「彼が運転する車で事故に遭い、右腕が...」事故に遭ってもマイペースな彼女。同僚男子2人が抱いた違和感の正体とは?

「彼が運転する車で事故に遭い、右腕が...」事故に遭ってもマイペースな彼女。同僚男子2人が抱いた違和感の正体とは?
第29話 永い償い【藤波Side①】
「え? それ食べる? ラスト一皿だから譲ってよ~」
あれは入社して3日目だった。
新入社員研修の間に、新人は一斉に社員食堂でランチタイム。ラストオーダー15分前。
小鉢が並び、メインと一緒に好きに選べる。一人暮らしの野菜不足を補おうとインゲンの白和えを取ろうとすると、「待った」がかかった。
「今年入社の女の子のなかで一番美人」と男どもが噂する、白石水葉だった。
「あー、いいよ、俺は肉じゃがにするから」
掌で「どうぞ」と示すと、白石水葉は左手で持った自分のお盆をひょいっと上げて、言った。
「ありがと! 載っけてくれる? 私、右手、動かなくて」
彼女は右の肩を少し前に押し出して見せた。ブルーの薄いカーディガンの中、白くて左腕より一回り細い腕が見えた。ケガをして今日は動かせないんだな、と理解して、「じゃあ俺がトレイを持つから、そこに載っけていきなよ」と言った。
水葉は嬉しそうに、「わお優しい! 頼むわ」と言うと、上機嫌でさまざまなおかずをのせていった。白和えに始まり、ラーメン、コーヒーとウーロン茶のペットボトル、デザートのプリンも載せるから、ふたり分の昼食を持った俺はウェイターのようにバランスをとりながら会計に進む。
流れで、席につくまで運んだところで彼女は他の女子と食べたいだろう、と思い当たって「女子グループのほうに運ぼうか」と尋ねた。新人研修中は配属部署関係なく同期の親睦を深める1週間だから、すでにきゃっきゃと盛り上がっている女の子たちの群れに行ったほうが得策だろう。
しかし水葉はきょとんとこっちを見ると、「え、ここでよくない? 空いてるし」と言いながらそこに座った。
俺はそれもそうだなと納得し、そのまま2人で席についた。
「こういう形式の食堂だと、片手で運ぶの危ないからラーメン食べられないんだよね。今日は藤波君のおかげで豪華」
彼女はキレイな形の唇で器用に割りばしの片方をくわえて、左手でぱちんと割った。行儀がいいとは言えないのに、その仕草はカッコよくさえあった。
「右側、どうした? 寝違えたの?」
牛丼を食べながら尋ねると、水葉はなんでもないことのように左の肩をすくめた。
「おととし、車で事故って、動かなくなったの」
俺は、とんでもないことを訊いてしまったと、自分のデリカシーのなさに呆れ果てた。そうか、腕は今日だけじゃなくていつも動かないんだ。そういえば、誰かが、あの美女は『特別枠採用』だと噂していた。なんのことかと気にも留めなかったが、きっと体のハンディを考慮して部署が決まる枠で採用されているんだ。
「ごめん、大変だったのに軽々しく……」
「え、全然。腕だけで済んで超ラッキーくらいの事故だったの。『ダイ・ハード』ばりにさ、フロントガラス突き破って外に投げ出されたんだよ」
笑いながらラーメンを美味しそうにすする水葉を見て、俺はそのとき、気持ちのいいやつだな、と思った。俺がとっさに抱いた罪悪感は、水葉の一言で軽くなった。それはきっと、彼女の人間性からくる気遣いだろうという気がした。
それに、彼女が割合本気で「命があったからラッキーだった」と思っているのが伝わってきて、それはきっとそうなんだろう、と素直に嬉しくなったりもした。とにかく、明るい気持ちで、そのランチタイムで俺たちは気楽な同期として話が弾んだのを思えている。
それが、水葉との出会いだった。
見えない想い
「やっぱ、水葉って不思議なやつだよな」
3人で飲んだ帰り道、終電一本手前の山手線。酔いも冷めないうちに佐藤がそう言った。金曜夜のビアガーデン。ジンギスカンの匂いがまだ鼻の奥に残っている。
「水葉が? 不思議?」
俺はスマホをいじるふりをしながら返事をした。でも本当は、それは俺の気持ちを代弁しているような気がしてどきりとする。
「そりゃハンディはあるけど、本人が気にしてないからオレらも遠慮しないですんで、楽しくやってるじゃん。あんな感じだからさ、社内で水葉狙いの男、けっこういるんだぜ。オレが知ってる中で3人振られてる。
入社前から付き合ってる彼と結婚するんだろうと思ってた。でも今日の話だと、結婚は考えてないとか言ってたし。ただの彼氏以上の絆があるんだろうと思ってたから意外だよ」
「ただの彼氏以上って?」
「聞いたことない? 昔の話。彼氏が運転した車で旅行に行って事故ったらしい。水葉のほうが重症で、生死の境をさ迷ったときも、腕が動かなくなったってわかってからも、彼がずっと支えてたって。まあ、責任も感じてるんだろうな。傷モノにしちゃったわけだし」
「なんだよ、傷モノって。水葉、そんなこと思ってないだろ」
俺がスマホから目を離して反論すると、佐藤はあっさりうなずいた。
「うん、水葉は全然そんなこと思ってねえな、ありゃ。でも彼氏はそうはいかないんじゃん? 実際、水葉は腕が動かないと家事や育児できないから誰とも結婚はできない、とは言ってたし。彼氏は責任とろうと思ってるだろ、絶対。ま、水葉は実際、モテまくってるし結婚できないなんて思い込みだと思うけどね」
オレは、佐藤の単純な解釈に呆れつつも、結局はそういうことなのかもしれないとも思う。単純だけど、オリジナルな論理展開で核心をついてくるタイプなのだ、こいつは。
「でもさ、水葉って彼氏彼氏言って操を立ててるわりに、なんつーか、あんまり彼氏とラブラブって雰囲気ないし。なんか不思議だよね」
「久々にきいたぞ、操を立てるって……」
俺は電車の窓の外を見た。佐藤はスマホにメッセージが来て、そちらに気を取られている。
水葉。
今、何を考えてる?
俺と同じことだったらいいのに、という言葉が酔った頭に浮かんできて、俺はそのまま目を閉じた。
小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙