あなたは"シュレーディンガーの猫"説明できる?

人間が実験をすることは観測ですが、人間が見ただけならどうでしょうか?(写真:HoodyHoony/PIXTA)
量子力学における観測の謎
量子力学では、電子など物質の場所は「存在する確率」でしか表現できません。確率というのは、複数の可能性が重なり合った状態と言ってもいいでしょう。
【イラストで見る】「確率解釈の波」「シュレーディンガーの猫」って何?
例えば、原子核の周りにある電子の状態は、原子核を取り囲む雲のように描かれることがよくあります。しかし、電子が実際に雲のようになって原子核の周りを取り囲んでいるわけではありません。電子が存在する確率の高い場所を濃く、低い場所を薄く表すと、雲のようになるだけです。
実際、電子を観測すると、量子力学で計算された波動関数の示す確率分布に従って、どこか一点で見つかります(図)。では、その直後に同じ原子内の電子を観測したら、電子はどこで見つかるでしょうか。

(画像:『95%の宇宙』より)
元々の波動関数に従って、確率的にいろいろな場所に見つかるのでしょうか。そうはなりません。最初の観測に続けてすぐに行った観測では、電子は必ず最初の観測で見つかった場所のすぐそばで見つかるのです。
この事実を説明するために、ボーアは波動関数の「収縮」という概念を唱えました。これは、ボーアがいた場所にちなんで「コペンハーゲン解釈」と呼ばれています。
コペンハーゲン解釈
電子の波は我々が見ていないときだけ広がっていて、我々が電子を観測すると、波は収縮して一点に定まってしまうという解釈です。
この波動関数の収縮は、シュレーディンガー方程式(や対応するハイゼンベルクの方程式)では説明できず、理論に新たに導入された仮説です。この考えを当てはめれば、前述の電子の位置に関する問題は、一応説明はできます。
しかし、この考えには大きな問題点があります。まず、「観測とは何か」が定義されていないことです。人間が実験をすることは観測ですが、人間が見ただけならどうでしょうか? コペンハーゲン解釈によれば、これも観測です。
では、犬が見るのであればどうなのでしょうか? ハエだったら? はたまた、細菌やウイルスが観測対象に衝突したときは? 原子などのミクロなものが観測対象に当たったときには通常、観測とは見なしません。では、観測と見なすか見なさないかの線引きはどこでするのでしょうか?
ボーアが生きた時代には、量子力学は電子などのミクロな世界を記述する理論であり、私たち自身や観測器などのマクロな世界は古典力学で記述される、ということで十分でした。しかし、現在のテクノロジーは、数十もの原子からなる大きな分子でも量子的な干渉を観測することを可能にしました。また、測定器なども非常に小さなミクロなものがつくられています。両者の境界の「幅」は狭まっているのです。
シュレーディンガーは、このミクロとマクロを完全に分けて考えるボーアの考え方に異を唱えました。彼の異論は、有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験に凝縮されています。

(画像:『95%の宇宙』より)
シュレーディンガーの猫とは、放射性元素を組み合わせた毒ガス発生装置を仕掛けた箱の中に猫を閉じ込めたときに、何が起こるかを考えたものです。この状況で、放射性元素が崩壊すると、毒ガスが発生し猫は死んでしまいます。しかし、放射性元素が崩壊しなければ猫は死にません。ふたを閉じると箱の中は外から見えなくなりますが、このとき猫はどうなってしまうのでしょうか。
放射性元素の崩壊はミクロの世界の現象なので、崩壊するかどうかは、量子力学で記述されます。つまり、確率でしか表現できません。すると、観測する前の箱の中は、放射性元素が崩壊していない状態と、崩壊している状態が重なり合うはずなので、猫も生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているということになります。
これ自体は、問題はありません。しかし、コペンハーゲン解釈では、箱を開けて中を観測した瞬間に放射性元素が崩壊しているかどうか決まり、「猫の状態も一瞬で決まる」ということになってしまいます。マクロなものにこのような変化が一瞬で起こるという理論を構築することは、ほぼ不可能に見えます。
シュレーディンガーは、原子の世界のようなミクロの現象が猫の生死というマクロの世界の現象にも影響を与える例を示し、ミクロの世界の現象とマクロの世界の現象を分けるのは道理が通らないと主張したのです。
多世界解釈
このコペンハーゲン解釈と対照的な考えに、20世紀半ばに出てきた「多世界解釈」があります。
これは、アメリカの物理学者ヒュー・エベレット3世が大学院生時代に書いた博士論文にある「パラレルワールド論」がもとになっています。彼は、量子力学が自然の基本原理であるならば、その原理は宇宙全体に適用されるはずだと考えたのです。
そして、量子力学による世界の分岐は、シュレーディンガー方程式に従って連続的に、そして自動的に起こるものであり、波動関数の収縮などといった人為的な概念は必要ないとしたのです。
コペンハーゲン解釈では、観測──それが何であれ──をした瞬間に、実験で確認された世界以外の並行宇宙はすべて瞬間的に消え去ってしまう、と考えます。それに対して、多世界解釈では、実験や観測をしたとしても、それ以前に存在した並行世界はその後も存在し続けると考えます。実験後は、ただ単に異なる世界を感知しづらくなるだけだというのです。

(画像:『95%の宇宙』より)
あらかじめ組み込まれていたメカニズム
これは、ご都合主義的に感じられるかもしれませんが、そうではありません。先に見たように、量子力学では、粒子が異なる場所に存在する世界の干渉は、ある確率で起こります。そしてこれは、人間のような、数多くの粒子でできた存在が干渉する確率は、極めて小さいことを意味します。量子力学では、たくさんの粒子からできたものは事実上干渉しないのです。
重要なのは、これは観測した瞬間に並行世界は消えてなくなるなどという人為的なルールを入れなくても、自動的に起こることだということです。観測とは、実験装置を通して私たちが観測対象と相互作用することに他なりません。そして、このような相互作用が起こった後には、異なる結果を得たような世界の干渉は無視できます。つまり、量子力学には、私たちのようなマクロなものが並行世界を感じないというメカニズムが、あらかじめ組み込まれていたのです。
ちなみに私は、多世界「解釈」という用語は極めて紛らわしいと思っています。これだと、コペンハーゲン解釈と多世界解釈では、その解釈が違うだけで、物理としては同じであるという誤解を生むからです。これは正しくありません。
多世界解釈では、観測後も、異なる観測結果を得た世界は存在し続けます。そして、これらの並行世界は事実上干渉しないだけであって、原理的には干渉させることが可能です。一方で、コペンハーゲン解釈では、観測後には別の世界は完全になくなってしまいます。しかも、先に述べたように、それがいつ起こるかはしっかりと定義されていません。
このように量子力学は、多世界解釈を通じて、並行世界の存在を強く示唆します。これらの並行世界では、粒子の配置、ひいてはその集まりでできている人間の行動、天体の運動までもが違っていると考えられます。つまり、歴史の違う世界が並行して存在していると考えられるのです。