて合意があれば、対顧客の観点では問題ないのではないでしょうか。コロナ禍を経て、働きすぎへの反省も広がっているので、あまり問題はないように感じます。
「言われたことしかやらない」と受け止める組織の問題
常見:あとは組織の受け入れ方だと思います。言われたことをやっているのに、「あの人は言われたことしかやらない」と言われてしまうのが、日本社会の問題です。
副業でも、「あの人は副業をやっているらしいぞ」と言って、本業をもっとやれという圧力が暗黙にありますよね。でも、本業で求められることをやっているのであれば、文句を言われる筋合いはないはずです。
そこは風土の問題です。風土を変えろとか意識改革という言葉は、あまり好きではありませんが、「仕事とは何か」という再定義は必要だと思います。
「やる気がある人前提」ではもう回らない
常見:よくある懸念として、「みんながんばったほうが組織の雰囲気は良くなるのではないか」とか、「1人だけやる気がない人がいるのはどうなのか」といった声があります。
ただ、やる気がないことと、やっていないことは違います。これをやる気がないと断じてしまうのは適切ではありません。むしろ、やる気というもの自体が危うい面もあります。やる気がありすぎることが、日本の問題でもあると思っています。
適切なリターンに対して適切なアウトプットが出ていれば問題ない、ということです。もちろん、「もっとがんばったほうが楽しいのではないか」とか、「がんばれる時に成長したほうが将来のリターンが大きいのではないか」という声もあります。
ただ、それは「仕事とは何か」「組織に所属するとはどういうことか」という問いに関わる話です。昔であれば、「やる気がない」といった批判や悪口で終わっていたものです。
これから静かな退職は、メンバーシップ型雇用の日本でも、じわじわ広がっていくのではないかと思います。というのも、AIがどれだけ発達しても、人手不足は何らかのかたちで続くのではないかと思うからです。
今の組織は、いわば『ドラクエ』のパーティーのような状態です。体力があって攻撃力の高い人もいれば、回復や魔法は使えるけれど体力が少ない人もいる。それぞれを組み合わせて、なんとか戦っている状態です。
時間に制約がある人、得意なことが限られている人、レベルの高低も含めて、さまざまな人材を組み合わせて機能させるのが、今の組織です。
その観点から言うと、全員がフルでがんばらなくても回る組織設計こそが、重要なのではないでしょうか。
成果より先に、役割の線引きを考える
常見:そこでよく誤解されるのが、「成果を出した人を評価したい」という議論です。ただ、ここでは成果の話はいったん切り離して考えるべきだと思います。ジョブ型雇用についても誤解があり、「成果で測りやすい」という言説がありますが、それは本質ではありません。
ジョブ型は、「ここからここまでやれば仕事は終わり」という範囲が明確であるということです。成果で評価するかどうかとは別の話です。時間か成果かという議論よりも、「やるべきことをやっているかどうか」が重要です。
もちろん、成果を追うことが求められる人や、それを楽しめる人もいますが、そこは組み合わせや設計の問題です。個人に「もっとがんばれ」と求めるだけでは違うのではないか、という考えです。
個人にとってのデメリットも問い直すべき
——デメリットについて、株主、顧客、組織の観点はお話ししていただきましたが、個人にとってのデメリットはありますか。
常見:あまりないように思います。もちろん、裏返しとして、会社でやる気がない人と見なされる、居場所がなくなる、スキルを伸ばす機会が減る、といった可能性はあります。
また、仕事にやらされている感覚が残るとか、楽しんだほうがいいのではないかという議論もあります。
ただ、冷静に考えると、それも少し違うのではないかと思います。この静かな退職の議論は、「けしからん」とか「どう減らすか」という話ではなく、仕事や組織のあり方、顧客との関係を問い直す論点だと、私は考えています。
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