日本にカレーが広まったのは「スエズ運河」のおかげだった? 18世紀の“不便”が生んだ国民食の皮肉
インドで生まれたカレーが英国に伝播
日本のカレーは主に英国から伝わった。その英国のカレーの起源は、インド在住の英国人が生み出した「アングロインディアンカレー」にある。1757年のプラッシーの戦い以降、インドの実質的な植民地化が進み、多数の英国人がインドに移住するようになる。彼ら移住者が困ったのが、日々の食事であった。英国料理に必要な食材をインドに持ち込むことができなかったからだ。当時の航海は、小さな帆船でアフリカ大陸の南端、喜望峰をぐるりと回る航海だった。
【画像】「えぇぇぇ!」 これが「昔の帆船」です!(6枚)
風まかせ、潮まかせの航海なので、最短でも二か月、最長だと六か月以上もの時間がかかった。
インド食材との融合

アングロインディアン料理を食べる英国人移住者(画像:近代食文化研究会)
金属製の缶詰も存在しない時代なので、ベーコンやハムなどの英国の食材を持ち込むことは不可能だった。英国人が多く移住した南インドは熱帯気候なので、寒冷な英国の農作物・家畜を持ち込んで栽培・飼育することもできなかった。
英国料理を食べることができなかった移住者たちは、インド現地の食材や調味料を使用し、インド料理を参考にしながら、英国人好みの料理を作り上げていった。これをアングロインディアン料理といい、そのなかのひとつがアングロインディアンカレーであった。
インドから英国に帰国した英国人たちは、英国の食材に置き換えることでアングロインディアンカレーを改造し、本国でも食べ続けた。こうしてカレーが英国に伝わったのである。
英国料理を食べ始めたインド移住英国人たち

スエズ運河(画像:写真AC)
19世紀後半になると、インド在住の英国人たちは英国料理を作るようになる。海上輸送の進歩により、英国料理に必要な食材や調味料が安価に輸入できるようになったからだ。
1869年、スエズ運河が開通。インド行きの航路は、喜望峰回りから、地中海から直接紅海に抜けるルートに変わり、距離が大幅に短縮された。同時期に蒸気船が普及、英国からインドへは、四週間以内の航海で確実にたどり着くようになった。
また、蒸気船の時代になることで、帆船では不可能だった船の大型化が可能になり、輸送力が増大し、輸送コストも低下した。
こうしてバターやハムやベーコンの缶詰、各種調味料などの英国料理に必要な食材が安価に輸入されるようになり、インドにおいて気軽に英国料理が楽しめるようになったのである。
英国人の大量移住開始が18世紀ではなく、スエズ運河開通後であったならば、アングロインディアンカレーが生まれることはなく、英国にカレーが伝わることもなかったであろう。
開国とともに日本に移住した英国人たち

幕末・明治期イメージ。
幕末に日本が開国すると、横浜の外国人居留地に、主に商売を目的とした外国人たちが移住することとなる。
外国人移住者のなかで約半数という多数派を占めたのが、英国人であった。英国が中国との貿易で支配的な地位にあった関係で、近隣の日本との貿易においても、英国人商人が活躍したからである。
明治政府や企業は、西洋の学問や技術を移入するために、外国人教師や技術者を日本に招へいした。いわゆる「お雇い外国人」である。
お雇い外国人の多数派、約半数を占めたのも英国人であった。当時の英国が学問や技術における先進国であったことと、日本の教育における第一外国語が実質的に英語に定められたことが影響している。
明治時代には既にスエズ運河と蒸気船の時代を迎えていたので、日本の英国人移住者は英国料理に必要な食材、例えばカレー粉を安価に輸入できた。
こうして日本の英国人移住者たちは、移住当初からカレーなどの英国料理を作り、東京や横浜の自宅で食べていたのである。
日本人コックを雇っていた英国人移住者たち

『西洋料理通』に登場する英国人家庭の日本人コック(画像:近代食文化研究会)
現存する日本最古の西洋料理書『西洋料理通』は、横浜の英国人家庭において雇われた、日本人コック向けの英国料理マニュアルを出版したものだ。
『西洋料理通』には、英国人家庭で料理するコックの挿絵が五つ掲載されているが、登場するコックは五人ともちょんまげかざんぎり頭、つまり日本人男性だ。
当時の英国の、ある程度裕福な家庭では、主婦が料理するのではなく、コックを雇って料理を作らせることが一般的であった。
この慣習が日本にも持ち込まれた。日本に移住した英国人は、日本人コックを雇いカレーなどの英国料理を作らせていたのだ。
横浜在住の英国人は、明治3年時点で513人。お雇い外国人としての英国人は、ピークの1874(明治7)年時点で約400人。1000人近い英国人の家庭において、カレーを調理することができる日本人コックが、次々と育成されていたのだ。
この日本人コックたちが日本人向けの西洋料理店を開いたり、西洋料理店に転職することで、日本にカレーが広まっていったのである。