連続テレビ小説「ばけばけ」小泉八雲の酒の肴は和菓子だった? 八雲がビールを買っていた店の当主にインタビュー
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』で話題の、明治期の作家であり研究者・小泉八雲。妻・セツと二人三脚で『怪談』『影』ほか多くの名著を残しました。1890(明治23)年4月、アメリカから来日した八雲は、同年8月に現在の島根県松江市に英語教師として赴任します。現在も市内には旧居跡や資料館など多くの足跡が残っていますが、注目したいのが1772年創業の橘泉堂山口卯兵衛商店(現:山口薬局)。ここは八雲がビールを購入していた店であり、現在も営業しています。7代目当主・山口純一さんにお話を伺いました。
小泉八雲が黒ビールを買いに来ていた、現存するお店
アメリカでジャーナリストとして活躍していた小泉八雲が日本に来たのは40歳の頃。来日の5年ほど前から日本文化に出会い、学びを深めていました。松江に来てからは、羽織袴姿で正月の挨拶をするほか、日本の暮らしに馴染み、市民から「へルンさん」と親しまれるように。その後、松江の士族の娘・小泉セツと結婚。多くの名著を世に送り出す、夫婦二人三脚の始まりの地です。
そんな八雲と関わりがあったのは、橘泉堂山口卯兵衛商店。7代目当主・山口純一さんは、「小泉八雲さんは、和菓子をつまみにビールを召し上がっていたそうです」と言います。松江で唯一、黒ビールを扱っていたこのお店に、八雲は買い物に来たそうです。

当主・山口純一さん、明治期に建てられた店の前で。主演・髙石あかりさんほか『ばけばけ』の出演者も多く挨拶に来たという。
「八雲さんにつながる縁を作ったのは、幕末から明治にかけて店を切り盛りしていた、私の曽祖父・山口嘉太郎とその母・トクです。うちは1772(安永元)年創業なのですが、時代が明治になり、“従来の商売ではダメだ”と思ったのでしょう。トクは大変教育熱心な方で長男の嘉太郎を、明治10年代当時、進歩的な商いをしていた、大阪の道修町(どしょうまち)の小西儀助商店に修行に出したのです。ここは接着剤の『ボンド』シリーズで知られる今のコニシ株式会社の前身です」
道修町は、江戸時代から続く医薬の町です。薬の神様・少彦名(すくなひこな)を祀る神社があり、武田薬品工業、塩野義製薬など日本を代表する大手製薬会社が本社を構えています。
「小西儀助商店は薬の他にも質が高い外国産のお酒も輸入していました。曽祖父とほぼ、同じ時期に奉公していた方に、サントリー創業者の鳥井信治郎さんがいました。
曽祖父は、ここで学んだことを、松江に持ち帰り、その後、商売は大きく発展します。八雲さんとのご縁は、1884 (明治17)年に小西儀助商店が、『アサヒ印ビール』という国産の黒ビールの製造を始めたことが始まりです。
曽祖父はこれを仕入れて、松江で販売した。八雲さんはアイルランドにルーツがあったので、ビールの中でも特にギネスのようなアイリッシュ系の黒ビールがお好きだったのではないでしょうか。当時、松江でそのようなビールを扱っていたのはおそらくうちだけだったと思います」

蔵に残されていた、薬や飲料容器などを展示することも。これは戦前のビール瓶。1876(明治9)年に『開拓使麦酒醸造所』(現サッポロビール)設立以降、国産ビールメーカーが増え始める。
ただ、ひいおじいさんから、小泉八雲という名前は聞いたことがなく、当時の大福帳(売上・管理帳簿)もまだ見つけられていないそうです。
「ですから、私たちは八雲さんと関係があることを、長年知らなかったのです。20年ほど前、小泉凡さん(小泉八雲記念館館長、小泉八雲曾孫)がお見えになって、“八雲は、こちらでビールを購入していました”とおっしゃったので、驚きました。
記録を探そうと、松江の郷土史家・桑原羊次郎さんの『松江に於ける八雲の私生活』(島根新聞社、1950年刊)を紐解くと、八雲邸の女中さんだった、高木八百(やお)さんへの聞き取りが記されていました」
“先生は、夕食後には必ず朝日ビールを二本ずつ飲まれました。このビールは当時松江大橋北詰の山口卯兵衛薬店だけにあったかと思います。始終朝日ビールを何ダースか買置きまして毎晩差し上げました」(原文ママ)”
桑原羊次郎『松江に於ける八雲の私生活』(島根新聞社、1950年刊)
八雲は、当時、松江の老舗和菓子屋一力堂の作っていた黄金牡丹という柔らかい和菓子を肴に、ビールを飲んでいた。
「このお菓子は、卵の黄身を使った餡で、黄色の花びらをかたどっており、真ん中が赤かったそうです。これを5〜6個、召し上がっていたと聞き書きがされています。やはり原稿を書くのは、頭を使うのでしょうね。八雲さんは甘党だったそうです」
今にも蔵にはレトロな品物がザクザク…店の一部を博物館にして、庶民の”お宝”を公開!【次のページに続きます】
八雲も使った!? 明治時代の「中身入り」インク瓶が現存
橘泉堂山口卯兵衛商店は、1908(明治41)年11月より松江市内に歩兵第63連隊が駐屯を始めたことで、大きく隆盛しました。
「曽祖父は、その未来を見越していたのでしょうか。薬、お酒、医療機器、舶来商品など多種多様なものを扱いました。1945年の終戦で、人も土地のほぼ全てを失い、お店は大打撃を受けたのです。その後は、今のドラッグストアのような品揃えで、松江の人々の暮らしとともに歩んできたのです」

橘泉堂山口卯兵衛商店の蔵で見つかった、明治40年代と推測される引き札(チラシ)。ドイツ製メガネ、西洋酒、西洋石鹸、舶来染粉、絵の具、化学薬品などの記載がある。

大正時代、『カブトビール』の宣伝の様子。看板の左に外国人が描かれているが、そのモデルが小泉八雲ではないかと言われている。

蔵で見つかった明治時代の中身入りのインク瓶。これと同じものを使い、八雲も執筆していたのだろうか。

現代の主力商品である漢方薬。右から、当帰や紫根等の天然素材のみを材料とした傷薬『潤肌膏』(540円)、漢方処方の代表的な煎薬である『葛根湯』(10日分2750円)、その他症状に応じた煎薬を処方。
時代とともに規模を縮小し、今は雑貨店を併設した漢方薬専門の薬局となり、店舗の一部を『まちかど博物館』として、店の蔵から見つかった珍しい品々を展示しています。
「庶民の文化というのは、時代の波にさらわれて、忘れ去られてしまいます。政変や戦争など大きな事件があっても、庶民はひたむきに、必死で暮らしを営み続けていた。私たちはその連綿とつながる時代の流れの一部にいるのです。この暮らしの形を伝えたいと思い、お店の一部を使い、季節ごとに展示を行っています。
これからのテーマは五月人形。大正期に作られたお飾り、食器や漆器を通じた食文化など、松江の暮らしがわかる展示で、皆さんをお待ちしております」
橘泉堂山口卯兵衛商店
住所:島根県松江市末次本町34
TEL:0852-21-2700
取材・文/前川亜紀
写真/橘泉堂山口卯兵衛商店(現:山口薬局)
参考/先駆者たちの物語(サントリー)、コニシ「沿革」