芝浦の廃線跡。道路のヒビからわずかに顔を出すレールは都電の痕跡

都営交通の路面電車「都電」は最盛期に41系統があり、東京の中心部に軌道が張り巡らされていました。1972年に荒川線以外は廃止となりましたが、半世紀以上前の軌道がまだ残されていました。

都電廃止時には軌道を剥(は)がさずアスファルトで埋めた場所もあった

都電は私が生まれたとき既に荒川線のみとなっていて、東京中に軌道が張り巡らされていたのは、親の世代の話となります。27系統と32系統の一部区間が合体して荒川線となり、他の系統は1972年に全廃となりました。それから半世紀以上経った2025年。

道路上にあった併用軌道は廃止時に剥がすのですが、予算や時間的制約などの理由により、軌道をアスファルトで覆って道路としました。後年になって軌道がうっすらと現れることがあり、都電の軌道幅である1372mm軌間のヒビがアスファルトに浮き出たり、アスファルトが剥がれた箇所からレールの頭が出土したりと、突如として廃線跡が現れました。近年では、「廃なるもの」でも紹介したお茶の水橋架け替えや、神田川に架かる白鳥橋架け替えでレールが現れたこともあります。

都電廃止時には軌道を剥(は)がさずアスファルトで埋めた場所もあった, 埋め立て地一角の空間に都電線路幅のヒビを見つける, 行き止まりの空間に2本のレールの痕跡が浮かび上がる, 終戦前後の航空写真を見てポイントの存在を推測する

2024年秋には神田川の白鳥橋架け替えに際して、長年埋もれていた併用軌道が出土し、急きょ見学会が開催された(2024年10月15日)。

私が記憶しているのは渋谷駅東口です。たしか90年代半ば、歩道橋から都バス乗り場を見下ろすと、アスファルトの一部が剥がれてレールが露出し、鈍く光っていました。その頃には写真を始めていたのでのですが、なぜ撮影しなかったのだろうかと後悔しています。

大都会のアスファルト下の軌道を探し、愛でる。そのきっかけは写真家の丸田祥三さんでした。写真部だった高校生のときに丸田さんの作品を写真集で拝見し、廃線跡と廃墟へと導かれてその魅力にはまるようになり、都内にはまだ都電の遺構が存在すると知りました。

都電廃止時には軌道を剥(は)がさずアスファルトで埋めた場所もあった, 埋め立て地一角の空間に都電線路幅のヒビを見つける, 行き止まりの空間に2本のレールの痕跡が浮かび上がる, 終戦前後の航空写真を見てポイントの存在を推測する

芝浦の埋め立て地には都電の遺構がひっそりと佇んでいるという。

その一カ所が芝浦です。存在を知ったのはだいぶ前ですが、いつか行こうと思っているうちに元号が平成から令和となり、最近になってお茶の水橋や白鳥橋で都電のレールが出土し、丸田さんの新著でも紹介していました。この度、やっとのことで訪れたのです。

埋め立て地一角の空間に都電線路幅のヒビを見つける

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場所は芝浦2丁目です。この一帯は大正時代から埋め立て地となり、1910年代に東京市電の車両工場「芝浦工場」が建設されました。東京市電は戦時中に東京都電車「都電」となります。軌道は品川駅前〜上野駅前を結んだ1系統金杉線の東京港口停留場から東へと分岐し、東海道本線を潜って工場へと結んだ回送線で、芝浦線と称しました。

現在の地図で辿ると、芝四丁目交差点から国道130号を辿ってJRのガードを潜り、芝浦一丁目交差点で右折。旧海岸通りを南下して竹芝橋を渡り(竹芝橋から芝浦運河通りへと右折して田町駅芝浦口付近へ至る都電の倉庫線もあった)、芝浦2丁目交差点へ突き当たります。芝浦線はそのまま直進して、運河を渡った先に芝浦工場がありました。

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芝浦線の跡は4車線の道路「旧海岸通り」となっている。都バスの路線が一部区間をなぞっている。

その痕跡を辿ろうと、芝浦2丁目交差点へ立ちます。左手には冷蔵会社の倉庫、正面には運河を隔てて、高層マンションが聳(そび)える行き止まり道路の空間があります。マンションが立つ場所は「芝浦アイランド」というニュータウンですが、かつての芝浦工場の跡地です。

芝浦工場は都電廃止によって閉鎖され、回送線の芝浦線は廃止となりました。工場跡地はすぐに都バスのバス工場へと再活用されましたが2000年代初めに移転となって、跡地は2007年に再開発されました。現在はひとつの街へと発展しています。

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芝浦工場の跡地は芝浦アイランドとなって街へと発展した。写真中心あたりに都電の橋梁があった。

行き止まり道路の空間は、冷蔵倉庫のトラック転回エリアとなっており、日曜は倉庫も休みで静かな空間となっています。この道路に芝浦線の軌道が埋まっているのです。

交差点の横断歩道付近から、道路をよーく凝視します。つぎはぎだらけのアスファルトを凝視していると、「あ…… 見えた」。2本のレールが分岐するポイントが、うっすらと見えてきました。ポイントの跡まで残っていることに驚きます。

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アスファルトを凝視していると見えてくる…… 右へ分岐するポイントが。

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真上気味に見る。線路が右へと分岐する様子が見えてくる。

訪れたのは酷暑に近い真夏。決して熱さで頭がぼーっとして幻覚が見えたわけではありません。しっかりとアスファルトにヒビが入り、欠けた部分にはレールの頭も露出していたのです。よかった、幻ではなかったのだ……。

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分岐部を振り返って見る。うっすらとポイントが見えてくる。

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割れたアスファルトの裂け目から露出するレールの頭。

行き止まりの空間に2本のレールの痕跡が浮かび上がる

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軌道はうっすらと運河へと向かっています。ヒビを追っていきましょう。軌道はわずかにS字だったようで、緩い左カーブのあと右カーブとなり、直線となって運河へと延びています。

傍らには「芝浦二丁目納涼盆踊り大会」の掲示板が立ててあります。翌週、この場所で盆踊り大会が開催されるのですね(※記事配信時には既に開催終了)。ということは芝浦線の跡で盆踊り。ちょっと面白そうです。

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もうはっきりと軌道跡だと分かる。運河の先にあった芝浦工場へと痕跡が延びていた。

さて、軌道のヒビをゆっくり見つめながら歩いていきます。路駐してある車に阻まれたものの、その真下を見るとレールが露出している! 長さにしてわずか1m満たないものですが、たしかに2本のレールがアスファルトから現れていました。

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2本のレールが1mほどの長さで露出していた。確実にここに都電が走っていたことを表わしている。

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別日に撮影。レールの先に船路橋が架かっていた。

都電の廃線跡はほとんど道路となったり遊歩道となったりと、道に面影を残すものはありますが、道路の改修が進んだ現代でレールが残る痕跡を見つけるのは難しいです。ですが、ここにはずっとレールが顔を出した状態で佇んでいるのです。まるで、都電の足跡を辿る人を待つかのように。

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アスファルトは年季が入っていた。脆(もろ)くなっているのか、ここまで軌道跡が分かるとは……。

「ここ、都電の跡ですよ。あの公園にも説明があります」

じっとアスファルトを見つめる私に気がついた地元の方が、道路脇の公園を指さします。説明板には芝浦工場と再開発への経緯が記され、当時のレール断面が保存されています。運河を渡った橋は「船路橋」といい、再開発される2007年頃までは軌道を残した状態で橋が架かっていました。その橋は既に存在せず、隣に人道橋の船路橋を再架橋しており、路面のタイルには2本のレールと枕木を模した意匠が施され、ここに都電があった歴史をさりげなく語っています。

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船路橋は架け替えられたが、都電と芝浦工場のあった痕跡をモニュメントで遺している。

終戦前後の航空写真を見てポイントの存在を推測する

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以上で、半世紀前の都電遺構観察は終わりなのですが、ふと気になるのは、先ほどのポイントの跡です。ポイントは明らかに右側へ分岐している形状でした。私が調べて知った範囲では、この一帯の都電は芝浦線のみで、それは南北に軌道がありました。

ということは、芝浦線は複線で、芝浦2丁目交差点を過ぎたところで単線になっていたのでしょうか。念のため終戦直後からの空中写真を見ましたが、東側へと分岐する軌道は見当たらず、複線~単線であると推測します。

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アスファルトから顔を出しているレールの頭部分。

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ここには都電が走っていた。そう物語るレール。半世紀以上もよく残っていたものだ。

空中写真には船路橋らしき橋が架かっていますが、幅の違うものが2本架かっており、現場で見つけたS字カーブよりも角度がついた曲線が写されています。さらに冷蔵倉庫のある場所には古い倉庫が写っているのですが、その脇に貨車が沢山停車しています。この貨車を追うと、潮路橋を渡って芝浦埠頭へと至る貨物支線であることが分かり、芝浦線の周囲には貨物線もあったことが判明しました。

空中写真に写っていた2本の船路橋らしき橋ですが、数年後の航空写真では1本になっており、架け替えられたと思われます。2007年頃まで架かっていた船路橋は昭和29年竣工でした。戦前の航空写真にも幅違いで2本の橋が写っているから、道路用と鉄道用と分かれていたのかもしれません。

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戦前の航空写真に加筆した。右端は芝浦ふ頭となる。芝浦線は複線に見える(地図・空中写真閲覧サービス、日本陸軍撮影東京東部1936/06/11(昭11)空中写真を加工)。

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上記空中写真に戦後まもなくの写真を重ねる。芝浦二丁目交差点には芝浦ふ頭から貨物線が延びている(地図・空中写真閲覧サービス、米軍撮影東京東南部1948/03/08(昭23)空中写真を加工)。

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さらに15年後の同地点を重ねる。船路橋は1本になっており、軌道のS字曲線も緩やかになっている気がする。埋もれたポイント部分は判別しにくいが、右手に分岐している様子はなさそうだ(地図・空中写真閲覧サービス、国土地理院撮影東京東南部1963/06/26(昭38)空中写真を加工)。

こうして推測することしかできませんが、古い航空写真と現地の痕跡からアレコレ推測して楽しむのも、廃もの探求のひとつの嗜(たしな)みといいましょう。軌道の下に埋もれた都電の痕跡は、令和の世になってもずっとこのままの姿で佇んでいてほしいです。

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取材・文・撮影=吉永陽一

吉永陽一

写真家・フォトグラファー

鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。