遊びの誘惑に負けて…国立医学部まで5浪の道

中高時代には麻雀にどっぷりハマったという
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は岡山高等学校から5浪して岡山大学医学部に進んだ石戸佑典さんにお話を伺いました。
麻雀づけで予備校通わず…あるきっかけで成績UP
今回お話を伺った石戸さんは、5浪で岡山大学医学部に合格された方です。
【写真を見る】麻雀にはまり遊びほうけて…浪人生活で「いつも口だけで努力できない最低の人間だと気づいた」という石戸さん
「雀荘を開きたい」と思うほど中学時代から麻雀にハマっていた石戸さんは、1浪・2浪と予備校にほぼ通わなくなり、麻雀づけの日々を送ります。
しかし、3浪目のある経験がきっかけで勉強を頑張るようになり、彼の成績は大きく伸びることになりました。
どうして彼は3浪で意識が変わったのでしょうか。5浪を経て、彼が得たものとはなんだったのでしょうか。詳しくお話を伺います。
石戸さんは、岡山県の倉敷市に生まれ育ちました。小さい頃は明るく、面白いことをするのが好きな子どもだったという石戸さん。
小学校低学年の頃は成績がよくなかったそうですが、兄の受験を機に勉強をするようになり、成績がよくなりはじめたそうです。
「幼稚園のときから小2までは学校が面白くなくて行っていませんでした。小1の頃のテストは30点を取ることもあり成績がいいとはいえませんでしたね。小3から学校に行くようになり、勉強もするようになって成績がよくなりました。小4になると、兄の受験の影響で中学受験専門の塾に通い始めました」
中学受験では第1志望だった岡山中学校・高等学校に無事合格。中2までは同級生が140〜150人いる中で10位以内をキープしていました。

幼少期の石戸さん、小学校低学年では成績が良くなかった(写真:石戸さん提供)
大阪大学を「阪神大学」と書いた…現役時の受験
高校1年生と高校2年生の頃には、生徒会長も務めるなど、課外活動にも励んでいた石戸さん。しかしこのころ、音楽と麻雀にはまったことがきっかけで勉強をまったくしなくなり、一気に成績が下降していきます。
「中学生くらいから、医者になりたいという気持ちと会社を経営したいという気持ちがありました。麻雀にはまった高校生の時は、将来は雀荘を開こうかな、と考えたりもしましたね」
医者と経営者、どちらもやるためにまずは医師になろう、と医学部を志望することにした石戸さん。
しかし、高校3年生になるまで成績は下がり続けました。
勉強もあまりしていなかったこともあり、現役での受験は「試しに受けとかないとダメだぞ」と先生に言われて出願した地元の私立大学薬学部にも不合格。国公立大学は前期は歯学部、後期は医学部を受けましたが、すべて不合格になります。
「都会が好きだったので、都会の医学部に行きたいとずっと思っていました。東京か関西の医学部を第1志望にしたいと思っていましたが、金銭的に私立大学の医学部に行く選択肢はありませんでした。それで『はんだい』を第1志望にしようと思って、高3の始めに志望校を書く欄に『第1志望:阪神大学医学部』って書いたんです。
そしたら『お前、阪神大学なんかないぞ』と友達に笑われて、先生にも笑われたのを今でも覚えています。そんな感じだったので将来のことはあまり考えてなくて、受験についてまじめに取り組んでなかったから、当時の成績を全然覚えていないんですよね(笑)」
誘惑に負けてバスケや麻雀…挙句に素行不良で退寮に
こうして駿台予備学校の京都校に入って浪人する決断をした石戸さん。彼は現役のときから浪人をするものだと思っていたそうです。浪人を決めた理由は、「医学部に行きたいけど、実力が届いてないからそれしかない」という感じでした。
しかし、1浪目は寮生だったこともあり、毎日夜中に麻雀をする生活を送ってしまい、成績は「現役のときから比べるとむしろ落ちた」といいます。
「初めての寮生活で友達もたくさんできたので、すぐに誘惑に負けてバスケットボールをしたり、麻雀をして遊んでいました。また、都会生活も初めてだったので、テンションが上がり、京都の街によく繰り出していました。夜は友達を自分の部屋に誘って騒いでいましたね。そんなことをやっていたので素行不良で11月に退寮になり、駿台にも通えなくなったんです。
どこも行くあてがなく岡山高校時代の先生に相談すると、『お前はどうせひとりじゃ勉強しないし、このままひとりでやると腐ってしまうから毎日学校に勉強しに来い』と言ってくれて、学校で勉強を見てもらえることになりました。当時学校では浪人生を受け入れる制度はなかったので、受け入れてくれた先生と母校には今でもすごく感謝しています」
しかし、この年も合格からは遠く、私立大学は同志社大学理工学部、前期試験は愛媛大学の医学部、後期試験は東京医科歯科大学の歯学部を受験するもまったく点数が足りずに不合格となります。
彼は当時の様子を「予備校に通ったら勝手に成績が上がると思い込んでいました。しかし、(勉強していないから)成績は上がらない。だから1浪目の秋ごろには2浪に突入すると思っていました」と語ります。
2浪目からは、ご両親や予備校の人たちに頭を下げてまた駿台の京都校に通わせてもらった石戸さんでしたが、結局この年も瞬間的に勉強をする期間はあったものの、長続きせず、相変わらず友達と遊んだり麻雀三昧の日々を送ってしまいます。
結果、2浪目もセンター試験の点数は7割程度。前期試験で岐阜大学の医学部を受けて不合格、後期試験は山梨大学の医学部に出願して、二段階選抜で足切りとなってしまいました。
志望校を東大理科3類に変更
流石にこのままではダメだと思った石戸さんは、3浪を迎えるにあたって予備校を代々木ゼミナールの京都校に変更します。
「すぐに誘惑に負けてしまう性格なので、3浪目は友達のいない状況を作ることで、勉強するようにしようと思いました。自分の今までの生活を振り返ってみると、このままいっても無限に浪人するな、絶対に医学部に合格できないなと思ったんです。勉強しようと思った大きなきっかけは2浪のときの失恋です。
最初は『なんで振られたんだろう?』と思いましたが、客観的に自分を見つめると、いつも口だけで努力できない最低の人間だと気づいたんです。このままじゃいけないな、努力できる人間にならないといけないなと思い勉強するようになりました」
3浪で初めて勉強らしい勉強を始めた石戸さんは、「この1年でものすごく成績が上がった」と語ります。
「実は3浪目から志望校を変更しました。夢は大きく持とうと思って、若気の至りで東京大学の理科3類を目指すことに決めたんです。親はずっと成績が悪い自分がそんなことを言い出したことにびっくりしていましたが否定はせず。『目指すのはいいけど、どこか地方の大学の医学部に受かりなさい。そこに合格してから(東大理科3類を目指して)浪人するのは自由だから』と言われました。
それから頑張って勉強をしはじめて5月の模試で、2浪まではE判定しか取ったことがなかった国公立の医学部で、初めてD判定が出ました。このときはメチャクチャ嬉しかったですね。勉強を続けているうちに、11月にはB判定も取れるようになりました」
センター試験でも前年度より大きく点数が上がり8割5分程度を獲得した石戸さん。しかし、前期・後期で香川大学医学部を受験するもこの年も不合格で4浪が確定しました。
やっと見つかった明確な目標
「香川大学がダメだったので、東大に行く夢は諦めました。4浪目は、親から金銭的な理由もあり岡山に帰ってくるように言われたので渋々帰りました」
しかし、京都の予備校に3年間通った経験から、石戸さんは新たな目標を見出すことに成功します。それは岡山で塾を展開することでした。
「京都の予備校に行って、教育レベルの高さに驚いたんです。こんなにわかりやすい授業があるんだと感動して。教え方1つで、こんなにも成績の伸び方は変わってくるのかと驚きました。だから、大学に入ったらすぐに塾を作ろうと思いました。塾生さんの人生を変えるような教育機関をつくりたいと。そして、これまで両親に散々迷惑をかけてきたから両親を喜ばせたいという思いや、地元の教育レベルを上げたいという思いから、岡山大学医学部を第1志望にして勉強を始めました」
代々木ゼミナールの岡山校に通った4浪目は、それまでに勉強の習慣や自分なりのやり方を身につけていた甲斐もあって、より一層成績が伸びました。
模試では岡山大学医学部のA判定が出はじめ、全国模試の成績優秀者の欄にも名前が載るようになりました。センター試験も8割の後半を確保し、前期で岡山大学医学部、後期で岐阜大学医学部、私立のおさえで大阪医科大学の医学部も受験します。
「正直な話、4浪目のときは今年こそは受かるだろうと思っていました。大阪医科大学は国公立大学と問題傾向が似ていたので、合格をもらって自信をつけようと思っていました。金銭的な理由から大阪医科大学は合格できたとしても行く予定はありませんでした。しかし、大阪医科大学も含めてすべて落ちてしまいました」
岡山大学には、最低合格点からわずか2点差の悔しい不合格だったそうです。
浪人する人生としない人生なら、しない人生を選んだほうがいい
こうして5浪目に突入した石戸さん。ただ、「成績を上げることは、塾を作ったときに生徒さんのためにもなるし、経営にも有利になるんじゃないか」というポジティブな理由でこの年もモチベーションを下げることなく、代ゼミで勉強に打ち込みました。
この年は、受けた模試で岡山大学医学部の判定はほとんどA判定、全国模試で10番以内を取れるようになっていました。受験本番では、センター試験で9割を獲得して、岡山大学医学部の2次試験では数学が9割、英語は8割、物理・化学はほぼ満点と余裕の点数を取り前期で合格しました。
「(合格したときの感情は)正直な話、そんなに嬉しくはなかったです。自己採点をして、確実に受かると思っていました。合格した喜びよりは、いよいよ塾をつくることができるというワクワクとした感情のほうが大きかったと記憶しています」
石戸さんに浪人してよかったことをお聞きすると、「自分と向き合える時間をもらったこと」「努力できるようになったこと」「人に感謝できるようになったこと」、頑張れた理由は、「能天気なところがあり、受験がしんどいという感覚がなかったから」と答えてくれました。

夢だった医師になることができた(写真:石戸さん提供)
「僕は、浪人する人生としない人生なら、しない人生を選んだほうがいいとは思います。ただ、自分自身のことに関して言えば、結果的にやってみてよかったことだらけだったなと思いますね。自分と向き合って成長する期間をもらえたし、浪人することで努力ができるようになったかなと思います。3浪目からは、結果も出していないのに浪人をさせてくれる親への感謝やサポートしてくれる周りの方への感謝がすごく大きくなりました」
石戸さんは、現在、内科医として訪問診療をしながら、大学1年生のときに創立した医学部専門の学習塾「医学部進学会」の経営を、現在に至るまで17年間続けています。医学部を卒業し、医師免許取得後は医大生の進級をサポートする塾、医学部進級対策ゼミ「医進ゼミ」も設立しました。
時間を無駄にしないで
「塾を始めた当初、生徒さんはたった7人だけでした。自分が理想とする教育を届けるために、自分ひとりで授業も面談も行うと決めて最初の2年間は人も雇わず四六時中、塾生さんのことを考えて指導に励んでいました。

授業をする石戸さん(写真:石戸さん提供)
その甲斐もあってか、初年度は塾生7人のうち5人が、岡山大学医学部、北海道大学医学部、金沢大学医学部、長崎大学歯学部、慶応義塾大学理工学部に合格しました。
余談ですが、そのときの塾生から、メッセージ付きのくまのぬいぐるみをもらいました。その中には『先生がいなかったら今の私はいないです』などうれしい言葉が書かれていて、今でも1番の宝物として大切に持っています。
医学部受験塾をしていて思うことは、僕自身もそうですが、『今の成績がダメだから浪人するしかない』と思う人がけっこういます。ですが、浪人をすることは当然ではないので、浪人ありきで物事を考えるのはやめてほしいなと思います。
一生懸命やった結果、手が届かなかったときに親に許可してもらって周りにサポートしてもらいながらできるのが浪人です。浪人すること自体が悪いとは思わないですが、浪人させてもらえたことを『ありがたい』と思って、僕みたいに時間を無駄にすることなく、一生懸命頑張ってもらいたいと強く思っています」
中学時代に思い描いた2つの夢であった医師と経営者。その両方を叶えた石戸さん。これからも医師と塾経営で、健康と受験に悩む人々の人生を変えていくのだろうと思いました。