手塚治虫『ブラック・ジャック』が「たった22ページ」で読者を没頭させたワケ…プロ漫画家が語る名作のカラクリ

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誰もが知る手塚治虫の漫画の名作、『ブラック・ジャック』。わずか22ページに凝縮されたドラマが、なぜここまで読み手の強く心に残るのだろうか。『Q.E.D. 証明終了』シリーズなどで知られる漫画家・加藤元浩氏が、魅力的な漫画表現の本質に迫る。※本稿は、漫画家の加藤元浩『イマイチはなぜ生まれるのか? 脳が生み出す「通らない企画」』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

『ブラック・ジャック』の濃密ドラマが

わずか22ページに収まる不思議

 僕は手塚治虫の『ブラック・ジャック』を初めて読み、衝撃を受けました。あまりの面白さに、しばらくは体の奥に電気が走り続けているような不思議な感覚が消えなかったのを覚えています。

 それまで読んできたどんな漫画とも、何かが根本的に違っていたのです。その“何か”とは、いったい何だったのでしょうか?

『ブラック・ジャック』をご存じない方のために少し説明を加えておくと、物語の主人公は、天才的な腕を持つ無免許の外科医ブラック・ジャックです。

 どんな難病であろうと、彼にかかれば必ず治ってしまうという超人的な存在。しかしその治療には破格の費用がかかり、時には数千万円から1億円を超えることさえあります。治療費に苦しむ貧しい人々や、病によって人生が狂わされる人たち、あるいは逆に、大金を軽々と支払いながらも傲慢な態度を取る富裕層――。

 そうした人々に対し、ブラック・ジャックは沈黙のうちに、しかし鋭く的確に、手術という手段を通じて彼なりの答えを突きつけてゆくのです。

 そして驚くべきことに、それらすべてが、たった22ページという短いフォーマットの中に収められていたのです。

 物語としての起承転結はもちろん本格的な医学的知識までが、極めてコンパクトな構成の中に見事に溶け込んでいました。

 今あらためて考えても、『ブラック・ジャック』があの限られた紙面で、悩みを抱える主人公、それに関わる人々の価値観、そこから発生する事件の説明、そして解決、そこから生まれるテーマと豊かな物語世界を構築できていたことには、驚かされるばかりなのです。

 思えば、「なぜ『ブラック・ジャック』はこんなにも面白いのか?」という疑問は、僕にとって漫画家としての原点であり、創作という長い旅路の中で何度も立ち返る「問い」だったような気がします。

日本最古の漫画『鳥獣戯画』が

秀逸である理由

 日本最古の漫画とされることもある『鳥獣戯画』。この絵巻には、見る人を惹きつける独特の魅力があります。

 それは「情報量が少ないのに、躍動感がしっかり伝わる」という、一見矛盾するように思える特徴を持っているからだと思います。

 ウサギやカエル、サルといった動物たちが、人間のように相撲をとったり、転んだり、逃げたりする様子が、ほんの数本の線で生き生きと描かれています。細かい説明や背景がなくても、私たちはその動きや感情を自然に感じ取ることができます(図2-4)。

同書より転載

 なぜそんなことが可能なのでしょうか?その理由の1つは、絵の中の動きや表情が、私たちの頭の中にある「プロトタイプ」をうまく利用しているからだと考えます。

『鳥獣戯画』の動物たちは、そうしたイメージにぴたりとはまる「線の動き」を使って描かれているため、少ない情報でも私たちは「伝わる」と感じるのです。

 動物たちの姿は写実的に描かれているというよりも、人間の仕草に似た「らしさ」を抽出し、記号のように単純化された線で表現されています。だからこそ、私たちはそこに「楽しさ」や「躍動感」を自然に感じ取るのだと思います。

 このような表現は、情報をあえて省略することで、かえって伝達力を高めることができるという、日本の表現文化の1つの特徴を示していると言えるでしょう。

「次にどう動くか」を想像させる

『鳥獣戯画』の静止画

『鳥獣戯画』は、単に昔の滑稽な絵ではなく、「少ない線で多くを伝える」という考え方を体現した作品であり、その意味で今日まで語り継がれていると思います。

 また、この絵巻が特別な理由はもう1つあります。『鳥獣戯画』の線は、輪郭をなぞるだけでなく“運動の予感”を残します。跳ねる前の沈み、向き直る瞬間のねじれ、逃げる背の傾き――いずれも「次にどう動くか」を想像させる角度と長さです。

 情報は少ないのに物語が湧き上がるのは、線が「直前」と「直後」の典型(プロトタイプ)を同時に呼び出すからです。静止画なのに時間を感じるのは、私たちの側が“間”を補完する読解装置をすでに持っているからなのです。

 線を使ってプロトタイプを利用することで、「動き」や「気持ち」を簡潔に伝えるという発想は、現代の漫画やアニメーションと通じる部分が多く、『鳥獣戯画』が「日本最古の漫画」と称される理由がよくわかります。

「デフォルメ」だけでは

説明できない漫画の表現手法

 漫画のキャラクターの絵は、よく「デフォルメされている」と言われます。たとえば目が大きく描かれていたり、頭と体のバランスが現実とは違っていたりします。たしかに、普通の人間と比べると、形が変えられているのは明らかです。

 でも、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。本当に、漫画の絵はただ「形をくずしただけ」と言えるのでしょうか?

「デフォルメ」という言葉は、もともとフランス語で「形を変える」という意味です。そして、必要に応じて形をくずし、本質を強調するという意味で使われることもあります。そう考えると、漫画の絵はたしかにデフォルメと言える部分もあります。

 しかし一方で、漫画の絵をただ「デフォルメされたもの」と考えるだけでは、その本質を見逃してしまうかもしれません。むしろ、私たちの「脳の中にあるイメージ」、つまり「プロトタイプ」に働きかけているからこそ、漫画の絵はわかりやすく、伝わりやすいのではないか――そう考えることもできるのです。

 たとえば漫画では、普通に人を描くよりも、顔が大きめに描かれることがあります。4頭身や2頭身といったバランスでも、「変だ」とはあまり感じません。

 これは、私たちが人を見るとき、全身よりも顔に注目していることと関係しているかもしれません。つまり、脳の中では「人間とはこういうものだ」というプロトタイプが、実際の姿とは少し違う形でできているのです。

 そのため、たとえ頭が大きく描かれていても、「これは人間だ」と自然に受け入れることができます。漫画の絵が伝わりやすいのは、単に形をくずしているからではなく、私たちがもともと持っているイメージ(プロトタイプ)とうまく結びついているからではないでしょうか。

劇画のようなリアルな絵にはない

省略された漫画的な絵の魅力

 また、「驚いたときの顔」を表すために、漫画で目を「点」にして描くことがあります。もちろん現実の人間の目が本当に点になることはありません。でも、その絵を見たとき、多くの人が「驚いている」と感じ取ります。

 これは、私たちの頭の中に「驚いた顔はこうだ」というイメージがあり、その特徴をうまく捉えているからこそ伝わるのです。

 また、「デフォルメ」だけではないと考えるもう1つの理由は、「形をくずさない」静かな場面でプロトタイプを捉えるような表現を見ることがあるからです。

 たとえば、疲れて床に寝そべっている人や、海辺を静かに歩いている姿なども、形を変えるような強調を見せなくても、微妙なニュアンスが読者にはしっかり伝わるのは、「こういう動き方は、こういう感じだ」と脳が理解できるプロトタイプがあるからです。

 つまり、漫画の絵は、たんにデフォルメされているのではなく、「プロトタイプをどう刺激するか」を考えて描かれているのです。

 さて、冒頭でふれた「なぜ『ブラック・ジャック』はあれほど面白いのか?」という問いに、もう一度戻ってみましょう。いよいよ謎解きです。

 自分は昔から、劇画のように細かく描かれたリアルな絵よりも、省略された漫画的な絵の方が好きでした。どうしてかというと、物語をたくさん語ってくれる絵が好きだったからです。

 もちろん、緻密で美しい絵にも多くの魅力があります。

 でも、そうした作品は、情報量が多すぎて、物語の展開がどうしても遅く感じられることが多かったのです。

 その点、省略された線で描かれた漫画では、絵が物語の邪魔をせず、次々と話が進んでいきます。

絵に含まれる情報の量と

物語の密度の絶妙なバランス

 中でも『ブラック・ジャック』は、わずか22ページの間に多くのドラマが詰まっていて、1話終わるとまたもう1話という気持ちにさせられました。

『ブラック・ジャック』が特別だったのは、絵に含まれる情報の量と、物語の密度が絶妙なバランスだったからです。

 手塚治虫の絵は、写実的ではありません。ですが、読者の脳にある「医者っぽさ」や「恐怖」、「怒り」や「哀しみ」といった感情のイメージ――いわばプロトタイプ――にぴたりと沿っているのです。

 だからこそ、22ページという限られた空間に、深く印象に残るドラマを詰め込むことができました。しかも、その読み心地はスムーズで、強く心に残るものでした。

 ここで重要になるのが「絵の情報の多さが、必ずしも良いわけではない」という視点です。自分が劇画にあまりのめり込まなかったのは、緻密で情報量の多い絵で物語がゆっくり進むことがあまり好みではなかったのだなと思い返すわけです。

 このような状態を説明するのに役立つのが、認知心理学者ジョン・スウェラーが提唱した「認知負荷理論」という考え方です。

 これは、人の脳が一度に処理できる情報には限界がある、という事実をもとに、学びやすさの条件を説明する理論です。

 スウェラーは、人が今まさに使っている短期的な記憶=「ワーキングメモリ」に注目しました。

 これは「長期記憶」つまり知識が詰まった本棚に対して、「いま机の上で広げられる本」のようなものです。机が狭ければ、たくさんの本を広げられず、作業効率が落ちてしまいます。それと同じように、頭の中も一度に多くの情報が入ると混乱してしまうのです。

「気がついたら没頭していた」

最高の読書体験が生まれる構造

 この認知負荷には3つの種類があります。1つ目は、内容そのものが難しくて負荷がかかる「内在的負荷」。2つ目は、説明の仕方が複雑で理解しにくい「外在的負荷」。そして3つ目が、理解や記憶を深めるためにかけるべき「学習的負荷」です。

 スウェラーは、前の2つの負荷はできるだけ減らして、3つ目の「心地よい負荷」だけを適切に与えるのが理想だと述べています。

 これは、勉強だけでなく、読書にも同じことが言えます。たとえば、「この小説、すごくスラスラ読める」「気がついたら没頭していた」というときは、認知的な負荷がちょうどよくかかっている状態です。

『イマイチはなぜ生まれるのか? 脳が生み出す「通らない企画」』 (加藤元浩、講談社)

 逆に「読みにくい」「頭に入ってこない」というときは、情報が多すぎるか、表現が難しすぎて、ワーキングメモリが圧迫されてしまっているのです。

 情報が過剰だと整理が追いつかなくなり、言い回しが複雑だと何度も読み返すことになって疲れてしまいます。逆に、あまりにも単純すぎると退屈になり、内容に飽きてしまう。

 大事なのは、「ちょっと難しいけれど理解できる」「先が気になって自然とページをめくってしまう」ような“ちょうどいい負荷”があること。そこに、最も気持ちよい読書体験が生まれるわけです。

 そして『ブラック・ジャック』を読んだときの感覚は、まさにその「心地よい負荷」に支えられた体験だったのだと思うわけです。絵と物語の情報量のバランスが絶妙で、それが今でも記憶に残る強い印象を生み出してくれたのだと思います。