メダルラッシュ食事で支える「秘密基地」の裏側

ミラノ五輪で選手たちに提供されている、ミシュランシェフ監修メニューとは? フィギュアスケートペアの木原龍一選手と三浦璃来選手の“りくりゅう”ペア(写真:ⓒJOC/味の素社)
イタリアのミラノで連日、世界の頂点をめざすアスリートたちがしのぎを削っている。日本チームのメダル数は金5個、銀7個、銅12個(2月20日17時時点)とこれまでで最高の数を獲得した。その華やかな競技の裏側で、日本選手団の生命線ともいえる基地が選手たちを支えている。
【写真】リラックスモードの“りくりゅう”ペア 選手村から徒歩5分の栄養サポート拠点で食事をとる姿
「TEAM JAPAN」の選手やスタッフを対象に、日本オリンピック委員会(JOC)が設置し、味の素が運営する「JOC G-Road Station」。選手村から徒歩5分のこの栄養サポート拠点で提供されるのは、ミラノ在住のミシュランシェフ、徳吉洋二さんが監修した「Power Gyoza DON」をはじめとした日本食だ。
コメは日本から800kgを船便で持ち込んだ
一般的に、ミシュランシェフの料理と聞けば、贅を尽くした料理を想像するかもしれない。しかし、ミラノのサポート拠点で提供されるのはスペシャルメニューの「Power Gyoza DON」のほかに「竹の子の含め煮」や「ぶり大根」といった家庭料理を思わせるもの。
これらは日本からパウチ食品として持ち込み、期間中にミラノはじめ3カ所のサポート拠点でも提供されている。

左が中井亜美選手、右奥が坂本花織選手、右手前が千葉百音選手(写真:ⓒJOC/味の素社)

スピードスケートの森重航選手と徳吉洋二さん(写真:ⓒJOC/味の素社)

徳吉さんが調理準備をしている(写真:ⓒJOC/味の素社)
味の素は今回のサポート拠点運営のために食材や調理器具を段ボールで約200箱空輸、コメは日本から約800kgを船便で持ち込んだ。その中には日本製の炊飯器も含まれる。
「Power Gyoza DON」の提供は3日に1度のお昼。お昼は選手たちが午前中の練習を終えて、午後に向けた栄養補給のための時間だ。徳吉さん自身も数度、ミラノのサポート拠点で実際に、腕を振るっている。

徳吉洋二シェフ監修~ミラノ・コルティナスペシャルメニュー Power Gyoza DON(写真:ⓒ味の素社)
期間中に約300食を提供、選手たちにも好評で、サポート拠点が選手村から徒歩5分という至近距離であることもあり、「Power Gyoza DON」が出る日を楽しみに毎回通う選手もいるという。
選手たちのサポート拠点は数年前から調査
これらの料理がなぜ選手たちの心をつかむのか。そこには、海外で戦うトップアスリート特有のメンタルとフィジカル両方の事情がある。

喫食スペース(写真:ⓒJOC/味の素社)

(写真:ⓒJOC/味の素社)
オリンピックのような国際大会では、選手たちは競技が近くなると極度の緊張とストレスで食欲が落ちる。これまで調整してきた最高の状態を試合まで維持しなければならないのに、ストレスで胃腸の動きが鈍って、消化がしにくくなる。
「そんなときは選手たちの食欲増進が最も重要です。胃や腸を活性化させ、エネルギーを補充し、また消化にエネルギーを使いすぎない食事が求められます」(味の素の栗原秀文さん)
そんなときに頼りになるのは食べ慣れた料理。今回、サポート拠点を運営する味の素ビクトリープロジェクトでエグゼクティブスペシャリストをつとめる栗原秀文さんは、サポートで最も重要なことは、試合前の選手たちにいかに気持ちをほぐしてもらうかだと語る。

スピードスケートの新濱立也選手と佐々木翔夢選手(写真:ⓒJOC/味の素社)

スピードスケートの森重航選手(写真:ⓒJOC/味の素社)

フィギュアスケートペアの三浦璃来選手と木原龍一選手(写真:ⓒJOC/味の素社)
「選手が来やすく、食べなれたメニューで、必要な栄養素を摂り続けられる環境を最大限の努力で整えたい。このサポート拠点は、選手村からかぎりなく近いという条件で数年前から調査して選んだ場所です。ここには専門の担当者や栄養士も常駐していて、選手たちの希望や質問にいつでもこたえられるようにしています」(栗原さん)
かつて海外に出る選手たちのなかにはフリーズドライのお味噌汁やパックご飯を持参する選手もいたというが、今はその役割を「G-Road Station」が担う。
一方、各国の選手が利用する選手村のダイニングは巨大な学生食堂のような施設で、選手たちが落ち着ける場所とはいいがたい。料理は今回ならパスタやピザなどが中心で、コメはジャスミンライスがあるという。
ある選手の言葉「やっと、味のあるものを食べられた」
「選手のコンディションを良くするには、消化にエネルギーを使い過ぎず、胃からの排出をすみやかにすることです。『Power Gyoza DON』に加えるうま味成分のグルタミン酸が胃腸をより機能的に動かし、胃や腸を活性化させると考えています」(栗原さん)
「Power Gyoza DON」は野菜あんかけの上にポークギョーザを載せたどんぶりだ。野菜は黒キャベツやポロネギなど現地のイタリア野菜を使用。1日の野菜摂取量350gの1/3と約14gのタンパク質が摂取でき、脂質も少ない。調理工程では油をほとんど使用せず、低塩でありながら、うま味の力で味を補う工夫がされている。

Power Gyoza DON使用食材と調味料(写真:ⓒJOC/味の素社)
一方、シェフの徳吉さんは、サポート拠点で選手に料理を作ったとき「やっと、味のあるものを食べられた」と言われたのが印象的だったと語る。
「選手の皆さんは緊張や環境の変化で食欲が落ちがちですし、試合まで減量や食事制限をしているケースもあるそうです。ここでそのストレスを発散してほしい」(徳吉さん)

ブース(写真:ⓒJOC/味の素社)

(写真:ⓒJOC/味の素社)
今回、むくみなどによる体重増加を避けるために厳しい塩分調整をして臨んだ選手もおり、「Power Gyoza DON」はそういった選手たちにも好意的に受け止められているようだ。
「JOC G-Road Station」がオリンピックで「TEAM JAPAN」を支援するのは今回が初めてではない。前回2024年のパリオリンピックでは、パリの一つ星「レストラン パージュ」シェフの手島竜司さんが監修した「うま味スープ」を提供。シェフのスペシャルメニューを提供する試みは今後も続ける予定だ。
「ゆくゆくは、選手のために企画したメニューを、現地の方々にも食べてもらいたい。選手に貢献するノウハウを現地の市民の方にも還元していくことが、ひいては日本のカルチャーを伝えることにもなると思っています」(栗原さん)
料理を通して現地の人とつながり、サポートしたい
今回初めて、「Power Gyoza DON」を、ミラノ市民にも無料で提供。予定の100食はすぐになくなり、「フォルツァ(頑張れ)、ジャパン!」と声がかかったという。

Power Gyoza DON(写真:ⓒJOC/味の素社)

現地で家庭向けレシピも紹介している(写真:ⓒJOC/味の素社)
料理を通して現地の人とつながり、サポートしたいという思いは、くしくも、シェフの徳吉さんのこれまでの歩みと共通する。
徳吉さんは、モデナの三つ星レストラン「オステリア・フランチェスカーナ」で副料理長を長年務め、2015年、ミラノに自身の店「Ristorante TOKUYOSHI」を開業。そのわずか10カ月後には、日本人オーナーシェフとしてイタリアで初めてミシュランガイドで一つ星を獲得した。

徳吉洋二シェフ(写真:ⓒJOC/味の素社)
しかし2020年以降のコロナ禍で店舗の業態を変更。ロックダウン中にミラノ市民にお弁当を配送したスタイルを発展させ、現在はトラットリア「BENTŌTECA MILANO(ベントウテカ ミラノ)」として営業を続けている。
「誰かをサポートすることで始まったベントウテカを通じて、自分は『誰かを助けている』と思っているほうが楽しいことに気づきました。自分のエゴがなくなったんです」(徳吉さん)
試合に最高のコンディションで臨む選手のために、たくさんの人が力を尽くしている。ミラノで起きている「絶賛」の声は、料理の本質が「技術」ではなく「献身」にあることを教えてくれる。