「夢は総理」司法試験合格した東大野球部2年の彼

東大野球部在学中に司法試験に合格したスタンリー翔唯さん(写真:スタンリーさん提供)
東大野球部で選手をしながら司法試験に合格
今回は、早稲田実業学校を卒業して早稲田大学政治経済学部に進学するも、野球をするために再受験を決意し、東京大学文科3類に進学。東大野球部在学中に司法試験に合格したスタンリー翔唯(かい)さんにお話を伺いました。
【クリックして写真を見る】イチロー選手が好きになったので将来はメジャーリーグに行きたかったという幼少期。
早稲田実業の野球部に所属していたスタンリーさんは、高校2年生のときに一度選手を引退し、学生コーチになります。コロナ禍に突入した高校3年生のタイミングで、司法試験を受けようと思い勉強を重ねていました。内部進学で早大に入ってからも司法試験の勉強を重ね、予備試験を突破します。しかし、次第に彼の中で選手として野球をしたいという思いが強くなっていきました。
一度は引退した彼が再び選手として野球をしたいと思った経緯とはなんだったのか。
野球をするために東大を目指した理由とは。お話を伺っていきます。
スタンリーさんは、東京都練馬区に、アメリカ人の父親と日本人の母親のもと生まれました。「母親と些細なことで帰り道に毎日喧嘩していた記憶がある」と語る保育園に通う頃から、野球は大好きでした。
「保育園のときから父親とキャッチボールをしたり、新聞紙を丸めて野球をしたりしていました。2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)を見て、イチロー選手が好きになったので将来は自分もメジャーリーグに行きたいと思いました」

(写真:スタンリーさん提供)
小学1年生のときに光が丘コメッツで少年野球を始めたスタンリーさん。強いチームだったようで、練馬区大会で4・5・6年生時に3連覇。都大会でも最高でベスト16を記録します。スタンリーさんは5年生でキャプテンとなり、試合に出場していました。
早稲田実業の中等部で野球と勉強を両立
一方で、学業面も秀でていました。インターナショナルスクールに通い、1学年20~30人の中で成績は一番だったと語ります。中学受験では早稲田実業学校を第1志望に設定し、4年生から塾に通い始めました。
「甲子園に行きたいというのと、高校まで得意な勉強を続けたいという思いがあり、関東圏で勉強もできて甲子園にも行ける学校を探したら、早実(早稲田実業学校)がありました。小5からがっつり勉強を始め、小6のときには土日に塾と野球場をハシゴするなど野球と勉強を両立していました」
その甲斐あってスタンリーさんは、第1志望であった早稲田実業学校中等部に合格することができました。
早稲田実業学校中等部に進んだスタンリーさんは、野球部に入ってプレーを続けます。1学年に20人いるなか激しいレギュラー争い。その熾烈な争いの中で、思わぬアクシデントが彼を襲いました。
「中学2年生のときに肘を怪我してしまいました。それで中3のはじめまでプレーできない状態が続いたのですが、復帰できても怪我が尾を引き、本調子が出せずに僕はずっと控えでした」
勉強面では1年生の最初のテストで学年1位を取ったことで満足してしまったそうですが、それ以降のテストも上位10%には入っていました。
スタンリーさんは高等部に進んでからも硬式野球部に入ります。内野手から投手にコンバートしたものの、「一度もベンチ入りの争いにすら加われなかった」と当時を振り返ります。
「投手に転向してから、いけるかなと思っていたのですがダメでした。そこで、高校2年生の5月にこのままだと自分はチームに貢献ができないと思って、学生コーチになると監督に申し出て、選手は引退しました」

(写真:スタンリーさん提供)
高等部に進んでからは成績も上がり、2年生で文系コースに入ってからは学年で1位になったスタンリーさんですが、3年生間近になって、コロナ禍に突入したことで将来をいろいろと考える時間ができます。
「コロナで野球部の活動が完全に休止となったため、急に暇な時間ができました。この時期、自分の将来について考えていたのですが、政治の道に進みたいなと思うようになりました。僕は日本とアメリカのハーフでアメリカにも何度も行っていますが、ずっと日本のことが好きだという思いがありました。
一方で、日本の国会中継などを見ていろいろと思うところがあり、政治家になって、いつか総理大臣になりたいと思うようになりました。そこで国会議員の出自を調べてみたら、官僚出身と弁護士の方が多かったので、司法試験を受けようと思い勉強を始めました」
野球への思いが再燃
高校3年生の5月には早稲田大学に進学する推薦を受けるための学力テストを受けたスタンリーさん。ここで彼はぶっちぎりの1位になったので、早大の中でも最難関学部である政治経済学部を進路に選択します。
早大に進学してからは新しくスカッシュを始めたり、早稲田スポーツ新聞会に入ったりするなど充実した生活を送りながら、司法試験の予備試験に向けて勉強を進めていたスタンリーさん。
「もう野球はいいかな」と思って大学に入ったこともあり、大学1年生のときは高校のときに野球に区切りをつけた気持ちと変わらず、普通に過ごしていたそうです。
しかし、大学2年生になってからは、1個下の後輩や、高校時代に実績がなかった同級生が早慶戦で活躍をしているのを見て、次第に野球に対する熱が上がっていきます。そしてプレイヤーとしての野球への思いが完全に再燃するきっかけとなる出来事が、10月に起こりました。
「11月に実施される司法試験の予備試験で、口述試験があったのですが、その勉強の休憩がてら素振りをしていたんです。すると、ふと『野球をやりたい』という思いが芽生えました。『ここで野球をやらなかったら一生真剣に野球ができない』と感じて、死ぬときに後悔するくらいなら野球をやりたいと思ったんです。そこで、東京大学に行って野球をするという選択肢を考え始めました。
実は高校2年生くらいから東大の野球部には興味があって、東大受験の勉強をしていたのですが、高3でコロナ禍になってから勉強をしすぎてしまい、1日10何時間もの勉強が嫌になって東大受験から逃げてしまった過去があったんです。東大はもちろん最難関だし、勉強するにしても相当な覚悟が必要だと思ったのでまだこの時点では覚悟ができておらず、予備試験が終わっても翌年に司法試験の本番があるのでいろいろ考えて決めようと思いました」
予備試験合格も、司法試験に落ちる→東大受験を決意
予備試験には無事合格したものの、3年生になったスタンリーさんは、残念ながら司法試験が実施される7月頃に体調を崩してしまい落ちてしまいます。しかし、ここで初めて東大を受ける覚悟が決まり、8月から勉強を開始しました。
朝5時に起きて勉強を始め、夜までずっと勉強を続けていたスタンリーさんは8月に受けた東大受験生向けの模試でC判定を獲得。10〜11月に受けた模試ではA判定が取れたそうです。
「模試は12月に結果が返ってきたので、それまでは受かるという気持ちはありませんでした。A判定の結果が返ってきても、周りに東大受験する友達が1人もいないので比べることもできずにずっと勉強していましたね」
共通テストでは87%を確保し、東京大学の文科3類に出願したスタンリーさん。受けた直後は「五分五分だった」と語りますが、見事合格を勝ち取り、東京大学に進学することが決まりました。
東京大学文科3類に進んだスタンリーさん。再受験して良かったことを聞くと、「やりたいことができているというのが一番」だと答えてくれました。
「合格したときは、ほっとした心境でした。ようやく野球に集中できるんだなという、うれしい気持ちでいっぱいでしたね。とはいえ、高校2年生で1回選手を引退して5年ブランクがあったので、入って1カ月で肋骨と手の2カ所を骨折しましたし、その後も怪我があって最初の1年はほぼリハビリでした。
それでも2年生に上がってから、春合宿のメンバー選考で活躍できて、すぐBチームに落ちましたが、初めてAチームに上がることができました。東京六大学野球の新人戦でプレーもできて甲子園優勝投手からヒットを打つことができましたし、11月の秋の新人戦でも4番で出場してヒットを放つことができました。司法試験の勉強を除けば、ほぼ野球だけの生活ができているのがうれしいです」
野球部に在籍しながら司法試験に合格
野球の方では過去の後悔を払拭する活躍を見せる一方で、今年3月ごろから司法試験の勉強も再開し、授業・野球と並行して1日3時間を試験勉強にあてていたスタンリーさん。6月中旬からは週6回の部活を2〜3回に減らしてもらって勉強時間を捻出した結果、見事に野球部在籍中に司法試験に合格するという快挙を成し遂げました。
最近では自身のYouTubeチャンネル「スタンリー翔唯 〜東大野球部・司法試験合格〜」も立ち上げ、発信も精力的に頑張る予定のスタンリーさん。最後に、今後の展望を伺いました。
「25歳で大学野球は引退しますが、日本かアメリカの独立リーグに行って野球を続けたいと思っているので、今はそこに行けるだけの実力をつけたいと考えています。将来的には日本が永遠に繁栄できるようなシステムを作りたいと考えています。そのためには最高権力者になる必要があるので、総理大臣になりたいです」
大きな夢を持ち、実現させてきたスタンリーさん。努力する姿勢と、人を惹きつける魅力を持つ彼は、野球選手として、そして政治家として必要な資質を持っていると感じることができました。

(写真:スタンリーさん提供)