ホルムズ海峡危機で強まった日本の対米追従外交

第1次オイルショックに対応した田中角栄首相, 柳田邦男の『狼がやってきた日』, 田中角栄の狂奔と資源多極化外交, 独自外交がもたらしたもの, 主権なき状態を国民が選んだ

1973年11月、電力不足から開店時間を30分遅らせて営業する東京・中央区の三越百貨店(写真:時事)

イランのホルムズ海峡が封鎖され「石油が輸入できない」という話が出て1カ月が過ぎた。輸入の8割以上を中東の湾岸地域に頼っている我が国としては、第2の石油ショックである。

2026年4月8日、アメリカとイランは2週間の停戦で合意した一方で、原油市場は極めて平静だった。1973年の第1次オイルショック当時と比べて、備蓄や供給先の確保において進歩したからであろうか。

第1次オイルショックに対応した田中角栄首相

同時に、当時の田中角栄首相のことを思い出した。26年3月に訪米した高市早苗首相のトランプ大統領との会談を見ると、ある種、昔に戻った悲しさに包まれる。床に這いつくばるほどの卑屈な態度と、顔にもうかがえる媚態。多くの国民はこれをとても恥ずかしいことだと感じたはずである。それは、53年前の田中首相がアメリカのキッシンジャー国務長官との会談で見せた態度と真逆だったためだ。

しかし気になるのは、こうした卑屈な従属的国家を再び生み出したのが73年の石油ショックだったということだ。

石油ショックの時代は「平民宰相」田中角栄の時代だった。その行動という点では、高市首相とはまったく異なっていた。田中は、即決と行動の人であった。72年の訪中を決断しただけでなく、アメリカに日本経済が依存しすぎることを懸念した人物だったのだ。

田中角栄がそれまでと違っていたことは、アメリカ依存の体質を変えようとしたことであろう。しかしこれがアメリカの逆鱗に触れ、アメリカでは些末な事件であったロッキード事件によって失脚し、元首相として逮捕されるという事態を招いた。それが日本の政治家にアメリカという国への恐怖を植え付け、再び日本の戦後の屈従的態度は元に戻るのだ。

その後続く中曽根康弘政権、そして小泉純一郎政権という親米政権は、日本の従属化をより強める結果になったのである。

その意味で高市政権の睥睨(へいげい)外交は、まさに田中の失敗によってのまされた敗戦国日本の象徴といえるかもしれない。田中と安倍を除けば、八面六臂で勇気を持って独立外交政策を断行した政権はいなかったともいえる。

ここに1冊の本がある。ノンフィクション作家の柳田邦男(1936年~)による『狼がやってきた日』(文春文庫、79年)である。これは73年の石油ショック当時から5年後に振り返って書かれたルポルタージュだが、その年に「狼」(エネルギー危機、後進諸国の反撃)がやってきたというのだ。

柳田邦男の『狼がやってきた日』

柳田は「あとがき」にこう書いたが、これは予言的である。

『狼がやってきた日』というタイトルは、「来るぞ、来るぞ」とかねていわれていながら、誰も信じず、本当に狼がやってきたときには、もはや逃げることもできなかったというイソップの寓話をもじった、アメリカのジェイムズ・エイキンズの論文『石油危機・今度こそ狼はやってくる』」(『フォーリン・アフェアーズ』誌73年4月号掲載)にヒントを得てつけたものだが、石油危機という「狼」は、当時に限らず今後再びやってくるに違いないし、特殊な国である日本を震撼させる「狼」は、石油危機だけでなく、さまざまな形でやってくるに違いないと思うのである」

あれから1995年の神戸大震災、同年のオウム真理教事件、2008年のリーマンショック、11年の東日本大震災、20年の新型コロナウイルス感染症の拡大と、なんども「狼」がやってきている。となれば、その教訓が生かせたのかが問題だ。

第1次オイルショックに対応した田中角栄首相, 柳田邦男の『狼がやってきた日』, 田中角栄の狂奔と資源多極化外交, 独自外交がもたらしたもの, 主権なき状態を国民が選んだ

柳田邦男『狼がやってきた日』(写真は文春文庫)

とりわけ1973年の石油ショックでは日本列島が大混乱となり、国民全体が買い占めに走ったことは今でもよく知られている。そして政府も石油を求め、急ごしらえの使者をあちこちに送り、狂奔したのである。

しかし今回は、極めて静かである。備蓄量が大きいということが一つにはある。これは前回に学んだことである。しかも石油に関しては政府が統制していることも大きい。そして国際的協調があることも強みでもある。

しかしながら、ホルムズ海峡の海上封鎖が長引けばその備蓄はやがて底をつく。すでにいくつかの国では悲鳴があがっている。国際協調も崩壊していく可能性はある。

マルクスは、窮地に陥った恐慌のときの資本家たちの自分勝手な論理をこう描いている。

「すべてがうまくいく間は、――資本家階級は仲間のように、各自投資した額に応じて、共通の獲物を分配する。しかし、利潤の分配ではなく、損益が問題となるやいなや、自分の損を減らし、他人へそれを転嫁しようとする」(第3巻、15章、3節、的場昭弘『超訳「資本論」第3巻』157ページ)

資本家階級を国家に置き換えれば、国際協調が簡単なものではないことはわかる。だからこそ、自国で独自にエネルギー資源を確保する義務は怠ってはならないのだ。

田中角栄の狂奔と資源多極化外交

田中角栄の狂奔は、当然だったともいえる。そしてそれは、それまで続いていた日米協調という枠組みさえも突破することでもあった。

第1次オイルショックに対応した田中角栄首相, 柳田邦男の『狼がやってきた日』, 田中角栄の狂奔と資源多極化外交, 独自外交がもたらしたもの, 主権なき状態を国民が選んだ

的場昭弘『超訳「資本論」』第3巻

73年10月6日の第4次中東戦争(~73年)勃発以後、日本は到来した「狼」に翻弄される。アラブ諸国は中東戦争で反米を主張し、アメリカに与する敵対国と与しない非敵対国に分けていた。その結果、フランスやイギリスのような友好国には石油が与えられることになったのだ。

日本はアメリカに追随する限り敵対国だったのだが、このとき日本は石油を抑えられたアメリカメジャーを離れ、非敵対国へと180度、舵を切った。それは日本が、国連でパレスチナ自治の支持に回り、アメリカを敵に回したためだ。

アメリカを中心とする石油メジャーから買い付けられなければ、産油国の非石油メジャーから購入するしかない。しかし、日本はそれまでは敵対国として認定されていた。

アメリカのメジャーからも現地の産油国からも石油が買えない日本は、パニック状態に陥った。そのパニックの一つがトイレットペーパーの買い占め騒ぎといったものだった。石油不足とトイレットペーパーの不足は、本来関係のない問題なのに、パニック状態に陥った人々は「われもわれも」と買い占めに動いたのだ。

このパニック状態は国家においても同様であった。紛争が始まって1カ月後、日本は石油を求め、アメリカとの関係を維持しながら多面的外交を模索した。田中角栄は資源多極化外交を模索したこともあり、こうした流れは政府も乗り気であった。当時日本の備蓄量は55日ぶん、1カ月半と言われていた。その限界に近付きつつあるなかで、アメリカの制止を振り切ってアラブ諸国とパレスチナ支持に向かい、アメリカの逆鱗に触れる。

73年11月にアメリカの特使として日本を訪れたキッシンジャーは日本による石油の抜け駆けを恐れ、日本側に釘を刺す。この会談は、戦後アメリカ従属の日本外交が、少なくとも石油資源に関してアメリカと協同歩調を取らない決意を伝えたことでは画期的なものであったと言える。

こうして政府は、石油資源の新しい仕入れ先を探すとともに、国内における石油規制の基本法案である4分類方式を示す。

石油消費を4分類し、第1類は病院、消防署、学校など公共性の高い機関でゼロカット、第2分類は鉄道、航空などの公共輸送で前年度並みを消費、第3分類は農林水産業で10%カット、第4分類は通産省所轄業種で20%カットという方針だった。とりわけ第4分類は産業部門で大幅な生産カットということになる。

時間停電案もあったが、実施されなかった。銀座の街並みからネオンサインが消え、節約ならぬ「節電」という言葉がささやかれたことは、当時大学生であった私の記憶にもある。

独自外交がもたらしたもの

田中政権は未曾有の危機の中で石油を求めてあちらこちらへと動いた。今の政府とまったく違った奔走であった。しかし、これらの日本独自の外交がアメリカとの外交をギクシャクさせたのは間違いない。

今回、日本の政府は当時の政権のようにはまったく動いている様子がない。備蓄が200日に増えたことがあるとしても、一種奇異である。国民に買いだめのパニックもないし、企業や政府にもその焦燥感がない。きわめて平穏である。この戦争はすぐに終わると思っているのであろうか。

石油消費に対するガソリン切符の導入や、時間停電の話も聞かない。また友好国のホルムズ海峡通過は許すというイランと交渉しているという話も聞かない。半年続けば確実になくなることはわかっているのだが。

背景にアメリカに対する絶大なる信頼があるのか。アメリカによる早期解決に対する確信でもあるのだろうか。トランプ大統領が弾劾で辞任し、停戦で終結するのを待っているのか。そうなったとしても、膠着状態はずっと続くかもしれないのだ。

高市・トランプ会談での卑屈な外交を見る限り、石油ショックの後のアメリカによる日本、とりわけ田中角栄に対する攻撃、すなわち76年のロッキード事件による逮捕、さらにはアメリカによる80年代の「貿易戦争」とまで言われた経済的な過剰な要求によって垣間見えたアメリカの恐ろしさに怯えているようにも見える。

石油ショックが日本政府にもたらしたものは、石油をどう確保するかではなく、アメリカ従属国家の日本がアメリカに反旗を翻せばその政治家はどうなるのかという悲惨な現実であったのだ。

衰退していくアメリカの前でずるずると隷属状態を続けることは、日本にとってマイナスしかないと思われるが、あえてアメリカと敵対し政治、経済を破壊されるのを恐れているのである。

現在は参議院議員の伊勢崎賢治とジャーナリストの布施祐仁の『主権なき平和国家』(集英社、17年)がある。主権を持たず従属している国家の平和外交の空虚さを指摘した書物だが、今の状態は主権なき状態を示しているのであろうか。

主権なき状態を国民が選んだ

そう考えるとあの高市首相による卑屈な会談は、笑っていられない。それは卑屈に振る舞っているのは、高市首相と政府ではなくわれわれ国民だからだ。

第1次オイルショックに対応した田中角栄首相, 柳田邦男の『狼がやってきた日』, 田中角栄の狂奔と資源多極化外交, 独自外交がもたらしたもの, 主権なき状態を国民が選んだ

伊勢崎賢治・布施祐仁『主権なき平和国家』(写真は文庫増補版)

圧倒的な衆議院選挙での勝利を受けて成立した首相は、国民の意志を表しているとも言える。その首相が卑屈だということは、われわれ日本国民が卑屈だということなのだ。

奇しくも高市首相がわれわれにその現実を示してくれた。今の日本はアメリカの従属国家にすぎないということなのだ。戦後は終わっていないのである。この81年間、被占領国家としての戦後の状態を続けているのは、私たち国民自身であるということだ。