「子どもが猛反対」ラーメン店主の東京移住の顛末

12年前の東京移住では、(写真:筆者撮影)
15年間休みなしのラーメン店経営

(写真:筆者撮影)
東北で飲食店を運営していたひとしさん・みきこさんが、姉と母の死をきっかけに東京に移住したのは2013年。
【写真アリ】今回お話を聞いたひとしさん一家。結婚時のふたりや、三男含む子どもたちとの様子も
東京移住後は休みが増え、心身にゆとりができたひとしさん一家だが、岩手県内でラーメン店を経営していた15年間は特につらい時期だった。
1999年に盛岡市内で大手ラーメンチェーンのフランチャイズ店を開業。順調なスタートを切ったが、翌年出した盛岡2号店でつまずいた。
「かなり巨額の設備投資をしたのですが郊外店で売り上げが全然伸びず、わずか2年で閉店しました。これによって1店舗の利益を2号店で背負った借金の返済に充てなければならなくなり、妻も夜に店を手伝うようになりました」(ひとしさん)
みきこさんは言う。
「特に主人はほとんど休みなく稼働していました。まとまった休みなんてなかったですね。家族旅行などもほとんどなく、せいぜい日帰りのドライブくらいでした。唯一行った泊まりの旅行といえば、岩手県内の温泉の宿泊券をもらったときくらいです。子どもには本当にかわいそうなことをしたなと思います」

ラーメン店主時代のひとしさん三男。親子の時間は貴重だった(ひとしさん提供)
以前三男が「他の家族は旅行に行っているのに、どうしてうちは行けないの?」と聞いてきたことがあったという。三男も事情は何となくわかっていたのでそれ以上は言わなかったが、父母が忙しすぎて寂しい思いをさせていたのは間違いない。
だが、東北の人たちは皆「いい人」だった。みきこさんがひとしさんを手伝いに行くときは友人たちが助けてくれたり、留守番してくれたりした。町内会の人も子どもを「ミニトマト採ろう」などと誘ってくれた。人情はやはり田舎のほうが強く、地域で助け合うことが当たり前だった。
「震災」と「母と姉の死」で閉店へ
それでもなんとか10年以上やってきたが、2011年3月11日に東日本大震災が起きた。盛岡は内陸だったので被害は少なかったが、未曾有の地震と津波、そして原発事故によってひとしさん夫妻も1カ月間、店を休業した。
震災後、店の売り上げは下降線をたどった。さらに2013年、母の面倒を見ていた姉に胃ガンが判明し亡くなった。そして母も、姉の1カ月後に亡くなった。立て続けに不幸が続き、ひとしさんの心境にも変化があった。
「ラーメン店も売り上げが厳しくなり、どうしようかと思っていましたが、姉も母も亡くなったことで東北にいる必要はなくなった。そこで妻とも相談し、2人の死去を機に2013年6月に閉店し、東京に移住することを決めました。姉が母の世話で大変な思いをしていたのを見ていたので、今度は妻の実家近くに住もうと思ったのです」
みきこさんの実家は「男はつらいよ」の舞台である葛飾区柴又にあり、ひとしさんも「お義母さんの近くに行こう」と背中を押した。もともと母の近くにいたいと思っていたみきこさんにとっては、まさに渡りに船だった。
2013年9月、まずひとしさんが先に一人で東京に移り、タクシー運転手の職を見つけた。みきこさんは三男が中2になる直前のタイミング、2014年3月に東京に来た。

葛飾区柴又の帝釈天参道(写真:Masa / PIXTA)
「東京に移住すると言ったとき、盛岡で生まれた三男は猛反対しました。まさか自分が盛岡を出るとは思っていなかったようです。でも最後は諦め、泣きながら盛岡を出ました。結局柴又の実家の隣になるアパートに住むことになり、夫と私、三男による新たな生活が始まりました」(みきこさん)
家族が移住するタイミングでは、すでに結婚していた長男は盛岡に残ると言って東京には来ず、次男は名古屋の大学に進学。三男は東京に引っ越した後、方言の問題でしばらく学校になじめなかったが、1年経って担任の先生やクラスが替わると、かなり生活に慣れていったという。
「東京に来てからは夫も最低週1回は休めるようになり、生活は大きく変わりました。これまでは飲食業だったので休みもほとんどなく、私の母が東北に来ることはあっても、柴又の実家にはまったく帰れていませんでした。ですので、私の母は東京に戻ると言ったとき、すごく喜びました」(みきこさん)
家族5人が再び同居も
柴又には4年ほど住み、その後、長男と次男がさまざまな事情によって同居することになったため、区内の別の地区へ転居した。これによって、東京の地で家族5人が再び同居することになったのである。
「現在は三男は家を出ましたが、長男と次男は今も同居しています。三男以外はお酒が皆好きで、誕生日などの記念日、年末年始などはよく飲みに行きます」とひとしさんは嬉しそうに語る。
ひとしさんはタクシー運転手の職にすぐに慣れ、みきこさんは東京では介護事業所で働いている。
みきこさんは言う。「過酷な飲食業はもうやらないと決めました。子どもが小さい頃、仕事ばかりしていたことが本当に心残りでした。でも、今は子ども3人とも近いのですぐに集まれるし、東北にも墓参りなどで行く機会があり、かつての友人知人などにも会えます。東京に来てよかったと思います」
ひとしさんも続ける。
「私は人間関係も含めてどこに行ってもわりと平気なほうなのですが、年を取ってからだと移住などできません。私は昔東京にいましたし、タクシー会社の仲間もいる。
さらにギターで演奏会などもするようになり、趣味の時間もできました。時間は今のほうが圧倒的にあります。妻と2人で飲みに行くことも楽しみの一つです。今や休みが週1日では足りないくらいで、とても昔のような休みほぼなしの生活には戻れないと思います」

若かりし頃からギターを楽しんでいたひとしさん(写真:ひとしさん提供)
体力があるうちにしたいこと
ただ、ひとしさんが60代後半となり、定義上は「高齢者」になった。やはり年を取ってきたということは身をもって感じるという。
「昨年は2人で鎌倉に1泊2日の旅行をしたのですが、お寺の山道を夫が上れませんでした。過酷な労働をしてきて体力はかなりあったはずなのですが。もっと体力があるうちに旅行など行けばよかったとは思いました。今のまだ元気なうちに新婚旅行で行ったハワイにはぜひもう一度行きたいと思っています」(みきこさん)
今後は家族が集まれるうちに集まり、やれることをやることが目標だ。
ひとしさんは「ここ3年くらい体力は落ちてきましたが、家族全員で旅行に行きたいです。今まで行けなかった分行きたい。そういう意味で、東京に移住して時間の融通が利くタクシー運転手をやっていることはよかったなと思っています」と夢を描く。
寅さんの「男はつらいよ」における人生の名言として、「人間は、何のために生きてんのかな?」と訊ねた甥っ子への返答がある。
「生まれてきてよかったと思えることがなんべんかあるじゃねえか。人間、そのために生きてるんじゃねえのか?そのうち、お前にもそういうときが来るよ」
寅さんの地元を足がかりに東京移住を実現したひとしさん一家。「生まれてきてよかった」と思える瞬間を今後もたくさん経験することだろう。