9歳で終戦…湯川れい子さんは「戦争を体験していない」? SNSで激論…「想像力のなさ」に首をかしげた
X(旧ツイッター)上で2月下旬、音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん(90)の投稿を巡り、ある議論が交わされた。9歳で終戦を迎えた湯川さんが戦争への思いをつづったところ、「戦争を体験していない」と意見され、猛反論した。「戦争」とは、爆弾や銃弾が飛び交う戦場だけを指すものなのか。戦争の影響を受けた時代を生き抜いた当事者は体験者であるはずでは。今回の議論から考えた。(山田雄之、松島京太)
◆「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」発信きっかけに
「私が戦争を経験していない?寝ぼけたことを言わないで下さい」。湯川さんはXで2月21日夜、こう書き出し、軍人だった父が戦病死し、長兄が戦死、次兄が特攻隊にいたと紹介した上で「嫌と言うほど戦争を体験しています」と投稿した。

自身の戦争体験を話す湯川れい子さん=東京都新宿区で(坂本亜由理撮影)
きっかけは、湯川さんが「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」と記した発信に対し、「戦争を体験していないのでは」との意見が寄せられたことだった。論拠とされたのは、当時の湯川さんが8、9歳だったこと。他のX利用者からは、戦場に出向いていないことも挙げられた。
湯川さんはその後、数日にわたり、戦時中の記憶を書き連ね、フォロワーらの反応に対応した。どのような思いを抱いたのか。「こちら特報部」は3月上旬、湯川さんを訪ねた。
◆「戦争体験は、戦場に立って銃を撃つことだけではない」
「ときどき(Xは)炎上します」と笑って迎えてくれたが、冒頭の投稿をした理由を聞くと、湯川さんは語気を強めた。「見過ごすわけにいかないじゃないですか。想像力と思いやりの無さに対して疑問と情けなさを感じました。戦争体験は、戦場に立って銃を撃つことだけではない。家族ら周りの死、生活の困窮などを含む全部です」と強調し、自身と戦争との関わりを改めて教えてくれた。

自身の戦争との関わりをつづった湯川さんのXの投稿=一部画像処理
海軍だった父は中国の上海や青島で駐在武官などを長年務めた後、作戦や指揮を統括する軍令部に在籍していたという。戦況の悪化に伴い、徹夜続きの日々となり、風邪をこじらせて急性肺炎で緊急入院。わずか3日後に亡くなった。医師から病室で「薬がなくて、救えませんでした」と告げられた。
18歳上の長兄は音楽や絵画を好み、アコーディオンやピアノの演奏が上手だった。何度も延期願を出したが、大学卒業後すぐに徴兵された。戦地に赴く前の休暇に自宅に戻り、庭に数日かけて防空壕(ごう)を掘ってくれた。別れる前に抱き上げられ、一番星を眺めながら「あれが兄ちゃまだからね。覚えていてね」と話されたのが最後の言葉になった。
◆「行くな! まだ死ぬな!」次兄は夜中にうなされて
終戦の4カ月前、フィリピンのルソン島で戦死。米軍の上陸に備え、「村を死守せよ」と命じられていたと後に聞いた。湯川さんは「遺骨は戻ってこず、現地にも探しに行きました。才能豊かで、戦争や武器を持つことが一番似合わない人だった。本当に惜しい」と首を振った。

1944年の正月に撮影した家族写真。(左から)姉、長兄、湯川さん、父、次兄、母=湯川さん提供
15歳離れた次兄は海軍で、「人間爆弾」とも呼ばれた特攻兵器「桜花」の分隊長だった。終戦後しばらくして帰宅したが、夜中にうなされて「行くな! まだ死ぬな!」と叫ぶ様子を何度も見た。「多くの部下を亡くし、夢に見るほどつらい思いをしていた」と振り返る。
だが次兄は、湯川さんや母親からの「また戦争が起きたら、戦場に行かなきゃいけないじゃない」との反対を押し切り、自衛隊に入隊。その際、次兄が言った「戦争は、戦争を知っている人間しか止められない」という言葉は、現在の湯川さんの発信にも影響を与えている。
◆初めて「戦争を体験していない」と否定され
湯川さんは山形県米沢市に疎開していた時、米軍機から逃げ惑った記憶がある。「私にとって命に関わる重大な出来事だった」。操縦士の目の色が分かるほどの距離に接近。機銃掃射を受け、塀にしがみついて隠れた「悪夢」だ。

自身の戦争体験を話す湯川れい子さん=東京都新宿区で(坂本亜由理撮影)
戦争経験者として、「時代の『カナリア』でありたい」との思いを貫いてきた。炭鉱で有毒ガスの危険を察知するために飼われたカナリアのように、平和を脅かす不穏な空気を感じれば声高に訴えた。憲法9条を守る集会や反核の運動に参加し、Xでの平和を願う投稿もその表れだ。
これまでも批判的な意見を受けることはあったが、「戦争を体験していない」と否定されるのは初めてだった。謝罪もなく、その投稿は削除されたという。
今回の騒動では、別のX利用者らとの間でも自身の思いが伝わらず、しっくりこないやりとりは続いた。
◆「伝えたいのはディテールではなく悲惨さや無意味さ」
米沢市での「悪夢」を2月23日に投稿した際、米軍機を「B29」と書くと「B29はそんな動きはできない」「記憶違い、または?(うそ)」との反応があった。そのため、「あの頃は米軍の飛行機を全てB29と言っていたように記憶しています」「では、米軍機と言い直しましょう」などと返した。

(写真はイメージ)
湯川さんは「正直、機体が何だったのかは分からない。最も伝えたいのは、ディテールではなく、戦争の悲惨さや無意味さ。見えない相手に、どうすれば伝わるのかを考えて対応しました」と首をひねる。
その直後、米国とイスラエルによるイラン攻撃が始まった。「戦争はあっという間に起きる」と実感した。日本を覆う空気にも危機感を覚える。「他国に対する恐怖心が募り、好戦的な政治家や国民が増えている」と危ぶみ、「平和は、平和でしか守れない。私は信じることを、正直に伝え続けていく」と訴えた。
湯川さんの戦争体験に対する批判的な反応は、どう解釈すればいいのか。編集者の早川タダノリ氏は「これまでも従軍慰安婦問題の証言の整合性に難癖をつけることで信ぴょう性を下げて、旧日本軍の加害を否定しようとする言説があり、それに似ている。しかし、湯川さんの話は被害の体験だ。戦争の加害面ではなく被害面までも否定しようというのは最近になって見られるようになった特徴ではないか」と説明する。
◆識者「大事なのは戦争体験者が何を感じたかだ」
早川氏はその心情的な背景について「戦争体験に限らず『被害を受けた』という表明を特権的だと捉え、被害体験を聞いた時に不快に感じる人が増えている」と述べる。
さらに、戦争参加における「当事者性の欠如」も関連していると分析する。「同盟国である米国がイランと戦争しており、(事実上)日本も戦争参加国であるにもかかわらず、大半の国民がその立場を忘れている。太平洋戦争下でも、多くの日本国民は空襲を受け始めるまで『戦争は海の向こうの話』と捉えていた。日常がすぐに戦争に巻き込まれるという危機感がないから、ああいった反応になるのではないか」とみる。

米海軍横須賀基地を出港するエーブラハム・リンカーン(2022年5月撮影、資料写真)。緊迫するイラン情勢をめぐり、中東海域に展開している
埼玉大の一ノ瀬俊也教授(日本近現代史)も「イランの現状を見れば、80年前でも今でも戦争が起きれば多くの民間人が巻き込まれることは変わっていない」と語る。その上で、記憶違いなど湯川さんへの批判について「人間の記憶は薄れていくので、戦争体験を聞く時は実際とは異なる点があるという前提に立つべきだ。大事なのは戦争体験者が何を感じたかだ」と訴える。
一ノ瀬氏は「戦争体験をどう生かすのかが曖昧になっているのが問題だ」とも指摘する。「現代日本の社会や国際的な立ち位置が、戦争の犠牲の結果としてできていることを知るために戦争体験は重要だ。体験者の話に耳を傾けたり、体験が記された資料に触れたりする機会をつくり、次世代に継承していくべきだ」
湯川れい子(ゆかわ・れいこ) 1936年、東京都目黒区生まれ。ジャズ専門誌「スイングジャーナル」への執筆で音楽評論家デビュー。ラジオ番組「全米トップ40」などのDJとして長年活躍。作詞家として「ランナウェイ」「あゝ無情」「恋におちて」など多くのヒット曲がある。
◆デスクメモ
湯川さんが戦争体験者でなければ、体験者と呼べる人は、いまどれだけいるだろう。80年以上前の記憶を間違いなく説明できる人もどれだけ残っているだろう。私たちがするべきは、湯川さんらの体験や思いを後世につなぐこと。「うそ」「違う」と切り捨てて終わらせることではない。(祐)
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