なぜ日本の鉄道オタクは「孤独」なのか? 欧米ファンに遠く及ばぬ「公共性」──その背景にある“参画感”の欠如とは

日本の鉄道オタクを問い直すとき

 鉄道は、単なる移動手段ではない。そこには、技術、歴史、文化、そして人々の記憶が凝縮されている。しかし、近年、一部の鉄道オタクによる過激な行為や偏った言動が、この豊かな世界を歪めてはいないだろうか。本連載「純粋鉄オタ性批判」では、本来の鉄道趣味の姿を問い直し、知的好奇心と探究心に根ざした健全な楽しみ方を提唱する。万国の穏健派オタクよ、団結せよ!

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 撮り鉄によるトラブルが相次いでいる。テレビや新聞で報道される機会が増えるたびに、撮り鉄、さらには鉄道オタク全体の社会的イメージは悪化している。

 背景には、インターネットの普及がある。市民が自由にネットを使えるようになってから、すでに30年が経過した。誰もが気軽に画像を投稿し、自身のウェブサイトやSNSで共有できる時代になった。

 だが、それとともに「注目されたい」「目立ちたい」という欲求も膨らんだ。結果として、トラブルを起こしてでも過激な行動に出る鉄道オタクが増えてきた。ゆがんだ承認欲求が表面化し、撮り鉄だけでなく鉄道オタク全体へのバッシングを招いている。

 鉄道オタクは、一般に社交性が高くない。多くはひとりで趣味に没頭する傾向が強い。いわば

「一匹狼型」

が主流だ。かつては静かに楽しむ存在だったが、ネットの隆盛とともに一部の行動が過激化している。社会との接点が薄れ、孤立を深めている点は見過ごせない。

 ここで浮かぶ問いがある。こうした傾向は日本に特有なのか。それとも、海外の鉄道オタクにも同様の傾向が見られるのか。本稿では、オタクの国際的な動向にも目を向けていく。

欧米型オタク文化の収益循環

日本の鉄道オタクを問い直すとき, 欧米型オタク文化の収益循環, 文化担い手不在の危機, 保存名車と3セクの再活用, 参画型趣味の文化資源化

「日本の鉄道を愛するイギリス人」のページ(画像:政府広報)

 政府広報サイトでは、「日本の鉄道を愛するイギリス人」としてアントニー・ロビンズ氏が紹介されている。

 詳細は同サイトに譲るが、ロビンズ氏は30年以上にわたり、日本の鉄道の魅力を世界に伝えてきた。「英国日本鉄道友の会」で長年活動し、会報誌の編集や、日本鉄道を巡るツアーの企画などを担ってきた。

 注目すべきは、彼の活動が“自分だけの楽しみ”にとどまらず、同じ趣味を持つ仲間と喜びを共有する点にある。鉄道という趣味を媒介に、参加型・発信型のカルチャーを築いている。

 一方、日本の鉄道文化を深く愛する米国人、J・ウォーリー・ヒギンズ氏も広く知られている。撮影した鉄道写真は写真集として販売され、写真展も開催されている。

 ヒギンズ氏の作品は、鉄道ファンの間で高い評価を受けている。その活動は、単なる記録やコレクションを超えて、社会と接続する意志がうかがえる。

 米国では、鉄道保存活動にボランティアとして関わる鉄道ファンが多く、地域観光との連携も進んでいる。英国では、子ども向け鉄道イベントに愛好者が関わり、ドイツでは鉄道模型クラブが常設展示を通じて公共空間に貢献している。

 ロビンズ氏やヒギンズ氏のような生き方を模倣する必要はない。しかし、彼らが

「鉄道文化の継承者」

として機能していることには学ぶ点がある。単なる趣味の枠を超え、社会的な文化創造の担い手となっている。

 こうした現象は、鉄道に限らない。よく指摘されるように、日本のオタクは「ひとり消費」する傾向が強い。一方、欧米のオタクは

「共に愉しむ」

スタイルが定着している。仲間と共有し、イベントや出版を通じて価値を循環させる文化が、日本にも求められている。

文化担い手不在の危機

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J・ウォーリー・ヒギンズ『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(画像:光文社)

 日本の鉄道趣味がひとり消費に傾いた背景には、鉄道趣味誌の枠を超えてインターネットの普及があるだろう。SNSやYouTubeの浸透により、情報が私的に囲い込まれ、共有よりも私物化が進行した。

 教育にすべての原因を求めるつもりはない。ただ、日本と欧米のインターネット教育の格差は無視できない。バーチャルの世界を活用する前に、リアルな社会での協調や協働の価値を伝える教育が、日本ではほとんどなされてこなかった。その結果、スマートフォンやPC画面を通じて拡がるネット空間において、公共インフラである鉄道を

「あたかも自分のもののように扱う万能感」

が生まれた。さらに「自分だけが知っている」という根拠不明な優越幻想が、多くの鉄道オタクに芽生えた。古参オタクには、高度成長期の「撮影第一主義」が刷り込まれている。そこにインターネットという増幅装置が加わり、万能感と優越感はさらに強化された。こうした歪んだ感覚が、世代を超えて連鎖している。

 日本と海外の鉄道オタクの違いとして、特筆すべきは「参画感」の有無だ。あえて参加感ではなく参画感という言葉を使うのは、

「鉄道文化を育む主体として自発的に関与する態度」

を強調するためである。近年の日本では、鉄道事業者による増収策が体験イベントの主軸となり、オタクは並ばされ、撮影させられるだけの受動的な存在にとどまっている。これでは文化の担い手としての能動性は育ちにくい。一方、欧米では

・鉄道模型の運転会

・保存鉄道の運営支援

・地域住民との協働

など、オタクが創造側として関わる構造が根付いている。共に創ることが鉄道文化の自然な一部となっている。

 日本の鉄道事業者は経営面で厳しい状況にある。だからこそ、オタクと共創する姿勢こそが、持続的な鉄道文化形成への鍵となる。リアルな社会での接続を重視する教育の再構築も不可欠だ。鉄道オタクを鉄道文化の創造主体として活かすには、内部の意識改革だけでは足りない。

「外部環境からの矯正的な働きかけ」

もまた、重要な構成要素となる。

保存名車と3セクの再活用

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ネットで暴言を吐く承認欲求の強い鉄オタのイメージ(画像:写真AC)

 鉄道オタクが関われる場そのものが、そもそも少ない。モータリゼーションの進行により、公有鉄道は全国的に減少した。保存活動も民間の手に委ねられがちであり、経済的な継続性は厳しい。鉄道博物館も「触れられる展示」から「眺める展示」へとシフトし、体験の余地が狭まっている。

 加えて、鉄道オタクの参加を歓迎するような開かれた空気が、社会全体に浸透していない。鉄道経営の効率化を優先するなかで、鉄道と鉄道文化を語れる場としての駅の機能も失われつつある。駅ナカは商業施設として発展したが、鉄道文化の発信や共創の場としては機能しにくい空間に変わった。鉄道オタクが関わる余地が物理的にも精神的にも狭まり、こうした空気を変えていく必要がある。

 一方で近年は、いわゆる「名車」と呼ばれる鉄道車両の保存に取り組む動きが注目されている。クラウドファンディングによる資金調達も行われ、可視化されつつある。地方私鉄や第三セクター路線では、引退車両を再活用する例も増えている。

 こうした保存活動を「参加型」に転換し、鉄道オタクの自発的な関与を促すことで、共創の入口が広がる。鉄道模型から実車までをつなぐ

「動かせる趣味インフラ」

の整備もひとつの方向性である。たとえば、子どもが乗れるミニ鉄道の設計や運営に鉄道オタクが参加できる仕組みを、鉄道事業者や自治体が構築することが重要だ。

 とりわけ、鉄道インフラの維持が課題となる小規模自治体においては、鉄道趣味層との連携が“都市外縁”の文化的な橋渡しとして機能する可能性がある。こうした場づくりを通じて、鉄道オタクを受動的な鑑賞者から、能動的な文化担い手へと移行させる社会的なシステムが求められている。

参画型趣味の文化資源化

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鉄道(画像:写真AC)

 趣味とは、仕事や勉強以外で個人が楽しむために行う活動である。趣味を持つことは人生を豊かにし、ストレス軽減や人間関係の向上など多くのメリットをもたらす。趣味はあくまで個人的な楽しみでよいという考えも理解できる。

 しかし、鉄道オタクが楽しむ対象は、社会全体で共有される公共の鉄道である。鉄道は単なる乗り物にとどまらず、文化であり歴史的価値も持つ。だからこそ、鉄道を文化資源と捉え直し、参画型の趣味活動を展開することで、鉄道オタクの社会的価値は高まるはずだ。個人的な消費にとどまらず、共に創り上げる鉄道趣味へと昇華させることが、彼らを活かす最良の方法である。

 学校教育や都市政策、都市ビジネスの場面で、鉄道オタクを

「鉄道と地域・社会の接続者」

として位置づける雰囲気づくりが求められる。こうした環境整備は鉄道文化の向上につながり、また鉄道文化の共有は経済的資本形成の基盤ともなりうる。鉄道オタクをよりよい方向に導くための矯正も重要な課題である。

 鉄道文化の継承に必要なのは、写真以上に「語られる記憶」である。自ら「好き」を共有できる場をつくる覚悟も求められる。生きている以上、社会に貢献する生き方の方が望ましい。欧米の例に倣い、リアルな社会で自身を活かすことの重要性を日本の鉄道オタクにも問いたい。好きなことへの情熱を活かして鉄道文化の定着に貢献する生き方は、単なる自己消費に終わる生活よりも価値が高い。

 さらに、ロビンズ氏のように国境を越えたオープンな活動も望ましい。鉄道文化を世界的に守るためには、オープンな鉄道オタクの連帯が不可欠である。豊富な知識と情熱を活かせる雰囲気を、ぜひ創り上げてほしい。

 万国の穏健派オタクよ、団結せよ!