「地元商工会を無視して町が誘致」→「震災のダメージで廃墟化」茨城初のアウトレットモールをテナントが「逆買収」した訳
いちテナントがモールを買収
茨城県の海沿いに、人口約1万5千人の大洗町がある。ここ大洗町に2006年3月、約70店舗をそろえた県内初のアウトレットモール「大洗リゾートアウトレット」がオープンした。
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しかし、より大型の競合アウトレットモールに太刀打ちできず、東日本大震災が引き金となり衰退。施設を開発し、所有・運営していた八ヶ岳モールマネージメントが撤退したのち、17年に「大洗シーサイドステーション」という地域密着型のモールにリニューアルされた。

「大洗シーサイドステーション」(筆者撮影)
現在でも「大洗シーサイドステーション」には、施設の奥側と2階に空き区画が目立つ。2階は3分の2ほどの区画が空いている。

2階に空き区画が目立つ(筆者撮影)
一方、スーパーのセイミヤやカワチ薬品、セリアは、近隣住民と見られる買い物客で活気がある。観光地らしい土産店や飲食店も軒を連ね、買い物や食事を楽しむ人がいる。
施設をリニューアルし、現在まで所有・運営しているのはOaraiクリエイティブマネジメントだ。同社は地域のプラットフォームづくりを目的として08年に創業し、09年に「大洗リゾートアウトレット」にて物産直売所の大洗まいわい市場を出店。その他にもアニメ・ガールズ&パンツァーのグッズを扱う大洗ガルパンギャラリーを出店するなど、長らくテナントの立場で施設に関わってきた。

現在「大洗シーサイドステーション」に出店している大洗まいわい市場(筆者撮影)
いちテナントがモールを買収して運営を引き継ぐのは、他ではあまり聞かない事例である。なぜ施設を、それも失敗したモールを引き継いだのか。同社の代表取締役の常盤良彦氏と常務取締役の田山一暁氏にお話を伺った。
前町長がアウトレットを誘致
同社が施設を引き継ぐに至るまでの背景は、「大洗リゾートアウトレット」の開発前にまでさかのぼる。この土地はもともと茨城県が所有しており、その一部の区画に道の駅をつくろうという構想で商工会が動いていた。常盤氏と田山氏は当時、商工会青年部のメンバーだった。
商工会が道の駅構想を持つなかで、当時の町長が八ヶ岳モールマネージメントを誘致。06年3月、茨城県初のアウトレットモール「大洗リゾートアウトレット」がオープンした。田山氏は当時の様子をこう振り返る。
「大洗リゾートアウトレットが進出を発表したとき、このままでは商店街が潰されるというような空気が流れていました。道の駅構想を抱いていた地元商店主と行政の意向にハレーションが起きて、溝ができてしまっていました」
アウトレットに期待を寄せて出店したが…
08年に同社が地域活性化事業を模索していたところに、八ヶ岳モールマネージメントから「施設を増床するのでキーテナントとして出店してほしい。応援するのでぜひ来てほしい」と打診された。同社は、溝のできていた地域とアウトレットの橋渡しができればとの思いで出店を決め、09年に大洗まいわい市場をオープンした。
「八ヶ岳モールマネージメントは地域との共生を掲げていました。もしかしたら大洗町に足りない部分を補ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いていました」(田山氏)
ところが蓋を開けてみると八ヶ岳モールマネージメントは地域のことを考えておらず、テナントに対しても高圧的な態度だったという。
結局、増床部分に出店したのは同社のみで、ほかは短期間のスポット出店のみだった。2人は当時の状況を次のように話す。
「大洗まいわい市場を出店した当初から、平日はかなりガラガラでした」(常盤氏)
「06年の開業当初はそれなりににぎわいがありました。しかし、私たちが出店した09年時点で、すでに空き区画は2割ほどあったと記憶しています。客層はほぼ観光客で、リピーターより一見さんが多い印象。施設の雰囲気はよく言えば落ち着いている、率直に言うと活気がなく、少し薄暗い感じでした」(田山氏)
そんな「大洗リゾートアウトレット」に11年3月11日、東日本大震災が襲いかかった。津波で1階部分が浸水し、営業を再開できたのは約4カ月後。原子力発電所の風評被害により、大洗町に来る観光客も激減してしまった。

東日本大震災時の「大洗リゾートアウトレット」の様子(Oaraiクリエイティブマネジメント提供)

東日本大震災時の大洗まいわい市場の様子(Oaraiクリエイティブマネジメント提供)
震災を機に、地域とアウトレットの距離がますます開いていく。同社のような地元テナントや商店街が復興に向けて必死に動いているなかで、八ヶ岳モールマネジメントは危機感に乏しく、イベントなどを打診しても協力を得られなかった。地元商店が売上を回復していく一方で、アウトレットだけが取り残されていた。
「弊社が地域活性化の活動を行い、施設を活用して集客することでかろうじてアウトレットと地域をつなぎとめていたと感じます」(田山氏)
さらに同社は、テナント誘致にも力を貸していた。
「震災の後はナショナルチェーンも結構出ていってしまいました。撤退したエクセルシオールカフェの代わりに、地元のコーヒーチェーンであるサザコーヒーへ震災復興のためにぜひ出店してほしいとお願いしました」(常盤氏)
覚悟の買収
震災後、同社はテナントとして施設に関わりながら、商工会などと連携してガールズ&パンツァーのイベント開催やライセンス取得のアドバイザーを行った。12年に大洗町を舞台にしたアニメ・ガールズ&パンツァーが放映されたのである。ガルパン効果により、町は震災前を上回るにぎわいを取り戻していった。

同社が関わって開催したガルパンイベント時の様子(Oaraiクリエイティブマネジメント提供)
町の復興のかたわら、八ヶ岳モールマネージメントの経営は厳しくなっていた。テナントから一時的に預かる売上金の返還が度々滞るような状態であった。同社は、前町長の誘致した八ヶ岳モールマネージメントの問題を行政へ訴えたが、「民間同士で解決するように」との返答だったという。
八ヶ岳モールマネージメントが施設を手放すことになったものの売却先が見つからず、最終的に町を通して同社に声がかかった。同社は地元銀行や信用金庫などの協力も得て、施設を買い取った。
買収に踏み切った理由について、常盤氏は「合理的な判断というより、町の復興を終わらせてはいけないという覚悟で買収を決めました。地域の人々からどんどん背中を押されたんです」と話す。
「引き継ぎを決めたときに一番思い浮かんだのは、自社のスタッフやテナントさんです。震災のときにみんなで瓦礫掃除をした経験もあり、ここで一緒に頑張りたい、建物と一緒に止まってしまう未来だけは避けたいと思いました。外資の手に渡るのではなく、私たち地元資本が持っていることで、町にとって将来的な選択肢を残せたらと考えていました」(田山氏)
未来に集中してきた
地元商店主たちの意向を無視した前町長のアウトレットモールの誘致と、町やテナントに寄り添うことのなかった運営会社。無責任に残された「大洗リゾートアウトレット」をOaraiクリエイティブマネジメントが引き継いだのは、「町のためにこの場所を終わらせたくない」という覚悟からだった。
度重なる苦難が降り注いだにもかかわらず、その経緯について同社はこれまで多くを語ってこなかった。常盤氏と田山氏が度々口にしたのは、「来てくださるお客様やガルパンファンの方にはまったく関係のない話。せっかく楽しみに来てくださるのに、嫌な思いをさせたくない」と来店客に寄り添う言葉だった。「過去を批判するのではなく、この施設を未来にどうつなげるかに集中してきた」という。
続く第2回では、同社が施設をどのようにつないできたのかを伝える。
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以下は2026年2月公開の写真。「大洗シーサイドステーション」の外観(筆者撮影)

屋外の通路の両側に店舗が並ぶオープンモールである(筆者撮影)

センターコートに面したエリアに空き区画が目立つ(筆者撮影)

空き区画が並んでいる(筆者撮影)

リゾート感を演出する植栽が施されている(筆者撮影)

「大洗シーサイドステーション」 (左手前)とすぐそばにある大洗マリンタワー(右奥)(筆者撮影)

近くの公園に、津波で浸水した場所が記されていた。「大洗リゾートアウトレット」も含まれている(筆者撮影)

現在も大洗町にはいたるところに「ガルパン」のポスターやフォトスポットがある(筆者撮影)