「東大に淡い未練」防衛大で仮面浪人した彼の悔恨

灘高等学校を卒業後、防衛大学校に進学し、東大を目指して仮面浪人を経験した大前秀人さん(写真:大前さん提供)
灘高校出身→防衛大学在籍中に東大に向け仮面浪人
今日は、灘高等学校を卒業後、防衛大学校に進学し、大学内で東大を目指して仮面浪人を経験した大前秀人さんにお話を伺いました。
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大前さんは関西の超名門校、灘高等学校の出身。周囲と同じように東京大学を志望するも、残念ながら2点差で不合格となります。彼が進学先として選んだのは防衛大学校という灘出身者の中では一風変わった進路でした。
なぜ防衛大学校への進学を決めたのか。
厳しい防衛大学校の日々の中で、なぜ仮面浪人を決意したのか。
お話を伺います。
大前さんは運送会社の社長の息子として生まれました。
「元々勉強を頑張る家系ではないんですが、両親は自分たちが勉強がそこまで得意じゃなかったからこそ、息子たちには勉強をさせてあげたいという思いから絵本を読んでくれていました。僕も絵本や、買い与えてもらったパズルゲームが好きで、そこで後に生きる論理的思考や感情表現がうまく組み合わさったのだと思います」
親の意向で小学校受験をした大前さんは、第1志望だった大阪教育大学附属天王寺小学校を体調不良で受けられなかったものの、小中一貫校である私立四條畷学園小学校に合格し、進学します。
小学校に入ってからもテストの点数はよく、「友達ともよく遊んだ」と語る大前さんが塾に通い出したのは小3の春。府立大手前高等学校に合格するために、通学路にあった馬渕教室に通い出しました。
「塾で勉強する習慣が身について、勉強することが武器になりました。いい点数を取ると、ゲームや漫画を買ってもらえるとかで、にんじんをぶら下げられていたんです。公開模試でいい成績を取るようになって、灘の受験に特化した集団講習会に招待されるようになったから、灘高校を受験したのですが、その道に進まなかったら公立高校に行っていたと思います」
関西最難関の灘高等学校に入学
中学校での成績はいつも1位をキープし、無事、関西最難関の灘高等学校に入学した大前さん。
前途洋々ですが、ここで彼は、「遊び呆けてしまった」と当時を振り返ります。

灘高に入学後「遊び呆けてしまった」といいます(写真:大前さん提供)
灘高校に入ってからは遊びに注力していた大前さん。しかし、河合塾以外の塾には無料で通えたので、塾通いは続け、勉強はしていました。志望校は、周囲がみんな目指すこともあり、東京大学の文系でした。
「それまでの人生で勉強で挫折してこなかったんです。灘に入って文系なら東大やろって感じで受験しました」
センター試験でも92%を記録し、早稲田大学のセンター利用入試も合格。満を辞して現役の受験では、東大の文科1類に出願します。しかし結果は惜しくも、最低合格点から2点足りずに不合格。ただ、この不合格を受けて、大前さんは悩みます。
「周囲が東大を目指すので自分も東大を目指したのですが、ものすごく東大に行きたいわけではなかったんです。それよりも浪人するのが嫌でした。立ち止まり、自己錬成のために目標に向けてパワフルに突き進む1年が、どうしても自分の中で腑に落ちなかったんです」
東大不合格…防衛大学に進学を決める
そこで彼が進学を決めたのが、秋に受験した防衛大学校でした。
「高校受験で灘に受かるまでに、お試し受験を結構したんですよ。四国や名古屋で1月に受けられる学校があって、いずれも合格できたので、お試し受験は得だと思っていたんです。防衛大学校も無料で受けられたので、受験して合格したのですが、そこで初めて自衛隊とか幹部自衛官のパンフをもらって『こんな道があるんだ』と思いました。
元々東大を目指したのも官僚になりたかったからなのですが、防衛大学校は官僚と同じようなルートだったんです。優秀だったら試験を受けながら昇進していくのが私のイメージと合致していましたし、灘生の中では運動もできたので、学校や塾の先生には進学を反対されましたが、進路を決めて、3月の間は体力をつけるために腕立て伏せをしていました(笑)」
自分のキャリアを考えた時、官僚を目指していた自身の目標に近づくと判断して防衛大学校に入学した大前さん。ここで彼は、公務員として給料をもらう一方で、厳しい規律の中、授業を休めない1年間を送ります。

防衛大学校に入学した大前さん(写真:大前さん提供)
しかし、大学2年生になってからの行事で自分の人生を考えるきっかけがありました。
「大学1年生で入った時には、厳しくされて強くなるということに不満感はまったくありませんでした。勉強のかたわら、少林寺拳法部に入っていて、全国大会ランカーでした。真面目な生徒だったと思います。
ですが、大学2年生になってすぐに、1カ月間手漕ぎボートの『カッター』を漕ぐ『カッター期間』でメンタルダウンしました。この行事は自衛隊でやっていくための登竜門で、この行事がきっかけで自衛隊を辞める人もよく出ます。ここで自分は厳しい仕打ちを受けて、思っていた以上に自衛隊に向かない人間であることに初めて気づいたんです」
防大で仮面浪人は“ほぼ不可能”
カッター期間を終えてから、余裕ができた大前さんは、自分の人生を考え、仮面浪人を考え始めます。仮面浪人を決断した理由を聞いたところ、「周囲の灘出身で東大に行った学生の様子をSNSで見たり、実際に遊びに行ったりすることで、東大もいいなと思ったから」と答えてくれました。
「私の代は浪人している人が多かったんです。東大に入ったのに仮面浪人して医学部を目指したり、東大文1や京大医学部に行ったりする人がいて、2年生の夏から東大で自分もやり直したいと思い始めました。その年、たまたま東大の2次試験が土日であり、受験することが可能だったことも決断する要因となりました」
しかし、普通の仮面浪人生と違う、防衛大学生の立場での浪人はなかなか難しかったようです。
「大前提、防大は基本的に仮面浪人が禁止……というかほとんど不可能に近いんです。仮面浪人が噂にはなるけど、私の知る限り実行した人間は0人です。訓練があるから勉強時間も確保できませんし、上司に報告されたりしたらキャリアにも傷がつく可能性があります。
また、普通の大学生は仮面浪人をするとなったら授業に行かない選択肢がありますが、防大は授業に絶対に行かなければなりません。共同生活だから、孤独な戦いができないんです」
こうして大前さんは、仮面浪人をしていることをいつ上司に報告されるか不安に思いながら受験生活を始めました。
夏の帰省で両親に東大受験することを話し、9月から本腰を入れて勉強を始めた大前さん。自習時間や消灯時間を使いなんとか勉強時間を確保しました。
「最初の模試がD判定だったので、受験に本腰を入れるかどうかも迷っていたんですが、仲が良かった東大の友達と彼女が応援してくれたこともあって、本気で目指してみたいと思うようになりました。
行事も訓練もいっぱいあって、どうやっても勉強に集中するのは不可能でしたが、やれる時間はすべて勉強していました。隊舎のルールで朝6時に起きて夜12時に寝るのは決まっていたので、気が抜けることはないという点ではいい環境でした」

行事も訓練もいっぱいあって、どうやっても勉強に集中するのは不可能でした(写真:大前さん提供)
センター試験の結果は9割に満たずに現役の時よりも落ちましたが、東大文3に出願した大前さん。しかし、「あまり良くはないやろう」と手応えを感じることはなく、結局最低合格点から20点差で不合格になってしまいました。
「現役の時は受かったと思っていたんですが、2回目の受験は自信がありませんでした。自信はないなりに東大を受験はしたので、防大の辞め方を検討していました。結局落ちたんですが」
軽い気持ちで仮面浪人するべきじゃない
2回目の東大受験も不合格になった大前さん。しかし、「勉強で失敗したから、自分は勉強以外で頑張ろう」と踏ん切りがつき、少林寺拳法を本気で続け、防衛大学校をストレートで卒業しました。
大前さんは、自身の浪人生活を振り返って、「仮面浪人は軽い気持ちでやるべきではない」と考えます。
「私は今、29歳で、高校卒業から11年たった灘生の現状を知っているのですが、仮面浪人をして満足いく結果になった人がいません。いい経験になるとか副次的なプラス要素はあると思うんですが、仮面浪人をするなら振り切るべきです。友達と遊ばないと決めたり、留年をしたり、大学を辞めたりするべきだと思います。
自分は絶対東大に行きたいわけではなかったんです。行けたらいいなって感じで、少林寺もやってたし、防大の生活も単位を取得していましたので。
浪人して成功している人もたくさん見ていましたので、浪人自体は反対ではありません。でも仮面浪人をするなら、条件が揃った時だけだと思います」
親の背中を見て、自分も事業主になりたい
自衛官になる道も考えた大前さんですが、大学を卒業してからは関西学院大学のMBAに入学し、卒業してから1年間公認会計士の勉強をしたのち、並行して親の仕事を手伝っていたことがきっかけで親の会社で働き始めます。
働き続ける中で、オタクだったことがきっかけで漫画の受託制作会社である株式会社同人を設立し、代表取締役となりました。
また、 4月4日には約1年かけて開発した漫画制作特化のマッチングサービス「GreenHorn」をローンチ。人気YouTubeチャンネル「令和の虎」にも出演し、100万回再生されるなど、漫画・同人誌の価値を広く発信しています。

「令和の虎」にも出演し、漫画・同人誌の価値を広く発信しています(写真:大前さん提供)
「私は自分の人生の中で、勉強できること、オタクであること、少林寺を続けてきたことなどの誇りはありました。
でも社会人として見ると、社長としての両親の姿を見ていて、こうなりたいと思っていたんです。心のどこかで、自分も事業主になりたいという思いがありました。
親の仕事を継ぐという選択肢もありましたが、親から教わっていた人・もの・時・場所・お金という『起業の5条件』が揃ったので、起業しました。
頭脳と圧倒的パワーがある灘生を誘って、東大阪市を拠点に、漫画特化の依頼サービスを展開しています。個人から法人まで利用できる、漫画家とつながるプラットフォームを運営しています。
私はオタクで、漫画の力を信じています。想いを伝えることを大事に考え、今後とも頑張っていきたいと思います」
灘高校を出てから防衛大に進学し、仮面浪人を経験するという一風変わった経験をした大前さんは、これからも経営者として、唯一無二のキャリアを作っていくのだと思いました。