高市首相の誕生は「女性初の時代」の終わり “女性初”を乗り越えてきた女性たちの葛藤「生意気と言われた」「失敗できなかった」

 学校で、職場で、地域で。多くの女性がそれぞれの場所で「女性初」に直面し、勇気を持って壁を突破してきた。その先に、女性初の首相誕生があった。それは「女性初の時代」の終わりでもあった。AERA 2026年3月9日号より。

*  *  *

 東京都在住の40代の女性は、関西の私立大学出身。2006年、同大の女性として初めて、総合商社の総合職として採用された。他にも同級生の女性2人が同じように採用されていて、大学側は色めき立ったという。

 入社後は、海外勤務を希望。6年目には、念願かなって駐在員になった。会社としてそのエリアでは女性初の駐在員だった。

 時は第2次安倍内閣が「女性活躍推進」を打ち出す前だったが、女性が男性と同じように働くことは珍しいことではなくなっていた。女性は言う。

「学生時代から就職活動、そして入社してからも、男女の差を感じたことはほとんどありません」

■「PR的存在」の思惑

 だが一方で、「大学も会社の上司も、“女性初”を売りにしたいという雰囲気でした。私をPR的存在に仕立てあげたい思惑を感じていました」と振り返る。

 女性は、特に気負うことはなかったというが、何をしてもついてまわる「女性初」が、ときに誇らしく、ときに少し面倒だったという。

 1986年4月に男女雇用機会均等法が施行されてから、まもなく40年。いまの40~60代は、それぞれの人生のなかで一度は「女性初」を経験してきた世代だ。

 2月にAERAが実施したアンケートでは「私の女性初」にまつわるエピソードが多く寄せられた。

 勤務先でエンジニアの女性として初めて工場勤務を経験した東京都在住の女性(56)は、「自分が失敗したら後輩に迷惑がかかると思い、問題を起こさないよう、かなり気を使った。結果的に女性エンジニアの採用が増えたことを誇りに思う」と回答した。

■生意気だと言われた

 別の50代女性は、4年制大学卒の初の女性事務系職員として配属されたが、「過大な期待をされ過ぎて、マイナスにしか作用しなかった気がする。かと言って、斬新な意見を言うと、生意気な発言と言われた」と振り返る。

 22年のW杯では初の女性主審に選出され、「世界最高峰の大会に参加する覚悟は必要でしたが、男女の違いに関しての気負いはありませんでした」と山下さん。それでも、屈強な男性選手と並ぶと、166センチの体格は小さく見える。審判員同士がコミュニケーションを取るための機器を両肩に装着することで肩幅を大きく見せたり、あえて男性選手とは距離を取って目線の高さを合わせたりする工夫は欠かせないという。

 道なき道をゆく、誇りと気負い。それは何も職場に限ったことではない。

 たとえば「高校で初の女性生徒会長」「小学校の登校班の班長を女子で初めて任された」「アルバイト先で女性初のチームリーダーになった」──。日本全国の学校、地域、勤務先で女性たちはいくつもの壁を突破してきた。

『「日本」ってどんな国?』などの著書がある教育社会学者で東京大学大学院の本田由紀教授は、こう話す。

「様々な圧力も背負いながら、切り抜けた先に、次の女性につながる轍ができてきたのでは、と思います。でも、まだマイノリティーであることは変わらず、プレッシャーは続いているはずなので、それぞれが個人として堂々と振る舞える状態になることが、望ましいと思います」

 25年10月、日本の憲政史上初の女性首相として、高市早苗第104代首相が誕生した。喜ぶ声がある一方で、高市首相が就任後に「働いて、働いて、働いて参ります」と発言したことを「男性中心社会が美徳としてきた長時間労働を肯定している」と批判する声があがったり、選択的夫婦別姓制度の導入に慎重な姿勢を見せることに失望したりする女性たちがいる。

「女性にも様々なタイプがいます。当たり前ですが、高市首相と同じ考え方や振る舞い方を、すべての女性がするわけではありません。性別が同じだけで、一括りにされることにモヤモヤを覚える女性は多いと思います。私もその一人です」(本田教授)

 また、外交時に高市首相が過度なボディータッチや笑顔を振りまく姿に対し、本田教授は「周りに媚を売り、可愛がられることでしか女性が首相になる道がなかったのだとすれば、それは悔しい以外の何物でもありません」と話す。

■いわゆる「名誉男性」

 岩手大学副学長の海妻径子教授(ジェンダー論)もこう指摘する。

「高市首相は男社会に合わせて働いてきた、いわゆる『名誉男性』と呼べる女性で、男性が持っているものを奪おうとする人ではありません。一方で男性側は『有能な女性を取り立てている』と言えて都合がいい。そういう人が登用されたに過ぎません」

 ただ一方で、高市首相を支持する女性たちも多い。その理由について、海妻教授は、「男社会に迎合しなければ生きていけなかった時代を誰もが知っているからでしょう。1992年に育児休業法が施行されましたが、総合職の女性の多くが『子どもを産まない覚悟』をしなければキャリアを続けることができない時期が長く続き、多くの優秀な女性たちが夢破れて去っていきました。その矛盾を高市首相に重ね、共感する女性は多いと思います」と話す。

 キャリアと出産・育児がトレードオフだった時期を経て、仕事を意欲的にこなす「バリキャリ」という言葉が流布したのが00年代。両立支援策が整い始め、現在では男性が育休をとり、保育園の送迎をする姿も珍しくはなくなった。仕事もプライベートも同じ熱量でこなす「フルキャリ」の女性が増えている。

 そんな日本社会に誕生した初めての女性首相。海妻教授は「『女性初の時代』の終わり」だと指摘する。

「私たちはなぜ『女性初』にこだわってきたのか。それはセクシズム(性差別主義)から自由になりたかったからです。男性中心社会だったころ、『女だから任せられない』と言われたことを乗り越えて、ついにガラスの天井を破る女性が出た。時代は次のフェーズに移りました」

(フリーランス記者・小野ヒデコ)

※AERA 2026年3月9日号より抜粋

・【もっと読む】初の女性首相で「女性初の時代」を超えて、次のフェーズは? 男女差が小さくなり男性が与えられた“副産物”も

・【AERAが伝えた女性の生き方・2026年版】1988年の創刊から最新事情まで 女性たちに共感とエールを込めて

・国際女性デー2026に寄せて 「女性初の時代」を越えた社会のあり方