《善意が招いた2年の地獄》売上3分の2を捨てた…それでも星野リゾートが"5人の会社"に全館コーディネートを任せた訳

価値あるものは、たとえ一度廃れても、いつか新しい価値を見いだされる。音楽がサブスク制となりレコメンド再生される時代に、再びカセットテープが流行るように――。
昭和の「ガチャマン」景気に、静岡県浜松市で織られていた「遠州綿紬」。職人たちでさえ「もう古い」と見限ったその布に、織物問屋の三代目、大高旭さんだけが、新しい価値を見いだした。
そして20年後、消滅寸前だった織物ビジネスは過去最高の売り上げ1.3億円に達し、海外マーケットも見えてきた。しかし、職人の平均年齢は80歳を超えている。次の20年に向けて、打つ手はあるのか。

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《祖父あきらめ父は破産》それでも孫は"消滅寸前の布"を拾った「飯は食えない」言われた遠州綿紬が1.3億円売れるまで

【写真を見る】ガチャン、ガチャンと機を織る古い織機。以前は足踏み式だったが、現在はモーターを後付けして動かしている(写真:筆者撮影)

「遠州綿紬なら大丈夫」根拠のない自信があった

「自分には商才がないと思っています。ただ、遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)を看板に掲げていると、おもしろがってみんなが集まってくるんですよ」

2006年、旭さんは祖父、父と続いた織物問屋、大幸株式会社から遠州綿紬物事業のみを引き継ぎ、「ぬくもり工房」と名付けた。自信があったわけではない。ただ、遠州綿紬ならいけると信じていた。

なぜなら、浜松市と織物産業の関係は、神の時代までさかのぼる。北西部にある初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)に祀られている織姫様が、伊勢神宮に住む天照大神に毎年衣服を織って捧げていたのだという。

「遠州綿紬なら大丈夫」根拠のない自信があった, 百貨店の片隅で、運命の一冊を手渡された, サービスエリアという意外な活路, 障子もソファも。星野リゾートからの依頼, 善意が招いた落とし穴, 「長い歴史と文化の上で、ただ遊んでいるだけ」, 「消滅寸前ビジネス」の現在, 古くて「新しい」情景を未来へつなぐ

初生衣神社では、毎年4月に伊勢神宮に衣を捧げる神御衣(おんぞ)祭りが実施されている(写真:ぬくもり工房提供)

「神様とゆかりのある織物の町」は、日本で奈良と浜松だけ。だから、かつて憧れたエルメスにも負けない強いブランドストーリーが、遠州綿紬にはあると信じた。

「浜松には、こんなに歴史の深い織物があるんです。僕はこれをもう一度復活させたい。僕がやらなきゃ、消えてしまうんです!」

強い想いを抱え、けれど未来が見えなかったぬくもり工房。旭さんにあったのは、唯一、外に出て人に会い続ける行動力だけだった。

百貨店の片隅で、運命の一冊を手渡された

旭さんに会社設立当初のビジネスプランを聞くと、即座に「ありません」という答えが返ってきた。

「ただ、僕は外に出て人に会うのが好きなんです。経営者や職人さん、いろんな人に相談しているうちに、どんどん仲間が増えていきました」

2006年の設立当時、売り上げは楽天市場での生地の通販事業に支えられていた。月額300万から400万円程度。これがあれば、すぐに倒産することもない。当時社員は旭さん1人、あとは商品を梱包・発送するパート社員が2名いるだけだった。そこからどう人脈を広げていったのか。

「最初にやったのは、フリーマーケットへの出店でした。昔、浜松駅の近くにイトーヨーカドーがあって、その屋上駐車場で定期的にハンドメイドのマーケットが開かれていたんです。まずはそこに商品を持ち込みました」

当初はただ参加できるイベントを探しては、出店していた。1日中店先に立っても、売り上げは3万から5万円程度と多くはない。ところが、若い人には目新しい遠州綿紬の布は目を引き、縁を引き寄せてくれた。

浜松市で最も大きなデパートである遠鉄百貨店の関係者に声を掛けられ、特設売り場に出店することになったのだ。

旭さんは反物と遠州綿紬で作ったエコバックを持ち、遠鉄百貨店の特設売り場へ。織物問屋らしく着物を着て接客し、初出店の1週間で40万円ほど売り上げた。

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遠鉄百貨店の遠州綿紬コーナー(写真:ぬくもり工房提供)

そして、そこで出会った1人のバイヤーによって、遠州綿紬の事業は、小さな問屋から産業を担うビジネスへと引き上げられていく。

「大高ちゃん、中川政七商店って知ってる? 知らないなら、この本読んでみなよ」

彼に渡されたのは、奈良の工芸品製造中川政七商店を復活させた中川淳氏の著書。300年以上の歴史を持つ家業を継ぎ、13年で売り上げを10倍に伸ばした中川淳氏が、自分の目指す姿と重なった。

「中川さんの本を読んで、ブランディングの大切さを知りました。そのころから小物類を売り出し始めていたので、うなぎパイに負けない浜松土産として打ち出していくことが、テーマになりました」

もともと遠州綿紬は、この地の農家が野良着として着用していた庶民の布。その歴史を引き継ぎ、現代の暮らしの中に根付いた商品を作ろう――。

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ぬくもり工房の店内には、ハンカチや扇子、スリッパなどの日用品が並んでいる(写真:筆者撮影)

「そのバイヤーさんには、名古屋高島屋や宇都宮の東武百貨店も紹介してもらいました。本当に熱い人なんですよ」

ブランディングに悩む旭さんに、地元のPR会社の外山さんを紹介してくれたのも彼だった。それが最大のチャンス、新東名高速道路サービスエリアへの出店につながった。

サービスエリアという意外な活路

2012年、東京と名古屋をつなぐ新しい高速道路が完成した。そのサービスエリアの一角に、遠州綿紬のコーナーを設けてみないかと提案されたのだ。

サービスエリアという通過点に置くのなら、お土産として買いやすい商品がいいだろう。旭さんは各地の百貨店に足を延ばしては、商品を見て学んだ。そして作ったのが、がま口や巾着袋、ストール、エプロンやランチョンマットなどの日用品。それが、よく売れた。

「本当に驚きました。『遠州綿紬で雑貨を作ったら、売れるんだ』って。ゴールデンウィークだったこともあり、1カ月で100万円以上買っていただいたんですよ」

期間限定の予定だった出店が常設となり、サービスエリア内の売り場面積も広がった。西へ東へと移動する合間の「お土産にこの土地のものを」という需要に、手ごろな価格の遠州綿紬の小物がピッタリとはまったのだ。

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新東名サービスエリア内の遠州綿紬売り場。うなぎパイと並ぶ浜松土産に(写真:ぬくもり工房提供)

しかし、旭さんはまだ、遠州綿紬の本当のポテンシャルを知らなかった。2回目の転機となったのは、誰もが知る企業との出会いから始まった。

障子もソファも。星野リゾートからの依頼

2009年、旭さんは浜松市西部・舘山寺温泉にある旅館「花乃井」の代表と知り合い、遠州綿紬で何かできないかと話し合っていた。しかしその矢先に、花乃井は星野リゾートによる運営が決まる。

進みかけていたコラボの話は、いったん白紙に戻った……はずだった。

「ちょっとご相談があるのですが」

電話は、星野リゾートの岡本真吾氏からだった。

花乃井を改修して生まれる新しい旅館の名は「界 遠州」。岡本氏は、その総支配人だった。

「総支配人の岡本さんから連絡があって、新しく作る旅館で、遠州綿紬と何かコラボできないかって言うんですよ。もう、1人じゃ絶対無理だと思って、すぐにブランディングパートナーの外山さんに連絡して、『不安だから一緒に来てください!』って泣きついたんです」

岡本氏の相談はこうだった。「界」ブランドでは、その土地と結びついたおもてなしをしていきたい。今回はお茶をテーマにしているが、遠州綿紬でも何かできないか――。

「そこで、まずは1部屋だけ、ご当地部屋『遠州つむぎの間』として、遠州綿紬をテーマに部屋作りをさせていただきました。それが好評で、最終的には全館コーディネートさせていただいたんです」

ところが、岡本総支配人からの要望は、どんどんレベルアップしていく。

「障子をはがすので、代わりに遠州綿紬を張ってくれないか?」「ソファの生地を遠州綿紬に張り替えてほしい」さらに、「浜名湖をイメージしたテーブルを作ってほしい」という要望も……。

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界 遠州を飾る、遠州綿紬の障子。腕のいい建具職人の協力によって実現した(写真:ぬくもり工房提供)

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「界 遠州」のロビーには、遠州綿紬を張ったソファを置いていた。(現在は置かれていない)この張り替えができる職人は少ないという(写真:ぬくもり工房提供)

こんな要求に自分たちだけで応えるなんて到底できなかった。そこで、それぞれの職人に協力を仰いでみると、みんなおもしろがって協力してくれた。桃太郎のきび団子のように、遠州綿紬が強い仲間を集めてくれたのだ。

「さすがにテーブルは無理でしたが、障子もソファも、腕のいい職人さんとつながったことで実現しました。こんなことができる職人なんて、なかなかいませんよ」

当時は社員2名、パート3名。全国的に知られている星野リゾートが、なぜそんな小さな会社に声をかけたのか。遠州綿紬を正面から扱い、その物語を語れる会社が、他になかったからかもしれない。

人に恵まれ、人に助けられてきた旭さん。だが、つながったのは良縁だけではなかった。

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糸をつむぐように、旭さんは遠州綿紬を介して多くの人とつながった(写真:ぬくもり工房提供)

善意が招いた落とし穴

順風満帆に見えた旭さんの経営に、初めて深い傷がついたのはこのころだった。

「あるとき、お付き合いのある縫製工場の社長さんから、担い手がいないので、事業を引き受けてくれないかと頼まれたんです。機屋も縫製工場も減少する一方だったので、なんとか力になりたいなと」

これまで仕事上で人の悪い部分をほとんど見てこなかった旭さんは、善意で手を差し伸べた。

しかし蓋を開けると、海外からの技能実習生を長時間労働させて、黒字を保つ工場だった。旭さんが下見に来るときだけ実習生を定時で帰らせ、いなくなったら呼び戻していたのだ。

引き継ぐまで、旭さんはその実態に気づけなかった。

改めるよう主張しても、社長は「それでは事業が回らない」の一点張り。このまま営業を続ければ、ぬくもり工房の事業にも悪影響が出かねない。旭さんは労働基準監督署に相談して実習生の一部を帰国させ、そのほかは別の会社に転職させた。

しかし、社長との溝は埋まらず、最終的に争いは調停に持ち込まれた。解決まで2年を要し、旭さんが損を被る形での幕引きとなった。

「自分で言うのもなんですが、バカ正直だったし、まっすぐすぎた。『この人も自分と同じように、産地のために縫製工場を残したいんだ』って、勝手に思い込んでしまったんですよね」

当時の状況は「大変だった」こと以外、ほとんど覚えていないという。それほど消耗した2年間だったのだ。

旭さんはこの経験から、今後一切本業に関連しないものには手を出さないと決めた。身の丈を知ること――それもまた、20年間で得た経営の知恵のひとつだ。

「長い歴史と文化の上で、ただ遊んでいるだけ」

「界 遠州」の客室やロビーなど、装飾デザインのプロデュースを果たした2013年、ぬくもり工房は現在の場所に店舗兼事務所を設立。名実ともに、地に足のついた会社となった。浜松に本社を置くヤマハやローランドなどの大企業とのコラボレーションも次々と決まっていった。

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ぬくもり工房本店。入り口前には、遠州綿紬の暖簾がたなびいていた(写真:筆者撮影)

楽天市場のネットショップで遠州綿紬以外の布の取引をやめたのも、この時期だった。売り上げの3分の2を失ったが、初心を貫き、遠州綿紬一本に賭けた。

「期待半分、不安半分だったかな。でも、行けるって思っていた気がします」

売り上げは一時的に落ちたものの、本業に集中投資したことによるブランディング効果もあり、その後は右肩上がりに伸びていった。

2025年は1.3億円と過去最高の売り上げを叩き出し、現在では台湾やシンガポールにも出店するなど、グローバルマーケットも視野に入れている。シンガポールでは大量のハンカチが3日間で完売するなど、強い手ごたえを感じているという。

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一番人気のハンカチは、660円と手ごろな価格。ワンポイントに刺繍が入ったものも(写真:筆者撮影)

「20年やってきましたが、自分の経営方針に自信を持ったことは一度もありません。業界自体が常に危うかったので、いつも綱渡りでした。でも、『遠州綿紬ならいけるんじゃないか』っていう直感だけはずっとありました」

そして旭さんは、内緒話でもするかのようにぐいっと前のめりになり、「あくまでも僕の感覚ですよ?」と前置きし、以下のように続けた。

「遠州綿紬の長い歴史と文化があって、その上に何も持たない兄ちゃんがポンと乗っかって、20年間好き勝手に遊んじゃってる感じがするんです」

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旭さんは、経営は20年間ずっと綱渡り、でも常に遊んでいるように楽しかったと語る(写真:筆者撮影)

遊びという言葉とは裏腹に、業界全体の課題は旭さんにのしかかっている。織物工房は50前後まで数を減らし、職人の平均年齢は80歳を超えている。いくら遠州綿紬が海外で売れても、肝心の工房と作る人が途切れてしまえば元も子もない。

その問題に、旭さんはすでに動き始めていた。

「消滅寸前ビジネス」の現在

向かったのは、ぬくもり工房の取引先、小野江織物株式会社の工場だ。

ガシャーン、ガシャーン、ガシャーン……。

刀を鞘から抜くときのような摩擦音が、重なりながら右耳と左耳を行ったり来たりする。薄暗い工場内に、年季の入った織機が並び、今まさに機を織っていた。

ヨコ糸を乗せたシャトルが右から左に走ると、「筬(おさ)」と呼ばれる櫛のような板が、ヨコ糸を押し込み整える。すると再びシャトルが左から右に走る。筬が落ちる。これを繰り返すことで、一枚の布が完成するのだ。

今は電動で動いているが、かつては自転車のようにペダルを回すと無数の歯車が連動して織機が動く仕組みになっていたという。

「シャトルに乗せた糸は10分程度で交換しなければなりません」

シャトルが止まると、織機の上に緑のランプが点く。交換の合図だ。

案内してくれた成田さんが慣れた手つきで糸を交換すると、再び織機が動き出した。

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ヨコ糸を通すシャトルが止まると、成田さんが慣れた手つきで交換していた(写真:筆者撮影)

ここにある織機はいずれも40~50年前に製造されたもので、昭和後期独特の無骨さとエモさを醸し出している。中にはトヨタ自動車の創業者、豊田佐吉が発明した自動織機もある。

「最新の織機は高速で動くので、丈夫な化繊糸にしか対応できないんです。遠州綿紬のような繊細な布は、もう古い織機でしか織れません」

かといって、繊細な糸を織れる新しい織機を開発しようという動きはない。織るスピードを遅くしなければならないため、生産効率が悪いのだ。

さらに古い織機の部品は、一つひとつ鋳物で作られている。その鋳鉄部品を溶接できる工房は、浜松には1か所しか残っていないという。

つまり、この古い織機が壊れたら、遠州綿紬は終わり。技術が進化し、人々が生産性や効率を求めた結果、「誰も直せない機械」だけが残されるのだ。

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ガチャン、ガチャンと機を織る古い織機。以前は足踏み式だったが、現在はモーターを後付けして動かしている(写真:筆者撮影)

古くて「新しい」情景を未来へつなぐ

「近年、職人の高齢化に伴い、工房を畳む機屋が後を絶ちません。うちでは現在、工房を畳む機屋の織機を買い取っています。今年の夏には、約50台を収容した大規模な工場が新たに立つ予定です」

他方、職人の世界に興味を持つ若者も増えているという。工場には、若い職人も増える予定だ。皮肉なことに、人々が効率化を求めれば求めるほど、手触りのあるものへの渇望は深まっていくのかもしれない。カセットテープが再注目されているように。

目の前を左右に走るシャトル、ガチャンと落ちる筬。埃をかぶり、歯車剥き出しで動く織機の、なんと美しいことか。令和の現代では決して見ることができない時代の重みとノスタルジー。旭さんがこの情景を見て、「新しい」と感じた理由がわかる気がした。

今夏には、50台の織機をずらりと並べた工場ができる。

「ガチャンと1回機を織りゃ、1万、2万と手に入る」――。

この夏、「ガチャマン景気」のころに聞こえた音が、浜松に戻ってくるかもしれない。

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50年以上前の織機がずらりと並ぶ小野江織物の工房。中にはトヨタの創業者、豊田佐吉が発明した織機も(写真:筆者撮影)