「自殺未遂」「妊娠5か月で中絶希望」…なぜ彼らは“限界”まで耐えてしまうのか?子ども時代に支援を受けていても

 親からの虐待やネグレクト、家庭の経済的困窮などの事情から、社会的養護が必要とされる児童は約4万2000人に上る(令和4年度のこども家庭庁「社会的養護関係施設入所児童等調査」による)。

高橋亜美さん

 児童養護施設や里親家庭など、親元から離れて暮らす当事者らは、いずれ社会へ独り立ちを求められる。しかしその一方で、自立できず立ちゆかなくなるケースが後を絶たない。

 そんな彼らを支援するアフターケア相談所を運営する高橋亜美さんのもとには、年間延べ2~3万件のSOSが寄せられる。「死にたい」「助けてほしい」といった切実の悲鳴から、「妊娠5か月だけど中絶したい」「家賃を何か月も滞納して電気が止まっている」といった具体的な訴えまで、どれもひっ迫した声ばかりだ。

 両親のもとで育ち、就職して自立する、あるいは所帯を持つ――。一般的な環境で育った人であれば、なんら当たり前に思える歩みだ。

 その一方で、社会的養護を受けた当事者は、なぜ生活もままならず挫折してしまうのか。当事者はどのような苦悩を抱えているのか。高橋さんに話を聞いた。

◆子ども時代にケアを受けても…中年期にこそ深まる孤立

※イメージです

 東京メトロ門前仲町駅を降り、下町風情が残る街並みを歩いて2~3分。近隣の飲食店やカフェに溶け込むように、鏡張りで開放感あるおしゃれな佇まいを見せるのが、(社会福祉法人子供の家)「ながれる」だ。

 ここは児童養護施設や里親家庭など、社会的な「ケア」を受けた「後」に行き詰まった人をサポートしてきた「ゆずりは」が新しく構えた拠点。

 社会的なケアを受けたのであれば問題ないだろう――。そんな世間の思い込みとは裏腹に、ケアを受けた当事者たちの苦悩は、年齢を重ねてなお消えることはない。むしろ中年になることで「支援は若者が受けるべき」という先入観や、年齢制限を設けたNPO法人に断られるケースも増え、余計に息苦しい思いをする当事者も多い。

 筆者が過去に取材した被虐待者の例を挙げると、次のようなケースがあった。

・仕事で上司に怒られた際、幼少期に親から暴言を吐かれた光景がフラッシュバックして、過呼吸や対人恐怖症を発症して休職にいたる。

・経済的に頼れる親元がいないため、常に『お金を稼がないと生活が破綻する』という緊張状態を抱え続けた結果、心身を消耗して鬱状態になる。

・幼少期に長期的に虐げられてきたことで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患うなど、そもそも働けずに生活保護を受給している。

 実生活につまずきやすいこうした状況は、虐待の渦中を抜けてもなお変わることはない。

◆極限状態で助けを求めてくる当事者たち

 事実、高橋さんが所長を務める2つの拠点では、10代から60代まで幅広い年齢層からSOSが届く。年間300人近い当事者から相談が寄せられるなか、彼らはどのような状況に陥っているのか。

「『お金がなくて万引きして捕まった』『自殺未遂して救急車で運ばれた』『家賃を何か月も滞納している』『妊娠5か月だけど中絶したい』――。私たちのもとには、生活が破綻する寸前で助けを求める声が、日夜届きます。

相談者の置かれている状況は三者三様ですが、共通して『ギリギリまでSOSを発信しない』という傾向があります。一見、もっと早く助けを求めるべきだろうと思いがちですが、虐待を受けた当事者は『自身がいま切羽詰まった状況にある』と認知できていない場合も多々あります」

 側から見れば、なぜ相談者は「極限に近い状態まで声をあげないのか」と率直な疑問が浮かぶ。しかし幼少期から虐げられ、大人や社会に対して警戒心や不信感を抱いてきた当事者にとって、SOSを求めるハードルは高いという。

「親の暴力をはじめ壮絶な家庭環境で育ってきた当事者は、つらい状況を直視したくないがために、感覚を鈍感にして思春期を過ごしてきた人が多い。言い換えれば、自分が置かれているつらい状況を否認することで、かろうじて正気を保ってきた。あるいは周りが誰も助けてくれない状況で、なんとか自分で生きながらえてきた人が多いです。

そうした処世術を身につけて、大人になった被虐待者の方々は、状況の深刻さに反して、『まだ頑張れる』『なんとかなるはず』と現状を先送りにしがちなのです。心身にダメージが出ているにもかかわらず、その兆候を押し殺して生活を続けることで、無理がたたって一気に崩れてしまうケースは多いです」

 あるいは一度、行政に助けを求めたものの、結局うまく支援に結び付かず、傷ついた過去がある当事者も多いという。

◆生活保護、住民票の閲覧制限…さまざまな手続きを手伝う

 そもそも虐待を受けた当事者たちは、安心な体験の積み重ねが少なく、そのぶん1回の挫折や失敗を重く捉えがちになる。側から見れば些細な失敗でも、本人からすれば「誰も自分を救ってくれない」「声をあげても無駄だ」とふさぎがちになってしまうのだという。

 自我を塞ぎ込むことで、傷つかないよう自衛してきたからこそ、当事者が支援につながるハードルは高い。ひっ迫した状況で初めて支援につながるからこそ、被虐待者が抱えている障壁は幾重にも重なっている。

「相談者の大半は、本来なら受けるべきはずの公的支援を受けられていない状況下にあります。その背景を紐解いていくと、身元保証人がいないため就職や住居の確保が難しかったり、対人恐怖症が足かせになって通院できなかったりと、それぞれが抱えている事情が浮き彫りになっていきます。そうした障壁を緩めたり低くしたりして、安心な暮らしができるようサポートしています。

妊娠した女性からの相談がきたら、まずは本人が本当はどうしたいのかを一緒に考えます。それから通院のスケジュールを組む。親や家族を頼れず働くのが難しい人であれば、生活保護受給のための手続きに同行する。借金を抱えている場合は、弁護士事務所に行って自己破産の手続きを手伝う。あるいは暴力を振るう親や配偶者から身を守るため、住民票の閲覧や交付を制限する申請を行う場合もあります。

そうして生活の基盤を築いていく間に、並行して居場所やサロンの提供も行っています。高卒認定の学習会を行ったり、一般就労が難しい人と共に働く場としてジャム作りや農園作業をしています。居場所利用の年齢制限はなく無料で提供しています」

◆“一生付き合う覚悟”で向き合う支援の現場

 社会的養護を受けた人の苦悩は、成人しても消えることはない。それは同時に、支援者の労力も並大抵のものではないことを示唆している。

「変な言い方かもしれませんが、私たちが相談者と出会うとき、『一生この人と付き合っていくかもしれない』という心構えをしています。

例えば、生活保護を受給して、アパートも借りられたため、一人暮らしをできる環境になった人がいたとします。ただ、それでめでたしというわけではなく、将来への不安から希死念慮が生まれたり、鬱っぽくなって家がゴミ屋敷と化したりと、また更なる支援を求められることはよくあります。

相談所を立ち上げて15年目になりますが、成人後のケアに終わりはなく、出会ったひとたちの多くが「ゆずりは」を拠り所としています。それだけ支援や伴走には、終わりがないのだと日々痛感しています」

 高橋さんは笑いながら話すが、その根気は相当なものであるはずだ。相談者に振り回されたり、無理難題を突きつけられたり、疲弊する瞬間も多いだろう。

◆スパルタ教育のストレスで「万引き」を繰り返した過去

※イメージです

 そこまでして支援に尽力する背景には、高橋さんの幼少期の体験が関係していた。

「小学校3年から6年生にかけて、父から強制的に卓球をやらされていた時期がありました。父が卓球の選手を目指していた過去があったようで、私自身は興味がなかったのですが、親のエゴのような形で練習をさせられていました。

ただ次第に、父の指導が厳しくなり、スパルタになっていきました。普段父は優しいのですが、卓球になると私を正座させて怒鳴りつけたり、練習しないと手が出たりと、様子が一変するんです。

そうしたスパルタが続くうちに、抑圧されたストレスのはけ口として、万引きを繰り返してしまうようになるんですね。小学生だった当時は、単に物欲が強い人間なのだろうと思っていたのですが、いま思えば父の熱血教育のレスパイト(息抜き)になっていたわけです(※通説として、万引きする一瞬のスリルや高揚感が、日常のストレスや不安を一時的に忘れさせてくれるため、依存のように万引きを繰り返してしまうとされている)」

 高橋さん自身も、虐待に近い経験をしたことで、話を聞いてくれる大人に出会えれば良かったと語る。頭ごなしに万引きを否定するのではなく、問題行動に至ってしまう背景や、抱えているしんどさを探ってくれる人がいたら、もっと早くつらい気持ちが解けたんじゃないか――。そうした想いが、いまの活動の萌芽となる。

「父から暴行を受けていた頃は、周りにも恥ずかしくて言えなかったので、余計に一人で抱え込んでいました。幸いウチの場合は、私が何回か捕まると、さすがに親も危機感を覚えて卓球を強制しなくなり、徐々に万引きも収まっていきました。

ただ、抑圧され続けている子どもがたくさんいるのも事実です。虐げられている期間が長いほど自分を押し殺して、SOSを発信しづらくなってしまうので、どこかつらい気持ちをぽろっとこぼせる土壌を作れたらと考えていました」

◆自立援助ホームで働き感じた“やるせなさ”

 高校を卒業後、高橋さんは大学で児童福祉を学ぶようになる。当初は、少年犯罪の背景に関心を持つなか、在学中の実習で自立援助ホームに行く機会があった。

 自立援助ホームとは、虐待や貧困で自立できない15歳から20歳前後の青少年に、安全な住環境を提供し、就労や生活スキル、人間関係の構築などを支援する施設だ。

 そこで壮絶な家庭環境で育った子どもたちと出会い、自立援助ホームで働くことを決めた。

「自立援助ホームで出会った少年たちは、大人や社会に不信感を抱いている人が大半で、『くそばばあ』呼ばわりされるのが当たり前でした。『こんなところ来たくないけどここでしか暮らせない』『売春するよりはここにいるほうがマシ』という状況下にいる子どもたちと出会って衝撃を受けたんです。

大学卒業後は、覚悟が固まってなかったこともあり、海外でバックパッカーをしていた時期もあったのですが、やはり彼らのことが忘れられなかった。そこで29歳の時に自立援助ホームで働く決意をしました」

 自立援助ホームで子どもと接するのは、大きなやりがいだった。初めは“くそばばあ”呼ばわりだった青少年が、次第に“亜美さん”と呼んでくれるようになり、少しずつ穏やかな表情になっていく。『初めて信頼できる大人に出会った』と心を開き、就職や一人暮らしをして、自立していく過程を見届けることに喜びを感じていた。

 ただ一方で、自立援助ホームを退所後、生活に行き詰まってしまう人が一定数いるのも事実だった。前述したように、些細な仕事上のトラブルで躓いてはホームレス状態で連絡してきたり、経済的な事情から性産業に従事して妊娠したりと、疲弊した状態で戻ってくる当事者がいることにやるせなさを感じていた。

「なかには警察や病院から『刑務所に入っている』『入所していた少年が自死してしまった』と連絡が入ることも多々ありました」

◆社会に出た後の「拠り所」を作ることに

新拠点「ながれる」の概要(画像:「社会福祉法人子供の家 ゆずりは」プレスリリースより)

「もどかしい経験を重ねる中で、彼らには退所して社会に出た後も拠り所になれる場所が必要だと痛感したんですね。そこで自立援助ホームで9年働いたネットワークを活かし、社会福祉法人に掛け合って、いまのアフターケア相談所を2011年に立ち上げました」

 現在は、国分寺にある『ゆずりは』と、2025年8月に新設した『ながれる』の2拠点を運営。計7人のスタッフで、年間500人近い相談者の支援に奔走する。

 居場所事業を始めてから15年目に突入したものの、相談者の接し方や距離感に悩む局面は多々あるという。11月20日夕方配信予定の後編では、社会的養護に携わるうえで感じる葛藤や、利用者同士のトラブル、どのように相談者と接しているのかを聞いた。

<取材・文/佐藤隼秀>