タイタニック号は、行方不明の原子力潜水艦を捜索する秘密作戦中に発見された

1996年の潜水調査で探査された、タイタニック号の残骸の一部。
- タイタニック号は113年前に沈没したが、残骸が発見されたのは、今から40年前の1985年9月1日だ。
- ロバート・バラード氏とジャン=ルイ・ミシェル氏が、沈没した船体を73年後に発見した。
- バラード氏は発見から数十年後の2008年、潜水調査の本当の目的は冷戦下における米海軍の秘密任務だったと明かした。
タイタニック号は、1912年4月15日に沈没したが、その直後から、船の残骸と犠牲者の遺体を回収しようとする試みが始まった。しかし、当時の潜水技術は未熟であったため、回収の実現には70年以上もの歳月を要した。
今からちょうど40年前の1985年9月1日、海洋学者でアメリカ海軍の将校でもあったロバート・バラード(Robert Ballard)氏と、フランス人海洋学者ジャン=ルイ・ミシェル(Jean-Louis Michel)氏の共同調査によって、タイタニック号の残骸が発見された、と当時のニューヨーク・タイムズ紙は報じている。
しかし、この潜水調査の本来の目的は、タイタニック号とはまったく関係のないものだった。実際は、消息を絶った米海軍の2隻の原子力潜水艦、スコーピオン号とスレッシャー号の残骸を探す秘密任務だったのだ。
この情報は、発見当時は公表されなかった。2008年になって、バラード氏が任務の真の目的をナショナルジオグラフィック誌に明かした。
バラード氏はこの時、ナショナルジオグラフィック誌に対して、「海軍がようやくこの件について議論し始めた」と語った。現在と同じく当時も、タイタニック号は人々を魅了し続けていた。海底に眠る残骸を訪れ、沈没船を詳細な画像で捉えて、その秘密を解き明かそうとする試みが絶えることはなかった。

1987年に行われた著書の宣伝ツアー中のロバート・バラード氏。
バラード氏が最初に米海軍と接触したのは、1982年のことだ。それは、タイタニック号の発見を可能にする、新型潜水艇技術の資金を得ようとしてのことだった。海軍は、プロジェクトへの資金提供を承諾したが、その技術を、沈没した原潜の捜索に用いることが条件だった。
米海軍の原潜スレッシャー号は1963年4月の試験潜航で、129名の乗員とともに沈没した。また、スコーピオン号は5年後の1968年5月に、乗員99名とともに沈没した。アメリカ海軍協会によると、米海軍がこれまでに喪失した原潜はこの2隻のみだ。
海軍はバラード氏に対して、これらの原潜を発見し、さらには、ソビエト連邦が沈没に関与したかどうかを確認する任務を果たした後、時間が余った場合に限って、タイタニック号を捜索することを許可した。
バラード氏は1984年にスレッシャー号を発見し、1985年にスコーピオン号を発見した。2008年のナショナルジオグラフィック記事によると、当時米海軍で潜水艦戦担当の海軍作戦副長を務めていたロナルド・サンマン(Ronald Thunman)氏は、「外部からのなんらかの兵器による攻撃で(2隻の原潜が)沈没したという痕跡は確認できなかった」と語っている。

大西洋の海底に横たわる、タイタニック号のエドワード・スミス船長の浴室。
任務終了まで残り12日というところで、バラード氏はタイタニック号を発見した。先の2隻の潜水艦を発見した際の様子から、「船体は2つに割れ、残骸は尾を引くように散らばっている」との推測をもとにした発見だった。