「なんで俺に指図すんねん」そんなモラハラ夫を「第2子の流産」が変えた でも変わったのは彼だけじゃなくて
出産後に夫婦の仲が急速に冷え込む「産後クライシス」。離婚や2人目以降の出産を躊躇(ちゅうちょ)する要因にもなると言われている。
連載「私たちの産後クライシス」では、6歳の1人娘を育てる40代の夫婦が直面する産後クライシスについて、それぞれの「一人語り」を通して迫ってきた。
連載の読者で感想を寄せてくれた関西に住む40代、ゆかさんには7歳と3歳の娘がいる。「モラハラ夫」の変化のきっかけは、第2子の流産だったという。(浅野有紀)
◆「毒親」との決別と独りきりの産後
里帰りはしたくないし、はなから夫は頼りにしていないので、私の持てる資源を生かして乗り越えようと思っていました。
あらかじめ、退院後の助産院を予約して、7日間の産後ケアを受けました。
私の母親はヒステリックで、精神的に押さえ付けられてきたんです。私には「レールが1本しかない」と思わされてきたような。

父親と子ども(記事中の人物とは関係ありません)
「毒になる親」という本に「親に手紙を出しましょう」という章があって、妊娠中に母親に別れを告げる絶縁状を書いたくらい。「娘には絶対に会わせない」とも書きました。
送ろうかと思いましたが、結局破いて捨てたんだったかな。
夫は育休を取りませんでした。職場で取った人が「あいつ育休取ってやがる」と揶揄(やゆ)されていたのを知っていたから。
◆「俺だってしんどい」逃げる夫への絶望
病院から助産院に移った日は、夫が夜遅くまで仕事で呼び出されていた翌日で、「俺だってしんどいんだよ」オーラを出してましたね。
どんなふうに夫は頼りないかというと、帰宅後に子どもと一緒に布団で寝られるように、助産院にいる間に「1階にスペースを作ってほしい」とLINEで頼んでも、なんの返事もないんです。
「やった?」「やった?」って毎日聞いて、やっと5日目くらいで「これでいいですか」って返事が来る。「何回も言わな、この人動かへんねんな」って思っていました。
夜泣きの対応も、まず私がトイレに行って、おむつを替えて授乳するというルーティンがあって、それを説明してあるんです。

(記事中の人物とは関係ありません)
「トイレ行ってくるからおむつ替えといてね」と頼んでも、夫は横になったまま子どもを手であやすだけで、起き上がることすらしない。
うんちが出るたびに、「うわー」「あっどうしよー」って。そんな汚いもんみたいな扱いならもうええわ、代われ!って、私がやっていました。
帰宅して1週間くらいで、夫は自分の部屋に布団を持ってそそくさと逃げていきました。
◆産後28日目の失神と「お茶碗」事件
家計は「君も働いているんだから」とフィフティ・フィフティです。
妊活のために仕事を辞めて出産したので、この頃は貯金の中から生活費を出していました。
産後28日目のお昼頃、立ち上がった時に貧血みたいにバタンと失神しました。
赤ちゃんの泣き声が遠くから聞こえてきて、数分で意識が戻ったことに気が付きました。
その間、夫はお茶わんを買いに行ってたんですって。普通に「倒れた」と伝えるだけじゃ帰ってこないと思ったので、「救急車を呼ぶレベルだから」と伝えました。その時も「大丈夫?」というひと言は絶対ないんです。
なんで土曜なのに、子どもと私を置いて出かけるんだと詰め寄ったと思います。
私が夜泣き対応で睡眠不足だったり、産後に握力が弱くなったりして、洗ったお茶碗を食器棚に戻すたびに、手から滑り落ちて割ってばかりいたんです。

連載「私たちの産後クライシス」記事リスト

連載「私たちの産後クライシス」記事リスト
◆夫は「パタニティーブルー」だった
夜洗った食器が、朝に山盛りになっているのを見るのがつらいから、がんばって片付けるたびに割る。
「また割ってるやん」と言われるので、「だったら自分で片付けてよ」と言ってもやりません。当時の夫の家事は風呂洗いだけはしてくれてたかな。
専業主婦になっちゃったという引け目を感じていたので、夫に強く頼めませんでした。
「ティッシュ取って」と言うだけで不機嫌になる人。「なんで俺に指図すんねん」と言いながら不服そうに時間をかけてのそのそと渡してくる。
そういう人だと気にしないようにしていました。
夫は定時で帰ってきますが、子どもと私に一切接しようとしない。毎週末、用事もないのに気が付いたらいないんです。
なんでこの人はこうなんだろうと思って検索すると「パタニティーブルー」と出てきました。母子に会わないようにこそっと出て行くなどと書いてありました。
もともと夫は義母との結び付きが強く、褒められて育っているので、家の中で自分が一番の存在。赤ちゃんにその座を奪われて、パタニティーブルーは喪失感が原因みたいです。
◆感情が消え、笑顔が消え…「この先どうなるんやろ」
倒れた1週間後、夫は私が妊娠中から計画していた同僚とのキャンプに出かけました。またいつ倒れるかわからないし、前とは状況が違うから行かないでと言っても、「このメンバーで集まれるのは今回だけなんや」と。
生後3、4カ月くらいの時はうつ症状が出ていたと思います。感情が消え、笑顔が消えて、廃人のように生きていました。

(記事中の人物とは関係ありません)
初めて子どもと公園に出かけ、子どもたちが笑ったりはしゃいだりする様子を、ベンチに座ってボーッと眺めていたのを覚えています。「世界って動いてたんだ…この先どうなるんやろ」と。
その後すぐ起業しました。本当は子どもが3歳になるまで自宅保育するつもりでしたが、私はそういうタイプじゃなかったと思い立って。
妊娠中に取得した資格があったので、11月の保育園の申し込みに併せて仕事を始めました。
保育料も「君が働きたくて預けるんだから」と全額自分で払いました。
◆暗闇の中でよぎった「最悪の情景」
生後9カ月ごろ、花粉症と風邪が重なり、しんどくて寝ていたのに、土日の育児を代わる様子のない夫。
子どもが泣きやまず、しんどいから「泣かないで!うるさい!」と思った時に、「子どもを殺してしまうのではないか」と一瞬頭をよぎりました。
明日の新聞記事に、母親が子ども殺害という記事が出て、その母親は私だった──。そんな情景が思い浮かびました。
やっとわれに返って、子どもを抱っこしたことが忘れられません。
その2週間後に保育園の入園式がありました。園長先生の「地域のみんなでこの子を育てていこう」という言葉に涙が止まりませんでした。
入園式で泣いていたのは、私だけです。
入園後の発熱対応も全部私です。夫は、参観日に「お父さんはじめまして」というくらい。

「俺のほうが給料が倍だ」産後クライシスは、その一言で始まった 苦しみ続けた妻が決意した「執念の復讐」
あわせて読みたい
「俺のほうが給料が倍だ」産後クライシスは、その一言で始まった 苦しみ続けた妻が決意した「執念の復讐」
◆「1歳半」の転機と悲しみの中の優しさ
子どもが1歳半を過ぎると、ようやく夫は子どもと二人だけで出かけられるようになりました。
保育園の送りや、一緒にお風呂にも入れるようになって、夫を見直すようになりました。
やっぱり男の人って、生まれたばかりの意思疎通ができない赤ちゃんは、宇宙人みたいでどう接していいか分からないんですね。
今、周りで離婚を考えているママがいると、「1歳半を過ぎたらパパもなんとかできるようになるから」って励ましています。
夫がさらに変わったのは、2人目を流産したことが大きかったです。
長女が2~3歳くらいの時に流産し、手術しました。歩いて帰るつもりだったけれど、夫が車で迎えにきてくれました。
途中、薬局に寄った時、「待たせてごめん」と言ったら、夫は「もうそんなんいいから」と。
◆「モラハラ夫」から「子煩悩なパパ」へ
いつもだったら、「はよせーや」って感じです。
モラハラ夫だと思っていたけど、「あ、この人心配してくれてるんや」と思いました。
その後も、私がリビングで横になってしんどそうにしていると、「そんなんだったら、俺が作ろうか」と、毎日夜ご飯を作ってくれるようになりました。
料理はもともとできる人です。子どもが生まれる前は、夜勤で私がいない時は作っていましたから。
子どもが生まれてからは、リビングでただ待っているだけでした。
ご飯のメニューを毎日考えるのもつらかったので、代わってもらえて楽になりました。
晴れて2人目が生まれた時も、産院の面会時に毎回飲み物を買ってきてくれて、「彼がこんなに気が付く人になったなんて」と感激しました。

男性育休1カ月、その後は無関心…なぜ夫は「やっといたよ」と報告してくるの? 私たちの産後クライシス
あわせて読みたい
男性育休1カ月、その後は無関心…なぜ夫は「やっといたよ」と報告してくるの? 私たちの産後クライシス
◆「レッテル」を貼り替え、自分らしく生きる
とてもケチで、細かく10円単位で割り勘する人なのですが、その飲み物も「いくらやった?」と聞くと「いいよ、それくらい」って。人が変わったようでした。
夫は今では、保育士さんや小学校のママ友から「子煩悩だね」と言われます。
集団登校の集合場所まで毎日送る父親は他にいないです。
まあ、見えない家事育児を全部やっているのは私ですけどという気持ちは今でもありますけどね。
でも、一番変わったのは私なんですよ。潜在意識の勉強をして、自分の意識を変えてみたんです。
私は夫に「頼りない人」というレッテルを貼っていたけれど、そうじゃなくて「家族のことを大事にしてくれる人」といういいレッテルに貼り替えてみたんです。

(記事中の人物とは関係ありません)
すると、夫が子どもと楽しそうに笑ってしゃべっている姿を見た時に、「ああ、この人は本当に家族を大事にしてくれているんだな」を感じられるようになりました。
私は世の中の女性に幸せになってほしいと思っています。もっと自分らしく生きていい。
私は「母親だから」といつも自分を後回しにするのではなく、自分っていうものがないと子育てできないと思うので、仕事も大事にしたい。
子育てと自分らしさの割合は模索中ですが、そうやって自分と向き合って、その環境を整えてくれた保育園のおかげで、自分らしく生きていこうと思えるようになりました。
あなたの「産後クライシス」経験、パートナーに「あの時言いたかったこと」を教えてください。いただいた声は、今後の取材の参考にさせていただきます。
経験談や感想はこちらから▶▶
(記事中の人物とは関係ありません)
【関連記事】"妻は「飢え死にしそう」だったなんて… 僕はギターを弾いていた 私たちの産後クライシス〈第1章ー夫〉
【関連記事】"「産後はまるで牢屋だった」空腹の私に、夫が放った信じられない言葉とは 私たちの産後クライシス〈第1章-妻〉
【関連記事】"「俺のほうが給料が倍だ」産後クライシスは、その一言で始まった 苦しみ続けた妻が決意した「執念の復讐」