元なでしこ・宮間あやさんが表舞台に戻った理由

宮間あやさん(写真:今井康一撮影)
引退から9年経って――
2025年3月、なでしこジャパンの黄金時代を支えた司令塔・宮間あやは突如表舞台に戻ってきた。日本サッカー協会(JFA)女子委員会委員長補佐に就任し、日本女子サッカーの未来に関わることを決断した。
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前編で語った「引退」から約9年。数々のオファーを断り続けてきた彼女が、なぜこのタイミングで戻る決断をしたのか。そこには、彼女が一貫して大切にしてきた「仲間」の存在があった。
2011年にドイツで開催された女子ワールドカップで、日本サッカー協会のスタッフとして彼女の活躍を見てきた筆者がインタビューを行った。
14年前、女子ワールドカップ開催地のドイツに渡る前、なでしこジャパンは愛媛県松山市で国内最終合宿を行った。5~6人の報道陣が待つ取材エリアに、いつものように最後に現れた宮間は、しっかりと前を見据えてこう断言した。
「ここからワールドカップが終わるまで、1日も優勝するという目標を忘れず過ごしたい」
「すごいことを言う人だ」。現地にいた筆者は思ったのだが、宮間は当時を振り返ってこんなふうに話した。
「優勝しますというのは、どんな大会に臨むときにも言っていますね。優勝を目指さないのであれば、大会に出る資格はないと思っているので。でも、過去に優勝した経験はなかったので、あのときも優勝する想像はできてなかったです」
想像はできていなかったが、覚悟は決まっていた。彼女にとって「覚悟は、一生のキーワード」だった。

W杯での「覚悟」について語る(写真:今井康一撮影)
「なでしこ」が世界一になれた理由
「勝ってもいい覚悟がなければそこに立ってはいけないし、負ける覚悟もしていないといけない。すべてにおいて、自分の人生を懸ける覚悟がなければ、日本代表として日の丸をつけてピッチに立つ資格はないとずっと思っています。試合に出る覚悟も、出られなくてもチームをサポートする覚悟も、途中から試合に出る覚悟もそうです。全員がチームのために自分の役割を果たす覚悟があったからこそ、優勝という結果を得られたのだと思います」
覚悟が決まっていなければ、多くの場合よい結果は生まれない。一方で、覚悟が十分にあったとしても、結果を得られないときもある。
結果を出せる組織とそうでない組織、その明暗を分けるものはどこにあるのだろう。宮間は、なでしこジャパンが世界一になれた理由を「運」だと言い切る。
「当時の自分たちの実力は、アメリカやドイツと10回試合をして1度勝てるか勝てないかの力関係でした。だから、14年経った今考えても、運でしかないなと思います。逆に言うと、さまざまな努力や準備を積み重ねて、そこに運が乗っかれば勝てる、とも考えています」
ただし、この運は「チームで積み上げていくもの」だと宮間は続ける。
「アスリートであってもなくても、例えばゴミを拾うとか、困っている人を助けるとか、個人で運を積み重ねている人は多くいますよね。ですが、団体競技で結果を出すのであれば、チームとして運を積み上げることが必要なんです」
チームで積み上げる運とは、「結局は毎日手を抜かずに練習や対話を続けること」だという。
「例えば、2011年は東日本大震災が発生しました。そのようななかで私たちはサッカーをすべきなのかと数カ月間、みんなで腹を割って話しました。議論の末に、全員が自分のためではなく、日本のためにサッカーをして勝とうと努力を重ねた。1人でもその思いを欠いてしまっていたら、つかめなかった運だと思います」
自分のためではなく、誰かのために。チーム全員が手を抜かずプロセスを積み上げたことで、サッカーの神様は微笑んだ。

自分ではなく、誰かのために……(写真:今井康一撮影)
強いリーダーシップでチームを守る
しかし、なでしこジャパンも最初からサッカーの神様に愛されるチームだったわけではない。筆者は直前合宿から頂点に立つまでの約2カ月間、近くでなでしこジャパンを見てきたが、蜘蛛の糸のように細い「運」が強い風にあおられ、切れそうになるのを何度も目撃した。
そして、その強風の前に立ちはだかり、強いリーダーシップでチームを守っていたのが宮間だった。
スポーツチームであれ、企業であれ、組織がうまくいかなくなる要因の1つに、チーム内の温度差がある。試合に出られない選手が不平不満を表出したり、モチベーションが下がってしまったりすれば、チームは崩壊しかねない。
ワールドカップ中の宮間は、自分は主力組であるにもかかわらず、サブのメンバーが残って練習をしていれば、必ず最後の1人が練習を終えるまでグラウンドに残った。練習をしている選手のかたわらでストレッチをしながらボール拾いをしたり、元気がない選手に声をかけたり。
そうした彼女の気遣いによって、スタメン組とサブ組は温度差をなくし、控え選手のモチベーションは維持された。筆者は20年近くスポーツの現場にいるが、そこまでチームのために動く選手を、後にも先にも宮間以外に見たことはない。
「単純にみんなと一緒にいるのが楽しかったんですよ。私は仲間が楽しんでいるところを見ると楽しい。反対に、仲間が悲しんでいるとすごく悲しくなる。私にとっては絶対に傷つけられたくないものが仲間だったので、大切なものを守るために、自分はどうなってでもがんばりたいという覚悟でした」

仲間の楽しみや喜びは自分の楽しみであり喜び(写真:今井康一撮影)
表舞台に戻ってきた理由
宮間は今、ワールドカップをともに戦った指揮官、佐々木則夫日本サッカー協会女子委員会委員長の補佐を務めている。「これまでいろいろなお話をいただきましたが、自分にできる役割を見出せず、お断りしてきました」と話す宮間がこの役職を引き受けたのもまた、“仲間”のためだ。
宮間が言う“仲間”とは、特定の大会やチームでともに戦ったチームメイトだけを指すのではない。
自分がサッカーを始める以前から女子サッカーを脈々とつないできた先輩たち。同世代のチームメイト、対戦相手。そして、今現役でプレーをし、再び世界一になることを目指している後輩たち。
女子サッカーという競技に携わるすべての人のことを含んでいるのだと、このインタビューを通して強く感じた。
彼女らの世代が代表ではなくなってから、高倉麻子ジャパン、池田太ジャパンと続き、昨年ニルス・ニールセン監督が就任した。
「ワールドカップ優勝メンバーで、その間日本代表で居続けたのは、熊谷紗希と岩渕真奈、鮫島彩、阪口夢穂。私たちの世代が先輩から受け継いできたものを、この少ない人数でつないでいくのは、かなり酷だったと思います。サッカーの戦術的な面でもメンタルの面でも、うまく世代交代ができなかったことに関して、年を経るごとに申し訳ない気持ちが大きくなっています」
だから、戻ってきた。
なでしこジャパンは2027年の女子ワールドカップで世界一に返り咲くことを目指している。宮間の女子委員長補佐としての主な仕事は、いまの女子サッカー選手たちの環境を少しでもよくするように整備することだ。それに加えて、代々のなでしこが受け継いできたものを今の選手に渡していく役割も果たそうとしている。
今の現役選手たちといると、たまに「あやさんたちのときはどうだったんですか?」と聞かれるという。
「そんなときは、例えば『“奇跡の4部練”というのがあったよ。朝起きて浜辺を永遠に走って、ご飯食べて練習して、ご飯食べて練習して、ご飯食べて筋トレだよ』と昔の話をするんです。『絶対無理!』って即答されますけど(笑)。でも、無理でいいと思うんです。正直、私も無理でしたからね」
宮間自身は前編で書いたように、さまざまなものを犠牲にしてサッカーにすべてを捧げてきた。それが貫けなくなったことを理由に、ピッチを去った。だが、自分がそうだったからといって、Z世代の現役選手たちにそのやり方を押し付けることはしない。
「一番よくないのは知らないことなので、そういう時代があったということや女子サッカーの歴史をなんとなくでも知っているということが大切なんです。知ったうえで、選択肢を多く持って、自分自身が選び取ることが重要だと思っています」
サッカーに間違いはない
サッカーは1人ひとりの選手の選択の連続で成り立っている。宮間は「サッカーに間違いはない」と力を込める。
「サッカーは手を使わないこと、ファウルをしないこと以外は何をしてもいいスポーツ。映像を示しながら、『このシーンではこの選択はよくなかった』と指摘する指導者がいますが、その選択が間違っていたなんて誰にも決められないと私は思っています」
「もちろん、その判断が失点につながったらチームとして取り返すのは大変ですが、だからといって、その選択が間違っていたとは言えません。そのプレーがダメだと否定されれば、その選手はその先にあったはずの未来を見なくなってしまいます。そんなに悲しいことはないですよね」
宮間は、初めて会った日のように、まっすぐ前を向いて微笑んだ。
「サッカーは人生の縮図みたいなもの。サッカーにも、人生にも、間違いはないんです」

サッカーにも、人生にも、間違いはない(写真:今井康一撮影)