給与を奪われ、80円のペンを買ったら怒鳴られた それでも離婚調停は不成立に 藤井セイラさんに聞く「DV避難の困難さ」

■80円のペンを買って怒鳴られる, ■カルト宗教やマルチ商法と同じ, ■「一度、実家に帰っては」は現実的ではない, ■結婚には「ゼクシィ」があるのに, ■夫から一度も謝られたことはない, ■地元に残っていたら孤立は防げたのか

 編集者・エッセイストの藤井セイラさんは、夫のDVに耐えかね、40歳の時に6歳と3歳の子どもを連れて家を出ました。DVからの避難は困難の連続で、離婚調停は不成立に。仕事や子どもの学校・園のことを考えると、地元・富山に帰るハードルも高い――。結婚そして離婚に直面している現在に至るまでの想いを聞きました。

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「付き合っている間、彼は『家事も何にもしなくていいよ』とこの上なく優しかった。でも、“擬態”だったと思います」

 DVは結婚前に見抜けませんか?と尋ねると、藤井さんはそう答えた。

 富山県の公立高校から東京大学に進学し、リクルートに就職。27歳で結婚すると、夫の態度は豹変したという。家事はすべて藤井さんの担当、給与は全額渡すよう要求された。

「念のために月3万円だけ別に貯めていたら、半年後に『少なくない?』と問いただされました。『少し心配だったから』と言った瞬間、振り上げた拳が頬をかすりました。それが怖くて、それ以降は手元のお金はすべて渡すように」

 掃除・洗濯・料理はもちろん、買い出し、ゴミ出し、害虫退治、調べ物や旅行の手配などもすべて妻の担当になり、少しでもミスをすると舌打ちされ、小突かれる。ただしお金だけは夫の手にあった。何度も逃げようとしたが、連れ戻された。

■80円のペンを買って怒鳴られる

「私はただ、感情をぶつける“おもちゃ”や“ゴミ箱”みたいな存在だったと思います」

 体に異変も起きた。味覚障害、皮膚病、メニエール病、気管支喘息。咳が止まらなくなり、出社も困難になる。夫から「好きな仕事だけをして生きていけばいいよ」と何度も優しく勧められて退職するが、辞めた途端、「俺がいなきゃ野垂れ死にだ」。

「辞めずに会社の休職制度を使うべきでした。経済力は手放しちゃダメ。夫に少しでも不満を伝えると、『俺より1円でも多く稼いでから言え』。ますます立場が弱くなりました」

 結婚前から持っていた自分名義の銀行口座やクレジットカードも解約させられ、夫の家族カードを使うようにと指示される。食品や必需品はそれで買うが、カード明細を一行ずつ細かくチェックされた。

「80円のペンを無断で買って怒鳴られました。子どもの習い事、洋服、見てよいテレビ番組なども、すべて夫が選んだものだけ。困窮はしていないけれど、自由はなかった。スマホのGPSで居場所も見られていたから、突然、出先に夫が現れて驚かされることも」

 子どもが生まれてからは抗うつ剤が手放せなくなった。年配の精神科医に相談したが「夫婦なんてそんなもん」と笑い飛ばされ、DV相談にはつながらなかった。

「逃げる直前の時期は、『私のすることは全て失敗します。あなたの言うことを聞いておけば間違いありません』と朝から子どもたちの前で復唱させられていました。立ったまま残飯を食べさせられたり、家の中で転ばされたり。毎日そうされていると、本当に『自分は無価値な人間だ』と思い込んでしまいます」

■80円のペンを買って怒鳴られる, ■カルト宗教やマルチ商法と同じ, ■「一度、実家に帰っては」は現実的ではない, ■結婚には「ゼクシィ」があるのに, ■夫から一度も謝られたことはない, ■地元に残っていたら孤立は防げたのか

■カルト宗教やマルチ商法と同じ

 だが驚くべきことに、藤井さん本人はDVだと自覚できていなかったそうだ。

「カルト宗教やマルチ商法と同じです。誰かに外に引っ張り出してもらうまで気づけません。私の場合はたまたま『変じゃない?』と言ってくれる友人が近くに引っ越してきて状況が変わった。彼女に勧められて行った役所の相談窓口で、ソーシャルワーカーさんに真剣な顔で『重度の経済的・精神的・肉体的DVです。お子さんにとっても面前DVで、虐待です』と言われ、目が覚めました」

 親しくても、夫婦関係への口出しは、遠慮してしまうもの。家出後に「実はおかしいと思ってた」と周りの女性からは言われたが、男性からは「驚いた」という声が多かったそうだ。「男女でも気づき方に差があるのかもしれません」

 いざ逃げようと思っても、誰もがすぐ安全な場所へ移れるわけではない。公的なDVシェルターは、命に関わる肉体的暴力を受けている人が優先だし、秘匿のために通勤や通学も制限され、社会的なつながりを失いやすい。

■「一度、実家に帰っては」は現実的ではない

 児童相談所、自治体の福祉課、警察からは「一度、お子さんを連れて実家に帰っては」と勧められたが、子どもは都内の幼稚園と小学校に通っていて、藤井さん自身にも仕事がある。現実的ではなかった。

「すでに40代。富山に戻ってまた東京に再出発するパワーが持てるかと考えると、無理だと思いました」

 だが、児相が強く父子別居を勧めているのに無視するわけにはいかない。児相に「不適切な養育」とみなされると、調査のために子どもを施設に「一時保護」される可能性もあるからだ。それだけは避けたいと考え、藤井さんは当初、弁護士を通じて夫と話し合いを試みつつ、一時避難のつもりで子どもたちと1カ月、都内のビジネスホテルを転々とする。お金も手間もかかった(現在は完全に別居)。

「うちはなんとかホテル避難できましたが、それも難しく、また、実家を頼れない人もいるはず。公的機関は女性に『実家へ』と勧めますが、実家以外の逃げ場所も必要です。生活を立て直すために一時入居できる『大人の寮』のような場所があれば」

■80円のペンを買って怒鳴られる, ■カルト宗教やマルチ商法と同じ, ■「一度、実家に帰っては」は現実的ではない, ■結婚には「ゼクシィ」があるのに, ■夫から一度も謝られたことはない, ■地元に残っていたら孤立は防げたのか

■結婚には「ゼクシィ」があるのに

 結婚には「ゼクシィ」のような雑誌があるが、離婚の情報を集めるのは困難だと気がついた。そこで集英社のウェブサイトでDV避難エッセイ「逃げる技術!」の連載を始めた。すると、大量の抗議が寄せられた。

「ほとんどが男性からで、『女に逃げ方を教えるなんて』と。生活に必要な知識を伝えたいと思っただけなのに、激怒する人がいることに驚きました。一度結婚したら家庭のもの、という考え方なんですね。女性が自分の意思で動くことに怒りを覚える人たちがいるんだ、と知りました」

 恐ろしい領域に足を踏み入れたと感じた。いまでも放火予告や殺害予告が寄せられたりもするという。でも、もう覚悟は決まっている。

「わたしたち40代女性は氷河期世代の終わりを生きて、就職試験や仕事の待遇で男性と差がつけられることを『当然』だと受け入れてきました。でもこれからは、女性も男性も、相手と対等な人間関係を築いていく方法を模索する時代だと思います。DVや離婚に関する情報を伝えていくことで、これから結婚や同居をする若い方にも、熟年世代の方にも、対等なパートナーシップについて考えてもらえたら」

■80円のペンを買って怒鳴られる, ■カルト宗教やマルチ商法と同じ, ■「一度、実家に帰っては」は現実的ではない, ■結婚には「ゼクシィ」があるのに, ■夫から一度も謝られたことはない, ■地元に残っていたら孤立は防げたのか

■夫から一度も謝られたことはない

 長引いた2年間の調停は、残念ながら不成立に終わった。夫はまだ再構築を希望しているので離婚できない。DVから逃れるのは困難なのだ。あとは訴訟しかない。

「家を出てから、一度も謝られたことも、子どもの健康状態を聞かれたこともありません。加害は自覚しないと直せない。でも、加害者がそれを自覚することは難しいんです」

 子どもの頃、地元・富山では「誰々が離婚した」というのは大人たちの噂のネタだった。自然と「離婚=悪」だと思い込んでいたと言う。

 「子どもの頃は、まだ葬式もセレモニーセンターではなくお寺や公民会で行い、町内会の婦人部が食事や会場設営を担っていました。正月や祭りでは男性はひたすらお酒を飲むだけ。小学校高学年にもなると『色気づいた』などと揶揄われながら女の子は配膳やお酌を手伝わされます。『こうして男性のために立ち働くことが正しいんだ』と思って一生懸命あわせる一方、『外に出たい』と必死で勉強して進学しました。もし生まれる時代が10年あとだったら、東大進学も難しかったかも。地元は人口減少が進み、工場やお店も閉鎖が目立ちます。家業も傾いて、高騰する大学の学費や、東京の家賃を捻出してもらえなかったでしょう。いま、地方では『進学は地元で』『大学に行くなら隣の県までにしときなさい』と言われている女の子が増えているのでは、と心配です。ふたたび男女格差が広がっていきます」

■地元に残っていたら孤立は防げたのか

 藤井さんがもし地元に残っていれば、離婚をするとなっても、実家のサポートを受けることができ、孤立も防げただろうか――。

「どうでしょう。そもそも結婚しない生き方を選んでいたか、DVを受けても離婚できなかったかも。そっちのほうがこわいです。日本ではいま、男性も女性も非婚の人が多い。シングル親や、高齢化で死別のひとり世帯も増えています。恋愛結婚をベースにしない助け合いの形が必要です。家族や血縁の枠にとらわれず、支え合う生き方が広がっていくのではないでしょうか。介護だけでなく、『ゆるい支え合い』を行政が補助したり、性別関わらずパートナーを認定したりする仕組みができるといいですね。それが個人の安心にも、社会保障費の削減にもつながると思います」

(構成/AERA編集部・井上有紀子)