【今年の漢字は「熊」】「体調2.7mの巨大クマが……」7人死亡、3人重症の史上最悪の熊害事件から見えてくる“熊と人間の共存”について〈熊問題を考える/後編〉

【今年の漢字は「熊」】「体調2.7mの巨大クマが……」7人死亡、3人重症の史上最悪の熊害事件から見えてくる“熊と人間の共存”について〈熊問題を考える/後編〉
随分昔の話だが、我が家に一匹のネズミが入り込んだことがある(今回もややハードめに、だ、である調)。「一匹のネズミ」とか言うと、私の秘密を探りにきたスパイみたいに聞こえるが、文字通りのネズミだ(トラウマなので何度も書きたくないので、ここからはムキムキと呼ばせてもらう)。
秋口に「気持ちいい風やな~」と開けっ放しにしたベランダから、うっかり入り込まれてしまったのだ。なんでその事に気づいたかと言えば、部屋でムキムキと鉢合わせたのである。あまりに唐突な出会いに驚愕した私は「ぎゃあああああ!」と盛大に叫び、その夜はどこかに隠れたムキムキが夜中に私の身体の上でチョロチョロするとかマジ死ぬんですけど!!! と気が動転しまくり、当然ながら一睡もできなかった。翌日、部屋中を点検してくれた駆除業者によれば「長年いるムキムキではないし、たぶん入り込んだのは一匹だけ」ということで、いろいろ考えた末に、私は自分でカタをつけることを決意した。
インターネットでムキムキの生態に関するあらゆる情報を集めて作戦を立て、ムキムキの退路を徐々に絶ち、いくつかのエサと罠を仕掛け—— 迎えた6日目の明け方、ついに罠がそのムキムキを捉えたのである!そんな時間に大興奮しながら歓喜の雄叫び上げたのは産まれて初めてだったが、6日間ほとんど眠れずに体重激減したのも初めてで、あと3日も続いていたらたぶん私のほうが死んでいた(この激闘の詳細は、自分の必死さゆえの爆笑&興奮山盛りで10時間くらい語れるが、それはまた別の時に)。
自分でムキムキ捕獲に成功するとか、我ながらそのマニアックな変人ぶりはさすがだと思うが、勝利したもののその激闘で思い知ったのは、ムキムキの能力の凄さである。嗅覚、聴覚、スピードなどの身体能力に加え、用心深さ、目ざとさ、食料(つまり「生きること」)への飽くなき執着とか、もうほんとうにムキムキで、人間には到底敵わない。
これはムキムキだけには限らない。例えば「嗅覚が人間の1億倍(犬)」とか「超音波を出す(コウモリ)」なんて、人間から見たらマンガとかSF映画の領域、ほぼ「Xメン」、つまり超能力者である。そういう「Xメン」に、「いつもご飯が食べられるエサ場認定」されたら、立ち去っていただくために凡庸な人間がどれだけ苦労するか——それも、その「Xメン」が熊だったら。
さて、前回のラストで触れた吉村昭の小説『熊嵐(くまあらし)』。同作が描くのは、そんな動物との激闘の「エクストリーム版」であり、私が個人的に熊被害のニュースがものすごく気になる、もうひとつの理由でもある。モチーフとなっているのは、大正期に北海道北西部、苫前郡(とままえぐん)の入植地で起こった、三毛別(さんけべつ)羆(ひぐま)事件ーー7人の死者を出した史上最悪ともいわれる熊害(ゆうがい)事件を、現地の記録と事件の当事者への取材を通じて小説化したものだ。
事件の主役は体長2.7mもの巨大な羆である。2.7mがどのくらいかといえば『スポーツマンNo.1決定戦』のモンスターBOX20段の高さ(世界記録は23段)なのだが、羆自体もボリュームとしてあのくらいなんじゃないかと想像する……と書いてみたが、正直そんなデカい動物が眼の前に立ったら、なんてこと全然想像できない。それはもはや動物というよりゴジラ的な「怪獣」みたいなものなんじゃないだろうか。もちろん人間には到底おっつかない超能力も持っている。そんな羆が山奥の入植地を「エサ場」認定し、何度も何度もやってくるのだ。
それまで私にとっての「羆」とは、昭和のバレーボールドラマ『燃えろアタック』で荒木由美子が繰り出した宙返りからの遠心力アタック「ヒグマ落とし」で(『テニスの王子様』の必殺技はその名をパクったんだと思う)、「とにかくすごい強烈な破壊力」の象徴としてのイメージしかなかった。だが『羆嵐』を読んでからはそんなあまっちょろいものじゃない、生涯を通じて絶対に絶対に出会いたくないトラウマ級の存在として私の中に刻みつけられた。
小説のすごさは、その恐ろしさだけではない。今、ニュースなどで「熊にはこんな習性が」というのが、ほぼ全部——というか、前回登場したベテラン「熊撃ち」のHさんが言っていたようなディープな熊情報まで、熊を仕留めたマタギ(猟師)のセリフとして、例えばこんな感じで描かれている。
「風向きをみてみな。あいつら(渥美注:素人の熊討伐隊)が足跡をたどって行けば、匂いでクマの奴は多勢の人間が近づいていることに気づく。それに、下の方から射ってもし命中しても、クマは暴れながらころげ落ちてくる。押しつぶされたりして死ぬ者も出る」(p223)
この情報があれば猟師の勉強に……みたいなことが言いたいわけでは、もちろんない。私がこの小説で改めて思い知ったのは、人間は動物には絶対に敵わないということだ。たとえ熊を根絶やしにできたとしても、日本の生態系の頂点にいる動物がいなくなれば、別の動物が増えすぎるトラブル(例えば鹿の激増など)が起こる(さらにムキムキ処理の経験から言うと、その数千倍も大きい熊において、その処理がどれだけ精神的な負担になるのか想像すらできない)。共存する方法をどうにか探るしかないのだ。

そして共存は「仲良くなること」では決してない。どうしたら山に帰ってもらえるか。トラブルにならない距離をどうやって作るか。そこには熊を含む自然との共存という観点が必要だと思う。餌になるようなゴミをそこらに捨てない、という小さなことから、伐採しまくった広葉樹(どんぐりがなる)を増やす、とか、温暖化を食い止める、というような大きくて長期的なものも考えなきゃいけない。人口減少で放置された場所が増えれば、放置された柿の木や、動物の潜む草むらも増えてゆくわけだし。
もちろん全てを考え変えてゆくことは、難しい話かもしれない。まずは「自然をおろそかにしてはいけない」「世界は全部繋がっている」という意識を持ち、そのあたりから人間の行動が少しずつ変わっていくといいなと思う。
前編記事はこちら>>>【今年の漢字は「熊」】熊被害の頻発から考える、人間が「熊を撃つ」とは、どういうことか?〈日本の熊問題/前編〉