日本に約1700万人いるとされる「境界知能」の人たち…第一人者の医師が明かす「その実態」

7人に1人、日本に約1700万人いるとされる「境界知能」の人たち。

言語化が苦手、仕事の段取りを覚えられない、行動がワンテンポ遅い、対人関係の距離感が極端、金銭管理ができない、ダマされやすい……困っているのに気づかれなかった人々の実態とは?

発売即重版が決まった話題書『境界知能の人たち』では、当事者を見てきた第一人者の医師が、全体像をわかりやすく解説する。

(本記事は、古荘純一『境界知能の人たち』の一部を抜粋・編集しています)

「知能」を語ることの困難

みなさんは「境界知能とは何か」と聞かれたらどのように答えますか?

そのまま答えれば、「境界領域の知能(指数)」ということになりますが、はっきりと定義されているわけではありません。その理由は「知能」の定義自体が難しいからです。

知能とは、ヒトが進化の過程で発達させた、最もすぐれた総合的な知的能力といった漠然とした概念で、一般には「高ければよい」「低いと好ましくない」というイメージをお持ちの人も多いのではないでしょうか?

最近、人工知能の開発や活用は目覚ましいものがありますが、これは「高い方」への注目といえるでしょう。一方、本書のテーマである境界知能(ボーダーライン知的機能)は、「低い、ネガティブなイメージ」からの興味関心になっているように思います。

7人に1人が境界知能

では、境界知能とは何を意味するのでしょうか。

境界知能は、知能検査の数値(いわゆるIQ)で、70から84の範囲にある状態のことをいいます(図表1)。知的障害と平均値のボーダーにあるということです。

日本に約1700万人いるとされる「境界知能」の人たち…第一人者の医師が明かす「その実態」

かつて、知能検査で85未満(ここでいう境界知能と正常の線引きライン)が、知的障害(当時の用語では「精神薄弱・精神遅滞」)の診断基準に組み込まれていた時代もありました。現在の境界知能を知的障害に加えるという基準です。

ただ、ほどなくして70という数値がボーダーとなりました。その理由は、境界知能の人たちを支援に結び付けようというアメリカの支援団体の考えとは逆に、当事者からも障害者とされることやレッテル貼りへの反発があり、さらには正規分布に基づく理論値上では14%とあまりにも対象が多かったからと考えています。

日本の人口の約1700万人、7人に1人が境界知能に該当すると想定されますが、この段階で支援対象から外れたことになります。

境界知能と軽度知的障害との線引きは、知能検査の数値を用いて行われていますが、生活機能障害を含めた診断上の線引きは難しいと言えます。

実は、境界知能とは診断名ではありません。だからこそ、周囲から理解されず、境界知能の人は、学校や就労、社会生活において、学習、対人関係、自己管理の困難や生きづらさをかかえていることが少なくありません。そのため、成人期になっても家族のサポートを必要としている当事者も多いのです。

〔PHOTO〕iStock

知的障害と診断されれば、個別の配慮や支援が受けられますが、境界知能はそうしたシステムから除外されており、教育、医療、福祉、精神保健などのさまざまな支援に結び付いていません。

境界知能は気づかれないことも多く、周囲の無理解やいじめ、子ども本人の自己肯定感・自尊感情の低下、傷つきから、2次障害として、精神疾患、不適応、非行などの状況を呈してはじめて、医療や福祉、司法の現場で気づかれることもあります。

そのような場合であっても、併存症の支援や治療に専念され、境界知能の特性は見落とされてきました。実際、私の臨床体験を振り返ってみても、なかなか気づいてこなかったという反省があります。

境界知能=非行少年?

境界知能の問題が社会に広く知られるようになったきっかけは、一冊の本でした。医療少年院における勤務経験をもつ児童精神科医・宮口幸治氏の著書『ケーキの切れない非行少年たち』(2019年、新潮社)です。少年院在院少年の特性として「低知能、幼稚性、学習忌避」が強調されるなど、多くの方に衝撃を与えました。

しかし、境界知能が非行の矯正教育や学校の集団主義・訓練主義の風潮という文脈で興味をもたれ続けるのは、社会からの誤解や偏見を助長するのではないかという不安感を禁じえません。

境界知能は医学、福祉、保健、心理、教育、いずれの分野でも見落とされ、その要因や背景、社会の理解や配慮、そして支援ニーズがまったく検討されてこなかったのです。

2020年、NHK大阪放送局の番組で、成人の境界知能の人の生きづらさについて特集されました。私は番組からコメントを求められたことで、はじめて境界知能について調べることとなりました。

最初は「診断名ではないし、経験もなく、コメントは難しい」とも考えていましたが、日本発達障害連盟の理事(医学担当)としての発言を求められたこともあり、臨床経験を振り返って考えてみました。

その結果、精神疾患、不登校、いじめの被害、身体不調で受診している患者さんの中に、境界知能の人が多数含まれ、正常と考えられる知的機能の人や軽度知的障害で公的な支援を受けている人に比べて、臨床でかかわる期間や頻度が多い傾向にあることがわかってきました。

NHKの番組の反響は大きく、境界知能当事者と思われる人や家族からの意見、また福祉、人権、心理、医療の立場から支援の困難さに直面している職種の人からも問い合わせが増えました。そのような人たちに応えるべく、自身の考えや現状をまとめて講演なども行ってきました。

それでもまだ、境界知能について広く知られていません。そこで、境界知能の人たちの実態をしっかり知っていただくために、この本を書くことにしました。

本書の構成

本書は、3章で構成されています。

第1章は、境界知能とは何か、知的障害との連続性についての解説です。第2章は、私の臨床経験を振り返って、境界知能の具体的な事例を紹介します。第3章は、海外の潮流や国内外の取り組み、今後の課題などをまとめました。

巻末には用語解説と境界知能が疑われる様子のリストを載せました。そもそもこの国で境界知能についての書籍はほとんどありませんが、事例と用語解説とリストは本書の大きな特徴であると自負しています。

私が医師免許を取得して40年余りが経過しました。小児科の研修を進めていく中で、神経学を専門にしたいと考えていました。大学病院での研修や研究は、脳性麻痺、心身障害児、てんかん、筋疾患に加えて、最近は画像研究や遺伝子研究、疫学研究など多岐にわたります。

一方、一般の外来を行うと、高頻度で、不登校や学習、親子関係に困難さをかかえる子どもたちに接することがありました。診療を続けていく中で、発達障害、反応性愛着障害、睡眠障害など疾患概念だけでなく、社会の変化で顕在化してきた、子どものメンタル問題にも対処を迫られてきました。

〔PHOTO〕iStock

私は、対処法が難しい要因として、「自尊感情(自己肯定感)の低さ」と「トラウマ体験の多さ」という視点で臨床研究も行ってきましたが、境界知能という視点が抜けていることに気づかされました。

本書が、支援が必要な人の把握、境界知能の人たちに対する社会の理解と配慮が進むことの端緒となれば幸いです。

つづく「意外と知らない「境界知能」の実態…24歳男性の事例が教えてくれること」では、ADHDと不安障害と境界知能を抱えるIQ76の男性の具体的な事例を紹介していく。