裕福な家の男の子が日本で「タクシードライバーと初めて話して」得た大きな気づき
中学校のテストにこんな質問が出たら、あなたは何と回答するだろうか。
「エンパシーとは何か」
ブレイディみかこさんが2019年に上梓した『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)には、11歳の息子がこの問題にどう回答したかを聞かれてこう答えるシーンがある。
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
本書は、名門のカトリック系の小学校から「元底辺中学校」に入学した11歳の息子の日常を描いた作品で、多くの人の共感を呼び、本屋大賞のノンフィクション賞をはじめ多くの賞を受賞、100万部のベストセラーとなった。
ちなみにみかこさんは次のように「エンパシー(empathy)」のことを説明している。
「日本語にすれば『empathy』は『共感』、『感情移入』または『自己移入』と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ」
誰かの立場になってみることで、見える景色は変わってくる。ブレイディみかこさんは、エンパシー、他者の靴を履く、という言葉を繰り返しテにしてきた。
そんなみかこさんの最新刊は『SISTER “FOOT” EMPATHY シスター フット エンバシー』(集英社)。女性どうしのつながりを意味する「SISTERFOOD シスターフッド」と、足元の「FOOT」をかけ合わせたタイトルだ。
刊行後に帰国したみかこさんにインタビュー。その第1回では、身近な人が「誰かの靴を履いてみた」ことでの気づきを得た話をお届けする。
エンパシーは世界中の人に
ーー他者の靴を履く、というのは、イメージするとちょっと大変そうな感じがします。草履なら多少サイズが合わなくても歩けそうですが、靴だとそうはいきません。
ブレイディみかこ(以下、みかこ):自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現なんです。他人の立場に立ってみる、という意味です。まさに、エンパシー empathyを的確に表現していると思います。エンパシーは、日本語では「感情移入」または「自己移入」と訳されますが、英英辞書では「他人の感情や経験などを理解する能力」となっています。英英辞書に書かれたほうの意味は、私がずっと強調してきたことで、今は特に、世界中の人にとって必要な能力だと思います。

Photo by iStock
ーーシンパシー(共感)は、日本語でもよく使われますが、エンパシーはそこまで馴染みがありません。
みかこ:「わかる、わかる」という共感と、エンパシーは違います。エンパシーは「他者への想像力」とも言い換えられ、それを働かせるにはスキルが必要です。こう説明すると、それはどうやって伸ばせるんでしょうかとよく聞かれるんですが、攻略本やビジネス本じゃないので、手っ取り早く効率的に伸ばせるものではない。私はやっぱり、経験しかないんじゃないかなと思います。特に、違う階層の人と流することは大事です。
階層が違う人と暮らすということ
ーー「違う階層」とは具体的にどういうことでしょうか。
みかこ:イギリスはもともと階級社会で、今はまた格差がすごく広がっていますが、違う階層の人と全く接したことがない人もたくさんいます。そういう人がエンパシーを持てるかというと難しいかもしれません。イギリスは、階級によって街でも住みわけが進んでいて、通ってる学校も違うし、お互いに全然相容れないどころか、相手が何してるのか、何考えてるのかまったくわからないということも多い。さらに、それがどんどん加速していることが、EU離脱の時に明らかになりました。
ーー分断されているんですね。
みかこ:そこにあえて踏み込んでみないと始まらない。まさに自分の足で。いつも行かない店に行ってみるとか、全然行ったことのない地域にちょっとふらっと行って散歩してみるとか、そういうところから始めてみるのは手がかりになると思います。
今回私、息子と一緒に福岡の実家に帰省しているんですが、大学の友達も連れてきてるんです。その友達が、実は官僚の息子で、多分彼も将来そうなるんだろうというような、エリート家庭の子どもなんですよ。で、その子が私の実家で、せんべい布団に寝たりして、すごいカルチャーショック受けてるみたいなんです。
「自分の国で運転手さんと一言も話したことはない」
――エリートの上流階級の男の子が、日本の一般家庭のことを感じたんですね。
みかこ:あるとき、Uberでタクシーを呼んだんですが、Uberって、運転手さんの名前が分かるじゃないですか。そうしたらモハメドって書いてある。ロンドンでUberを呼んでるみたいだねって。イギリスにはモハメドさんという名前の運転手さんがたくさんいるけれど、まさか福岡の田舎にいるとは思わないから、3人でびっくりしていたんです。そのモハメドさん、日本語も堪能で、英語もベラベラだったんですよ。アメリカにちょっと住んでたこともあるらしくて。
そしたらその友達が、すごく運転手さんにいろいろ質問してるんですね。日本で何年ぐらいドライバーやってるんですかとか、どうやって資格取ったんですかとか、いくらぐらい儲かるんですかとか。
タクシー降りてからその子がしみじみ、「自分はイギリスではタクシードライバーとは話したことない。初めて話した」って言うんですよ。 乗ってないわけはなくて、乗ってるんだけど、自分の国にいると運転手さんとは目的地に着くまで一言も話さないと言うんです。旅行先で気が緩んでるのもあり、なぜ福岡にモハメドさんが?というのもあり、英語を話せる方だったというのもあったんでしょうが。

写真はイメージです(Photo by iStock)
ーー彼にとっては、すごい体験だったんですね。
みかこ:「知らなかったことをいろいろ知ることができるから、僕はタクシードライバーともっと話をするべきだよね」と言うから、「絶対すべきだよ」と言いました。そういうことがエンパシーですよね。知らない世界に対して線を引いてしまうと、見えないものが増えてしまう。
彼のような人は、将来エリート官僚とかになって、政治に携わるかもしれないじゃないですか。そういう人が、地べたで働いている人の生活や考えていることを知るというのは、すごく大事なことだと思います。知らなさそうな政治家さんも今は多すぎるから。エンパシーがあれば、政策を作るときに、あの人たちはもっとお給料もらわないといけないよねとか、そういう考えになっていくと思うんですよね。
ごちゃ混ぜの中にいるほうが人間力は伸びる
ーー日本では、小学校からお受験というケースも増えています。もちろん受験はなにかに挑むことで、その子に合った学校があるとは思いますが、いろんな人と学ぶという点でも公立校は大きな意味がありますね。
みかこ:できるだけいろんな階層の、ごちゃ混ぜの人の中にいるほうが、子どもの人間力は確実に伸びると思いますね。学力だけあればいいということではない。意見が違ってたとしても、言葉をぶつけるんじゃなくて、会話を交わし合いながら、お互いが変容していくみたいなことが、学校の中で学べるので。

ーー先日の参院選では、参政党が大躍進したんですが、SNSを駆使して敵味方に分け、分断を作ることで票を集めました。そこに対話はありません。
みかこ:それは、本当の民主主義なんでしょうか。一方的に言葉を投げつけて、敵味方に分断するというのは、勝つか負けるかの論理です。対話を行い、全員が望むことの100%は得られなくとも、だいたい50%、60%得られれば、それぞれが納得し、折り合いをつけながら前に進める、というような民主主義もあると思います。
ーーさまざまな「全部こうじゃなきゃダメ」「一個でも違ってたら、敵」みたいな感じで、分断が起きることがあります。
みかこ:そこはやはり、お互いの靴を履き合えば、理解し、譲歩できるところが出てくると思う。子どもがいるとかいないとか、独身だとか結婚しているとか、置かれている状況が違うからと壁を作らず、違う意見を唱える相手の状況や環境を想像し、理解しようと努めれば、ここは譲るべきかもしれないと思える部分も出てくると思うんですよね。
私たちに敵はいない。ただ解放されたいだけ
ーー日本は最大70%あった国政選挙の投票率も一時は45%を割りました。2025年の参院選ではちょっとだけ上がって前回の52.5%から58.51%。15年ぶりに50%後半に行ったと言われています。その分が参政党に行った感じです。
みかこ:イギリスも、北欧の国と比べるとそんなに高くはありません。昨年は少し上がって60%くらいです。参政党は、女性にも支持されていたと聞きました。以前20代後半の人たちと座談会をやったんですけど、今入れたい政党がどこにもない、と言うので、入れるとしたらどこ?と聞いたら、参政党だという意見は、もう2、3年前から出てましたね。私、えっ!と思ってたんですけど。
ーー敵を作って、そこに向かって盛り上がってもいました。
みかこ:ポピュリズムの戦略は全部それですよね。敵となる対象を認定して、その敵をいかに痛烈に批判し、SNSなどでうまくおちょくって自分たちの人気を稼ぐかということだから。逆に言えば敵がいないと存在できないんですよね。 でも女性の運動はそれとは違うと思います。私たちは敵をつくり、こき下ろして溜飲を下げたいわけではない。ただ、自分たちが本当に解放されたいだけ。女性が権利を持つことは、男性を抑圧して支配することではありません。

1975年に全国の9割の女性が集ったというアイスランド「女性の休日」の日の写真。誰かを責めるというのではなく、楽しくつながっている様子が見える。ドキュメンタリー映画『女性の休日』より© 2024 Other Noises and Krumma Films.
ーー女性だけではなく、格差社会だと、個人の能力を生かしきれなくて、どうせ俺なんて誰も見てくれないとか、どうせ私なんて何もできないということになりかねません。
みかこ:「どうせ」と思って孤独を感じている人が、SNSで激しいことを書いたり、極端なケースでは暴力的な犯罪を起こしたりするのではないかと言われてきましたよね。でも、もしサードプレイス的な、家庭でもない職場でもない、第三の居場所があれば、誰にもできない話をしたり、それを聞いてくれる人がいたり、いつもと違う顔で接することができる人を見つけたりできる。そうすれば、かなり楽になる部分はあるのではと思います。暴発はしないですむ安全弁になるかもと思います。
日本は、“個人と政府”という極端な感じで、その間のコミュニティというか、クッションになるものが非常に少ない気がします。 オンラインで日本の若い女性たちと話したとき、「みんな会ったばかりなのに、友達にも同僚にも話せないことを今日話せました」と言っていた方が何人もいました。いつも会わない人たちだからこそ話せたのかもしれないし、こういう場所が普段もあったらいいな、と。 自分と違う立場、違う環境の人の話を聞くことで、初めて、「他人の靴を履いてみる」ことができます。エンパシーを育てるのは、そういうひとつひとつの経験だと思います。
*10月16日(木)公開予定のインタビュー第2回「日本の女性の多くは「自分が嫌だったこと」から子どもを回避させようとしている。別の選択肢が示すもの」では、「いい学校」とは何かという話を入り口に、日本の女性が直面してきた「嫌だったこと」にどう向き合っていくのかを探ります。