「障害児を支える親の負担を減らしたい」72歳で運命の出会いをした医師が76歳で始めた挑戦
厚生労働省が出している「医療的ケア児者とその家族の生活実態調査 報告書」(令和元年版)によると、医療的ケア児のいる家庭で843名(94%が母、5.3%が父)に行った調査では、特に女性の場合、就業継続が困難、就労できないなどの悩みが多数派だ。以下のような生の声もある。
「医療的ケア児の就学に伴い、就労ができなくなる問題を抱えている」
「医療ケアが必要な子どもが産まれたことで仕事を辞めなければならなくなった。その事で家計が圧迫され、将来にとても不安を感じている」
「軽く就労しているが病児保育の受け入れがないのでいつ解雇されるか不安」
「医療的ケア児を抱え就労しているが、かなり困難である。なぜ、重心児かつ医療的ケア児であ るだけで、保育園と同じ扱いにならないのか」
「1人で介護しているので、やはり何かあったりした時の事を考えるととても不安。学校からの 呼び出しも多くて、仕事に就けず経済的にも余裕が無く困っている」
報告書に「障害福祉サービス等の利用にあたっての課題」については、78%が「医療的ケアに対応可能な事業所が十分でない」と答えている。また、学校をのぞき、「家族以外の方に、医療的ケアを必要とする子どもを預けられるところがない(学校を除く)」、と答えたのは、「当てはまる」は33.0%、「まあ当てはまる」は24.0%で、合わせた割合は、 57.0%だ。急病や緊急の用事ができた時に、医療的ケアを必要とする子どもの預け先がない 「当てはまる」は63.1%、「まあ当てはまる」は19.6%で、合わせた割合は、82.7%にものぼる。さらにケアをしている8割以上の方が「外で別の仕事に就きたい」と思っていても、頼む場所がないことで働けずにいるということもわかる。
OECDのデータをみると、スウェーデンをはじめとした北欧では、子どもが障害を持っていても、母親を中心に離職する人はごくわずかで、日本のサポートの遅れも指摘されている。
しかし、「国がやればいいのに」と言わず、自身でそのような環境を救おうと動いたのが、76歳の小川郁男医師だ。父の認知症発症を機に、介護にもかかわるようになっていた小川医師は、2020年、72歳のときに先天性多発奇形症候群を抱える松本幹太くんと出会った。
「重症児たちの医療も大事ですけど、ママたちの話を聞いてどうにかしなくちゃいけないと思ったのは、子どもを支える親の負担です。24時間365日見守っているというのは、けっして大げさないい方ではないんです」
作家の町田哲也さんが伝える、小川医師の「エンドレスチャレンジャーという生き方」。前編「72歳の医師が体重が10キロしかない6歳の男の子と運命の出会いをして「人生が変わった」理由」では2023年、医療型特定短期入所として鶴ヶ島ほっこり村診療所が開設するまでをお伝えした。後編ではそれからのことをお届けする。
医療的ケア「6歳の壁」
ほっこり村には2025年末時点、18人が登録している。広さ8平方メートルあたり一人収容できるという国の方針に照らすと、6人まで同時にケアを受けることが可能で、毎日平均して3、4人が通っている。小川の想定では、この施設を利用するに相当する患者はもっといるはずだという。
「医療的ケアの世界では、6歳の壁と呼んでいます」
子どもが小さいうちは、多くの場合、障害児の面倒は母親が家でみている。6歳の壁というのは、それまで家で面倒をみていればよかった子どもが、小学校に通わせるに際してさまざまな準備が必要になり、家族の負担が増す問題のことだ。

小川郁男医師
定期的な外出が求められるようになると、子どもの送り迎えや付き添い、医療機関や学校との連携が必要になる。スムーズに生活の変化を支えるとともに、外に出るのをあきらめていた家族の背中を押すのも小川の役割だ。
18歳になることで、医療的ケア児の受け皿となる生活介護事業所が不足する18歳の壁という問題もある。障害児が大きくなった後で、どう育てていけばいいのか。医療が発達して、以前であればすぐに死んでしまう子どもも生きながらえることが可能になった。今後は医療的ケア児が成長した後で、どう育てていくかという問題に向き合わなければならない。
ぐっすり寝ることはほとんどなかった
曜さんの一日は長い。朝は7時頃にガーゼ交換などの医療処置をしてから導尿し、朝食の内服薬を注入する。10時頃に様子を見ながらたんの吸引や体位交換をして、13時頃にふたたび導尿してお昼ご飯だ。
午後は、15時頃から座位保持椅子に座らせる。寝たきりで内臓が固定化してしまわないように、姿勢を保つ重要な訓練だ。18時頃に導尿と体位交換をして、22時頃入浴し医療処置をする。23時に夕食の内服薬を注入し、口腔ケア、導尿をする。朝の3時にも導尿だ。
幹大君が落ち着いている合い間が、曜さんの睡眠時間だ。夕方から夜までの間もあれば、午前中に時間を見つけて寝るときもある。3時間も眠ることができればいい方だ。在宅看護がはじまって以来、ぐっすり寝ることはほとんどなかったが、ほっこり村に預けるようになって生活に余裕ができた。
曜さんが大事にしているのが、社会との接点だ。どんなに子育てや看護で忙しくても、仕事は辞めたくない。今働いているのは介護施設だが、時間の融通が利くというメリットは大きい。ほっこり村に幹大君を週5、6回の頻度で預け、週に3、4回勤務している。同じような境遇にいるママとのつながりもできた。
「正直いって、あまり長く生きられないお子さんが多いんですよ」
「難病の子ばかりですからね……」
「ここまで成長したのが奇跡だっていわれてる」
わが子の死を意識したことはあるのだろうか。曜さんは、ぼくが訊きづらそうにしているのを気遣ってくれた。
「うちの子だって、ここまで成長したのが奇跡だっていわれてるくらいですから、いつ死ぬかわかりませんよ。だからこそ、悔いの残らない生活がしたいと思ってるんです。朝起きたときに、今日も生きていることに感謝できることってすごく大事で、後であんなことをすればよかったなんて思いたくないですから」
障害児を連れた旅行
曜さんが好きなのが旅行だ。障害児を連れて旅行に行くなんて、と思う人も少なくないかもしれないが、決して変なことではないと小川はいう。毎日自宅と病院の間を往復する車のなかは、医療器具がセッティングしてあるので、むしろ安全なくらいだ。
新潟、福島、山形、伊豆など、いろんなところに愛車のセレナで旅行した。曜さんがちょっとやり過ぎだったかなと反省するのは、伊豆の砂浜で遊んだことだ。昔から泳ぐのが好きで、いつかビーチに一緒に行きたいと思っていた。

幹大くんといろんな体験をすることを諦めない 写真提供/松本曜
小川もめずらしく、砂浜は思った以上に気温が高くなるし、砂が肺に入ると危険だと苦い表情をしたが、少しだけと自分を許してしまったという。帰ってしばらく幹大君が体調を崩したのは、ビーチで熱中症になったからだろうか。今では楽しい思い出だ。
こういう施設が街にあることが大事
「お金については、いつも苦労しています」
病院の資金調達についてたずねると、小川は苦笑いした。3、4人の患者でも、スタッフは毎日のべ10人近くが勤務している。公的の助成があるといっても、けっして楽ではないはずだ。
耳鼻科医院を開業したときには、父の威光ですぐに融資してくれた金融機関も、介護施設を開設したときには、担保があっても簡単に首を縦に振らなかった。粘り強いお願いと山岳人脈を活用して、最後は事業の価値を理解してもらえた。小児ケアも同じで、みんなで協力するしかないとわかってもらえる人のつながりが心強い。
「こういう施設が、自分の街にあることが大事なんです」
小川の次なる問題意識は、どうすれば家族の送り迎えの負担を軽減させることができるかだ。医療は患者と家族のためにある。そんなことを気づかせてくれた幹大君との出会いは、医師として生きる自分への最大級のギフトだ。

小川医師と幹大君 写真提供/小川郁男
70代を超えても、新たな発見の毎日だ。この歳になっても、まだチャレンジすることができるのは幸せなことだと小川はいう。人生の最終章で、一番いい場所を与えられたと思っている。
小川郁男(おがわ・いくお)プロフィール
昭和22年埼玉県生まれ。昭和47年日本大学医学部卒業。専門領域は耳鼻咽喉科。
平成5年、父親(内科医)を自ら介護した体験から、地域住民の「住み慣れた地域で豊かな老後」を念じ、老人保健施設鶴ヶ島ケアホームを開設。平成15年、「地域住民の健康及び、高齢者の豊かな老後を医療面から支える」目的で19ベッドを持つ診療所を開設し、入院及び内科、外科、耳鼻科の一般外来はもとより、リハビリテーション、言語療法、往診、訪問診療等の在宅医療を推進中。令和2年度、地域の医療現場で長年にわたる活動の顕彰を目的として日本医師会が創設した「赤ひげ功労賞」受賞。
公益社団法人埼玉県介護老人保健施設協会会長、埼玉県耳鼻咽喉科学会常任理事、埼玉県有床診療所連絡協議会会長。