慶大法科大学院生、リヤカー引き温かい食事を提供 「夜回り」を始めるきっかけになったホームレスの痛烈な一言

リヤカーに炊飯器を載せて、ホームレスに食事を提供する男子大学院生がいる。毎週木曜日の夜、食事を配りながらホームレスとコミュニケーションを交わす。彼が「夜回り」を始めた理由とは──。誰かのため、社会のために役立ちたい。そう思っても一歩を踏み出すのは難しい。「やさしくなりたい」連載第3シリーズでは、誰かに寄り添う人たちを訪ね、活動のきっかけや思いを聞き、「最初の一歩」を考えます。AERA 2026年1月12日号より。
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毎週木曜日、川崎市幸区の大学院生、濱野怜さん(25)は、相棒の神領龍生さん(23)らと1台のリヤカーを引き、JR川崎駅界隈を歩いて回る。リヤカーは炊き立てのご飯を入れた炊飯器や熱々のスープの入った魔法瓶、おかずが入ったタッパーなどでぎゅうぎゅう詰めだ。
最初の目的地である川崎市教育文化会館に着くと、馴染みの顔が待っていた。
「お待たせー!」と濱野さん。
視線の先にいるのは川崎界隈のホームレスたちだ。濱野さんたちが食事を運んでくる木曜日の夜、川崎や都内にある自分の寝床からやってくる。
■雨の日も雪の日も
到着早々、濱野さんが人数を数えて回り、仲間たちはリヤカーから炊飯器や魔法瓶を出して給仕の支度を始めた。この日のメニューはコロッケとおむすび、そして野菜たっぷりのゆず風味のみそ汁。おむすびは出来立てを提供するため、その場で握る。この日は「てんむす」から着想した「コロッケおむすび」にした。
「はい、どうぞ」。一人ずつ手渡すと、ホームレスたちの表情がほころんでいく。男性の一人は待ちかねたようにみそ汁を口に運び、「うまいね」。子どものような笑顔を見せた。
これは濱野さんが2022年1月に始めた「夜回り」に、昨年12月に記者が同行した際の光景だ。「夜回り」では、同会館前のほか市役所近くの稲毛公園、JR川崎駅前のバスターミナルの3カ所で、毎週木曜日に食事を配って回る。
雨の日も雪の日も、クリスマスも年末年始も、濱野さんは木曜日の夜には20人から30人のホームレスたちに温かい食事を届け続けてきた。
発端は21年秋のことだった。当時、中央大学法学部に通いながら政治活動に興味を抱き始めていた濱野さんは、川崎市議会議員補欠選挙に20代で出馬した男性の活動を応援するため、JR川崎駅中央改札前の通路で、翌朝の街頭演説に向けた「場所取り」をしていた。

深夜2時すぎ。ホームレスとおぼしき女性が目の前でバタッと倒れ、泣き始めた。すると近くにいたホームレスの男性が女性を抱き起こし、濱野さんをにらんで言った。
「あんた、目の前のホームレスひとり助けられないのか。そんなんで、社会なんて変えられるわけがないだろうが」
一緒に場所取りをしていた大学生は「あんなの気にしないでいいっすよ」。だが自身はそうは思えなかったという。「男性の言葉が心に刺さりました。『本当に社会をよくしたいと考えている人間なら、目の前の弱い人に寄り添うだろう』という指摘は、その通り。でも、自分は何もできなかったし何もしなかった」
翌日、同じ場所に女性を訪ね、自分の行動を詫びた。そして女性がなぜ路上生活を送っているのかを尋ねると、精神科の病気を患い、「自分を見捨てた家族を待っている」と語った。ホームレスと会話をするのは初めての経験だった。夢中で尋ねた。
「力になれることはありますか?」
この日から頻繁に女性の元を訪ね、仲間のホームレスたちとも言葉を交わし、「何が自分にできるのか」を考えた。市内で生活困窮者や高齢者の支援を続けるNPO法人「ふれんでぃ」の存在を知り、現副理事長の皆川智之さんに相談。すると「協力するから始めてみて」と背中を押された。そして食事を配りながらホームレスとコミュニケーションを交わす「夜回り」が始まった。
■友を思いやるように
慶應義塾大学法科大学院に進学し、順当に人生を歩む我が子が、なぜ「ホームレスの支援を始める」などと言い出すのか。息子の唐突なプランに、両親は反対した。
特に母は、「同じ支援なら子ども食堂をやればいい」と強く反応した。しかし本人の決意は固く、「子ども食堂は多くの人がやっている。人がやりたがらないことを自分がやりたい」と説得した。
当初はホームレスたちの「脱路上」を目指し、食事を運びながら一人一人に対し、社会復帰に向けた様々な提案を続けた。市の自立支援センターにつなげたり、生活保護を受給する手続きを手伝ったりして10人以上が「脱路上」を果たした。その一方で、路上生活が長期化した人たちの多くは、「自分はこれでいい。放っといてくれ」と抵抗する。
濱野さんは立ち止まって考えた。「『社会復帰=幸福』という構図は、自分の勝手な思い込みで、押しつけかもしれない。そう思い至り、彼らとの距離感と活動の方向性を見直しました」

今では必ずしも「脱路上」を目指さず、仲間に「どう?元気?」と声掛けするような、カジュアルなコミュニケーションスタイルになった。実際、取材同行中も、ホームレスの人々に食事を手渡しながら笑顔で会話を交わし、さりげなく一人一人の現状を確認する濱野さんは、心配事を内に秘める友人を思いやるかのようだった。
「夜回り」の同行メンバーは、10人前後集まる時もあるが、最近は神領さんと、都内在住の30代の女性会社員の3人態勢が定着した。加えてリヤカーに載せるおかずやみそ汁などを提供してくれる人や、「夜回り」の終点となる駅前のバスターミナルで「場所取り」をする女性陣など、多様な人が様々な形で後方支援をしてくれる。活動を知った人たちから寄付も寄せられる。
「不思議なんです。どうしてこんなに多くの人が、力を貸してくれるんだろうって」
神領さんは、濱野さんに同行し続ける理由をこう語る。
「僕自身は、ホームレスの人たちのことを知りもしないのに見下していた人間でした。彼らに向き合う濱野君の真剣な姿勢に、『自分を変えたい』と強く思ったんです」
■亡き仲間に思い託され
25年秋には、「夜回り」に同行してきた大事な仲間を一人失った。22年10月から活動に加わり、物理的にも精神的にも濱野さんたちを支えた石井一夫さんが、大腸がんのために急逝したのだ。くしくも大腸がんを患うホームレスの男性を一緒に説得し、救急車に乗せ、治療につなげた、その数カ月後のことだった。
「石井さんは、僕たちにどういう人間になってほしいか、何を成し遂げてほしいかなど、様々な思いを託してくださった。石井さんの言葉には、本当に励まされました」
今年は濱野さんにとって、司法試験を初めて受験する年だ。合格すれば社会人となり、木曜日の夜を「夜回り」にあてられなくなる日が来るかもしれない。記者がそう投げかけると、濱野さんはニヤッと笑ってこう答えた。
「この活動は、絶対にネガティブな形で『おしまい』にはしませんから」
いま考えているのは、ホームレスの人たちと運営する珈琲焙煎所だそうだ。
「人生の苦みを味わった人々が手掛ける『人生教訓ブラックコーヒー』なんて、面白いと思いません?」
(ライター・浜田奈美)

※AERA 2026年1月12日号
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