国鉄の「急行型電車」、全国を駆けた黄金期の記憶

「急行型電車」の登場, 急行型の元祖、153系, 急行型の代表格、165系, ローズピンクの「交直流急行型」, 北陸本線の電車急行黄金時代

153系の急行「東海」(撮影:南正時)

今では全国のJR線上から有料の「急行列車」は姿を消してしまった。だが、戦後の国鉄全盛期、全国各地を結んだ優等列車の代表格といえば急行であった。

【貴重な写真を一挙公開】▶国鉄時代、大衆の足として活躍した「電車急行」全盛期の華々しい姿▶153系の「東海」や、「アルプス」「佐渡」などで活躍する165系▶大型のヘッドマークも誇らしげに長編成で快走する北陸本線の「兼六」「立山」「ゆのくに」▶そして東北の「多層建て列車」や九州各地を走った急行まで

日本の急行列車は、明治中期の1894年に山陽鉄道(現在の山陽本線)が神戸―広島間に運行した列車が起源とされているが、電車による有料の急行列車が全国に広がったのは第二次大戦後である。

1950年に登場し、「湘南電車」と呼ばれた80系により長距離電車の運行が始まって以降、153系や165系、さらに交流区間も走れる交直両用の451系をはじめとする「急行型電車」が相次いで登場し、全国の電化区間で大衆の足として活躍した。今回は、これらの国鉄急行型電車を取り上げたい。

「急行型電車」の登場

急行型電車の歴史をたどるうえで、まずは「準急」として登場した湘南電車80系について触れたい。

80系はそれまで基本的に近距離区間用と考えられていた電車のイメージを大きく変える中・長距離電車として開発され、車内も客車並みのボックスシートを備えた長時間の乗車に適した設備であった。50年には、伊豆方面への準急「あまぎ」「いでゆ」「はつしま」として運転開始し、電車の高速性能を発揮して東京―熱海間を90分で結んだ。

【写真】国鉄時代の「急行型電車」全盛期の華々しい姿。153系の「東海」や、「アルプス」「佐渡」などで活躍する165系、大型のヘッドマークも誇らしげに長編成で快走する北陸本線の「兼六」「立山」「ゆのくに」、そして東北の「多層建て列車」や九州各地を走った急行まで、大衆の足として活躍した電車急行の貴重な記録

その後、東海道本線全線電化後の57年には東京―名古屋・大垣間を結ぶ準急「東海」、名古屋―大阪・神戸間には「比叡」が運転を開始、それまでの機関車牽引の客車に代わり、電車による長距離優等列車が次第に存在感を高めていった。

そして58年には、その後の国鉄急行型電車の基礎となる153系が登場した。登場時は準急「東海」の運用に就いたことから「東海形」と呼ばれるようになった。

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中・長距離電車の時代を切り開いた80系電車(撮影:南正時)

ちなみに80系の設計を担当したのは、当時の国鉄車両局長で「新幹線の生みの親」として知られる島秀雄氏だった。そして、153系の設計を担当したのは技師長の島氏の部下だった星晃氏だった。

急行型の元祖、153系

153系の特徴は、前面の中央に貫通扉を配し、その両側に側面まで回り込むパノラミックウィンドウを配したデザインで、その後の国鉄急行型・近郊型電車の基礎となったスタイルである。

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初期型の低運転台車を先頭に走る153系の急行「比叡」(撮影:南正時)

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東京―大阪間を結んだ急行「よど」=1964年(撮影:南正時)

【写真】準急「比叡」のヘッドマークを掲げた153系。準急から急行への格上げは1966年だった

これは、島技師長が「80系は連結して運転していたが車両間を行き来できない」ことを指摘して、貫通扉を組み込むことを指示したのだという。

153系には、普通席とビュフェが半々となった合造車のサハシ153形が組み込まれた。そのビュフェで話題になったのが、今は伝説ともなった急行「いこま」「なにわ」の「すし電車」だ。ビュフェの調理室側のカウンターには「すしコーナー」が設けられ、車内ですし職人による本格的なすしが食べられることが話題になった。

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車内のビュフェですしを提供していた「すし電車」。中央が岸山さん(写真提供:岸山仁さん)

【写真】電車急行のビュフェで食べられたのはどんなすしだった?当時のすし職人に再現してもらった「おこのみ寿司」

筆者は後年、かつて車内ですしを握っていた職人で、静岡県清水市の「つばめ鮨」の主人であった岸山仁さんを訪ねて、当時車内で提供していた「おこのみ寿司」を再現してもらったことがある。

車内で出していた当時の上にぎり寿司は250円で、筆者が同店を訪れた時は「旅行者価格」の1000円で提供していた。岸山さんは「揺れる車内で刃物を扱うので細心の注意を払って握っていた」という。残念ながら岸山さんは2016年に他界され「すし電車」も伝説になった。

急行型の代表格、165系

63年には、153系の出力強化型として直流急行型電車の決定版である165系が登場した。勾配区間での運用もこなせるようになったことから、中央本線や上越線、信越本線といった直流電化の勾配線区に続々投入され、急行「佐渡」や「アルプス」などで幅広く活躍した。

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中央東線の小淵沢付近を走る165系の急行「アルプス」。グリーン車2両にビュフェを連結した全盛期の編成(撮影:南正時)

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上越線の岩原スキー場前付近を走る165系の急行「佐渡」。グリーン車2両にビュフェも連結した全盛期の編成(撮影:南正時)

【写真】上野―水上間を結んだ急行「ゆけむり」の165系。グリーン車2両を連結した堂々の12両編成で走る姿

153系との外観上の大きな違いは、前面がオレンジ1色だった153系と違って下半分が側面と同様に緑色で塗り分けられたことである。約700両が製造され直流電化区間で幅広く活躍したため、「急行電車」といえばこの車両をイメージする人も多いだろう。

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房総半島にも165系の急行が走っていた。銚子駅に停車する、ヘッドマークを付けた長編成の急行「犬吠」(撮影:南正時)

【写真】長野電鉄に乗り入れていた急行「志賀」。長電の夜間瀬川橋梁を渡る姿

165系のバリエーションとして、当時国鉄でもっとも急勾配の区間であった信越本線の「碓氷峠」横川―軽井沢間で、補助機関車のEF63形との協調運転に対応した設計の169系がある。169系は碓氷峠を経由する急行の「信州」「妙高」「志賀」などで運用され、信越方面の急行列車の顔となった。急行「志賀」は屋代から長野電鉄に乗り入れ、湯田中まで直通していたのも懐かしい記憶だ。

ローズピンクの「交直流急行型」

直流急行型電車がオレンジと緑の「湘南色」だったのに対し、東北や北陸方面の急行といえば独特のローズピンクとクリーム色の塗り分けの交直流急行型電車であった。

戦後、これらの地区の幹線は従来の直流ではなく、地上設備のコストを抑えられる交流による電化が進んだ。東北本線の黒磯以北、そして常磐線の藤代以北は交流電化され、その結果62年10月には上野―仙台間に急行「みやぎの」が、上野―日立間には準急「ときわ」が451系交直流急行型電車で運転を開始した。

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東北本線の急行「まつしま」(撮影:南正時)

東北地方の電化が進むと上野―盛岡間の「いわて」、上野―仙台間の「まつしま」など相次いで電車急行が登場。67年に磐越西線の郡山―喜多方間が電化された際に運行を開始した急行「ばんだい」は、東北本線内は急行「まつしま」や「ざおう」などと併結して走るいわゆる多層建て列車の代表格でもあった。

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東北本線の桜の名所として知られる大河原付近を走る急行「まつしま」と「ばんだい」の多層建て列車(撮影:南正時)

北陸本線の電車急行黄金時代

北陸本線も交流電化により、電車急行が走るようになった。63年4月には大阪―金沢間に急行「ゆのくに」「加賀」が、敦賀―金沢間には「越前」が471系10両編成で運転を開始した。2等車(のちのグリーン車)やカウンターでそばが食べられたビュフェ車を連結し、先頭車両に掲げた大型のヘッドマークは北陸本線の急行のシンボルとなった。

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グリーン車2両にビュフェを連結した全盛期の急行「ゆのくに」。北陸本線の急行は大型のヘッドマークがシンボルだった(撮影:南正時)

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グリーン車2両とビュフェを連結した堂々の12両編成で走る急行「兼六」=1974年12月(撮影:南正時)

【写真】車体の下部にクリーム色の細帯が入った60Hz電源用車両で編成された急行「くずりゅう」。細帯はのちに省略されるようになった

のちに急行「立山」や、米原で東海道新幹線と接続する役割の「くずりゅう」、名古屋―金沢間に「兼六」も運転を開始した。大型のヘッドマークを掲げ、グリーン車を2両連結した長編成の急行型は、特急「雷鳥」などと並んで北陸本線の看板的存在だった。

交流電化の九州でも交直流急行型電車が活躍した。岡山―熊本間の急行「有明」をはじめ「つくし」、「山陽」「はやとも」などが運転され、後年には九州内では「ぎんなん」「日南」「かいもん」などのローカル急行も登場した。

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583系の特急「有明」(右)とすれ違う急行「ぎんなん」(撮影:南正時)

【写真】鹿児島本線の串木野付近、重厚な瓦屋根の家並みを横目に走る急行「かいもん」。グリーン車とビュフェを連結した編成だ

北海道にも電化が広がると、電車急行が登場した。68年8月に小樽―滝川間の交流電化が完成すると、同年10月のダイヤ改正で電車急行「かむい」が登場した。

この列車に使われた711系は国鉄初の交流専用電車で、北海道向けとして徹底した耐寒耐雪装備を備えた。分類としては急行用ではなく近郊型にあたる電車だが、デッキ付きでボックスシートの並ぶ車内は急行用としても遜色なかった。

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711系の急行「かむい」(右)と接続して旭川駅を出発するC55形牽引の宗谷本線の列車(撮影:南正時)

こうして全国の主要な電化区間で電車急行が活躍するようになったが、急行の黄金期は決して長くはなかった。生活水準の急速な向上や自動車の普及が進む中、急行型のボックスシートは優等列車としては時代遅れの設備になっていった。

「急行」の衰退

70年代以降は特急への「格上げ」が進み、急行はビュフェの連結も次第に消えていった。国鉄末期にはダイヤ改正のたびに急行列車が次々と姿を消した。本来の用途を失った急行型電車は、普通列車などローカル運用で余生を送ることとなった。

電車急行の多くは国鉄時代の末期に廃止や特急格上げによって消え、急行型電車の急行運用として最後まで残った「赤倉」も97年に廃止された。急行型以外の車両による電車急行としては、新潟―大阪間を結んだ夜行急行「きたぐに」が、特急型寝台電車の583系を使用して運行されていたが、これも2012年に姿を消した。

「急行型電車」の登場, 急行型の元祖、153系, 急行型の代表格、165系, ローズピンクの「交直流急行型」, 北陸本線の電車急行黄金時代

JR化後も数は少ないながら電車急行の運用は残った。信越本線の青海川付近を走る165系の急行「赤倉」(撮影:南正時)

【写真をもっと見る】国鉄時代の「急行型電車」全盛期の華々しい姿。153系や165系、北陸や東北、九州で活躍した交直流急行型など、北海道から九州まで全国を走った電車急行の貴重な記録

ローカル運用で各地に残った急行型電車も消えて久しく、残るは新潟県の第三セクター、えちごトキめき鉄道のクハ455-701のみである。だが、国鉄時代に全国を結んで走った急行型電車の功績は、今後も語り継がれていくであろう。