リニア中央新幹線だけじゃない! 80年代、横浜で「世界初」営業運転があった! なぜ短命に? 幻の技術と夢の跡

半年で終焉した幻のリニア

 JR東海が手掛け、東京~名古屋間を結ぶ中央新幹線、いわゆるリニア中央新幹線は、開業時期が不透明な状況が続いている。2027年の開業予定が大幅に延期され、「最短で2034年以降」との見解が示されている。このリニア中央新幹線に採用された技術は、磁気浮上式リニアモーターカーの方式のひとつで、旧国鉄時代からの研究を起源とする「超電導リニア」というものである。

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 一方、日本のモビリティ業界には、旧国鉄とは異なる技術を用いて磁気浮上式リニアモーターカーの開発に挑んだ勢力もあった。そして、1980年代には神奈川県某所でその技術を活用した営業運転が実現した歴史がある。

 しかしそれは、わずか約半年で姿を消してしまった。日本初の営業運転が行われた磁気浮上式リニアモーターカーとは、一体どのようなものだったのか。その背景には、どのような物語があったのか。

国鉄による技術開発と試験車両の公開

 本題に入る前に、日本における磁気浮上式リニアモーターカーの開発の歴史を簡単に確認しておきたい。1970年代に子どもだった世代には、

「未来の乗り物!リニアモーターカー」

「新幹線より速い!」

と児童書や児童雑誌で紹介されたリニアモーターカーに胸を躍らせた記憶を持つ人も多いのではないだろうか。

 日本におけるリニアモーターカーの研究は1962(昭和37)年に旧国鉄が着手し、東京~大阪間を約1時間で結ぶ超高速鉄道の実現を目指し、1970年代以降に技術開発が本格的に進められた。これが広く注目を集めるきっかけとなったのは、1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)だった。

 後年、この万博を振り返る際にはアメリカ館に展示された月の石や、お祭り広場にそびえた太陽の塔が話題に上がることが多い。しかし、日本館に展示された磁気浮上式リニアモーターカーの模型も見逃せない存在だった。新幹線0系よりも先端が尖り、全体的に流線型のデザインが特徴のその模型は、来場者を未来への期待で魅了した。

 1970年7月発売の学習雑誌『4年の学習』(学研)には、上記模型のビジュアルとともに、アメリカ合衆国運輸省(USDOT)が開発中のリニアモーターカーのテスト車両の写真が掲載されている。また、当時はドイツでも同様の開発が進んでいたとされる。

 1872(明治5)年に新橋~横浜間で日本初の鉄道が開業してからちょうど100周年を迎えた1972年、鉄道総合技術研究所で試験車両「ML100」が初めて公開された。この試験車両は、大阪万博で展示された模型と異なり客車をともなうデザインではなかったものの、流線型の車体と「JNR(日本国有鉄道)」のロゴが入った未来的な外観が特徴だった。「ML100」の映像は当時のテレビや雑誌で大きく取り上げられ、未来の高速鉄道に対する期待を一層高めることになった。

リニアモーターカーのもうひとりの挑戦者

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運輸省など関係者に乗り心地が披露された日本航空HSST。神奈川・川崎市川崎区の日航実験場。1978年5月撮影(画像:時事)

 1970年代、前述のように旧国鉄とは別に磁気浮上式リニアモーターカーの開発に取り組む動きがあった。それは、モビリティ業界の大手企業によるものである。といっても東急、小田急、近鉄、阪急などの私鉄大手ではなく、自動車メーカーのトヨタや日産でもない。航空業界の巨頭、日本航空(JAL)だ。

 旧国鉄が進めていたのは、超電導磁気浮上方式を採用した超電導リニアモーターカーだった。一方、JALが開発していたのは、常伝導磁気浮上方式を採用するHSST方式だった。

 超電導リニアは、超電導磁石を使って強力な浮上力を発生させる。浮上高さは10cm以上に達し、非常に高い安定性を持つ。ただし、液体ヘリウムや液体窒素といった冷却装置が必要になる。1970年代の試験運転では、最大時速517kmを記録した。

 これに対し、HSST方式は常伝導磁石、つまり電磁石を使う。車両下部の電磁石とレール側に設置された誘導コイルの相互作用で浮上する仕組みだ。浮上高さは数ミリから1cm程度と低いが、冷却装置は不要だった。速度はシステムによって異なるが、構想では最高時速300kmを目標としていた。

 HSST方式は超電導リニアに比べて速度こそ劣るものの、静かで、都市内の交通や短距離の移動に適した技術とされていた。

成田空港アクセス改善を目指したHSST方式

 JALが陸上交通システムの開発に乗り出した背景には、日本の航空業界が当時直面していた課題があった。当時、開港準備が進められていた新東京国際空港(現・成田国際空港)は、都心からの距離が約60kmと離れており、アクセスの不便さが大きな懸念事項とされていた。そこで、JALはHSST方式によるリニアモーターカーを活用し、東京~成田間の空港アクセスを含めた新交通システムの開発を模索したのだ。

 1970年代後半、HSST方式によるリニアモーターカーの試験車両「HSST-01」が開発された。この車両は、流線型のデザインという点で旧国鉄の試験車両と共通していたが、航空会社らしい特徴として車体には2枚の垂直尾翼が取り付けられ、JALのシンボルだった鶴丸ロゴ(赤い円に白い鶴を描いたロゴ)が描かれていた。その未来的なフォルムは、空の技術を陸上交通に応用するという挑戦を象徴するものだった。

 しかし、HSST方式による成田空港アクセス構想は実現していない。具体的な建設計画が進む前に、コスト面や採算性の問題が壁となり、計画は断念されたのである。

HSST方式の継続と初の実用化

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つくば科学万博が行われた茨城県つくば市御幸が丘地区(画像:(C)Google)

 当初の計画は頓挫したものの、HSST方式の研究はその後も継続された。そして、乗客を乗せることが可能な試験車両「HSST-03」が開発された。この車両は、1985(昭和60)年3月から9月に茨城県で開催された「国際科学技術博覧会(つくば科学博)」で運行された。

 会場内には約350mの専用直線軌道が設置され、来場者が浮上走行を実際に体験できる画期的な試みだった。ただし、このときの最高速度は約30km/hで、

「新幹線より早い未来の乗り物」

”というイメージとは異なっていた。それでも、「HSST-03」が人を乗せて走行したことは、磁気浮上式リニアモーターカーの実用化に向けた重要な一歩だった。そして、4年後の1989年には、HSST方式による営業運転がついに実現する。

 1989年、つまり平成元年はバブル景気の絶頂期であり、日本各地で数多くの博覧会が開催される「博覧会ブーム」の真っ只中だった。この年、横浜市のみなとみらい地区を舞台とした「横浜博覧会(YES’89)」の会場で、HSST方式による営業運転が実現した。

 この運行は、期間限定ながら世界初の磁気浮上式リニアモーターカーによる営業運転として歴史的な意義を持つものであった。会場内には約800mのループ状専用軌道が設置され、新たに開発された約20人乗りの「HSST-05」が最高速度42km/hで運行され、会期中には約126万人が利用した。これは単なる博覧会会場内の移動手段にとどまらず、未来の都市交通技術を実証する試みでもあった。

技術の未来へ。「リニモ」とその役割

 横浜博覧会での運行は、2005(平成17)年に開業した「愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)」への技術継承という重要なステップとなった。

 リニモは、世界初のHSST方式を採用した磁気浮上式リニアモーターカーの常設営業路線であり、同年の「愛知万博(愛・地球博)」に合わせて開業した。この路線は、名古屋市東部の藤が丘駅から八草駅までを結ぶ全長8.9kmの区間に敷設され、最大勾配6%にも対応した設計が特徴だ。HSST方式は改良を重ね、より安定した浮上と運行を可能にする技術的進化を遂げた。

 リニモは、地域住民の日常生活を支える交通手段として現在も運行され、地元の生活路線として定着している。

リニア中央新幹線はいつ実現するのか?

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愛知高速交通東部丘陵線(画像:愛知県)

 リニモは、HSST方式による短距離輸送の新たな可能性を実証した。ただし、その姿は1970年代の子どもたちが夢見た新幹線より速い未来の乗り物とは異なる。そうした夢を具現化する存在は、やはり超電導リニア技術を基盤としたリニア中央新幹線だろう。しかし、その実現には多くの課題が立ちはだかる。

 環境面では、南アルプストンネル(静岡県区間)の掘削により、大井川の水量減少が懸念されている。あわせて、トンネル掘削による山林の破壊や生態系への影響も指摘されている。静岡県は、これらを理由にトンネル工事への同意を保留している。

 経済面でも問題は多い。JR東海は当初、約7~9兆円を投じて2027年の開業を目指していたが、工事費の高騰によりさらなる費用増が見込まれている。巨額の建設費に見合うだけの利用者を確保できるかは不透明だ。また、財政投融資などの公的資金が投入されており、間接的に国民がその負担を担う構図となっている。

 計画の面でも不透明さが残る。品川~名古屋間の先行開業を掲げる一方で、名古屋~大阪間については具体的な工事計画が立っていない。

 安全面にも懸念がある。超高速運行における耐震性の確保が課題とされており、特に長大なトンネル区間では災害時の安全性に対する不安が根強い。

 こうした課題は一朝一夕で解決できるものではない。なかでも環境問題は深刻で、開通そのものが本当に最善の選択なのかという根本的な問いが突きつけられている。静岡県がトンネル工事に同意しない限り、リニアの開業はさらに遠ざかる。果たして、半世紀以上にわたる研究の結晶が日の目を見る日は訪れるのだろうか。