井村屋はなぜ130年間「失敗」し続けられるのか

「imuraya sweets marché Russelia(ラッセリア)」外観。Russeliaという店名には、ハナチョウジの花言葉「旅立ち」のその先にある“新しい出会い”という意味が込められているという(写真:筆者撮影)
「あずきバー」井村屋が130年続けてきた"実験"の正体
三重県津市の、お世辞にも好立地とはいえない商店街の一角に、今年2月にオープンした店がある。「imuraya sweets marché Russelia(ラッセリア)」。「あずきバー」で知られる井村屋が手がけた新業態だ。
【写真を見る】手前から時計回りに「菓子舗井村屋」の「酒々まんじゅう」6個入1080円、「アンナミラーズ」の「アップルパイ」864円、「ラ・メゾン・ジュヴォー」の「ミルフィーユ ショコラ」735円(筆者撮影)
和菓子、アメリカンスイーツ、フランス菓子という、本来交わらないはずの3ジャンルが100種以上のアイテムとともに一つの空間に並ぶ。一見すると「なぜこの組み合わせ?」という疑問が浮かぶ。
この店を理解するには、井村屋が創業以来130年にわたって積み重ねてきた「失敗と実験」の歴史を知る必要がある。
井村屋の創業は1896年。三重県飯南郡松阪町(現在の松阪市中町)で開業した菓子舗「井村屋」がルーツだ。創業者の井村和蔵は、農家の六男に生まれた。

井村屋の創業者、井村和蔵(写真:井村屋提供)
親からは医者になることを勧められたが、本人は商人の道を志し、松阪の米問屋に丁稚奉公に出た。そこで商売の基礎を学び、結婚もして商人としての経験を積んでいくが、米相場で大きな失敗を経験する。
ところが、この出来事がその後の人生を決定づけた。
失敗から始まった「まずやる」経営
「米相場での失敗をきっかけに、『作れそうな気がする』という理由だけで菓子づくりを始めたという記録が残っています。できるかどうかではなく、思い立ったらすぐやる性格だったようです」
こう語るのは、ラッセリアを運営する井村屋フードサービスの代表取締役社長、北角収氏だ。
米の卸売から菓子製造へ。そこに業種としての連続性はないが、躊躇はなかったという。そして、この、「まずやってみる」という姿勢は、現在に至るまで井村屋の経営に共通する価値観となっている。
創業とともに発売された「山田膳流しようかん」は、その象徴的な商品だ。どの家庭にもあったお膳に煮詰めたあずきと砂糖、寒天を流し込むという発想はシンプルだが、当時としては斬新だった。
「その頃は砂糖自体が貴重で、ようかんは贅沢品でした。他店よりもたっぷりと砂糖を使い、甘くておいしいという評価を得たようです。糖度の高さは日持ちの良さにもつながり、結果として商品価値を高めました」(北角氏)
1906年に登場した「うずまき」、「とらまき」も、井村屋の歴史を語る上で欠かせない商品である。興味深いのは、その誕生の経緯である。熱した鉄板の上に流した生地の上にあんこをのせて、生地を巻いて仕上げるのだが、見よう見まねで作っていたため焼きムラができてしまい、生地がトラ模様のようになったという。
本来であれば失敗とされる状態だが、味の良さがそれを上回り、結果として評判を呼んだ。
見た目が悪くても味が良ければ、そこに自信を持ち、商品にする。この「実験→評価→継続」というサイクルが、井村屋のDNAとして刻み込まれていく。

井村屋フードサービスの代表取締役社長、北角収氏(写真:井村屋提供)
もう一つ、井村屋の経営を語る上で欠かせないのが、あんこの自家製へのこだわりだ。当時、製餡所から餡を仕入れるのが業界の常識だったなか、井村屋はあずきから自分たちで餡を作り続けた。
「楽をしてはいけない、妥協してはいけないという考えがあったと聞いています」(北角氏)
あずきの皮を取り除く技術は簡単ではなく、試行錯誤を重ねて確立された。既製品を使えば効率は上がるが、その分、味の自由度は失われる。自家製にこだわることで、独自の味と品質を生み出し続けた。
この思想の結晶が、1973年に発売された人気アイス「あずきバー」だ。
発売から少しずつ改良を重ねることで品質を維持、向上させてきた。だが、発売50周年の2023年に原材料を見直し、コーンスターチをあずきパウダーに変更。現在の原材料はあずき、砂糖、水あめ、食塩の4つのみになり、よりシンプルでおいしくなった。
「洋食」への越境と、アンナミラーズ復活という伏線
1973年、「あずきバー」発売と同じ年に、井村屋はもう一つの大きな賭けに出る。アメリカンパイのレストラン「アンナミラーズ」の日本展開だ。
2代目・井村二郎がアメリカで食べたパイに感動し、「日本でできないか」と動いたのがきっかけである。マクドナルドの日本上陸(1971年)、デニーズの進出(1974年)と時期を同じくする外食産業勃興期の挑戦だった。
パイだけでなくルーベンサンドやBLTサンドも提供し、ドイツの民族衣装ディアンドルをルーツとするユニフォームも話題になった。長年にわたってファンに愛され続けたが、2022年、最後の店舗となった高輪店が品川駅の再開発に伴って閉店する。
しかし、ブランドは消えなかった。ECサイトやポップアップショップを通じてファンの根強さが改めて浮き彫りになり、2026年、奇しくも1号店と同じ南青山に再出店を果たしたのだ。
「単なる懐かしさではなく、アンナミラーズを愛してくださるお客様の継続的なご支持があったからこそ」と北角氏は言う。
一度撤退したブランドを、ファンの声を根拠に復活させる。これもまた「実験→評価→継続」のサイクルそのものだ。

1973年、東京・南青山にオープンした「アンナミラーズ」1号店(写真:井村屋提供)
フランス菓子の「La maison JOUVAUD(ラ・メゾン・ジュヴォー)」との提携もまた、井村屋の思想と重なるブランドだ。2003年に二子玉川の髙島屋南館で1号店がオープンし、現在は東京と名古屋、京都で店舗を展開している。
「当時髙島屋にはアンナミラーズが入っていましたが、新しいブランドでの挑戦を求められました。そんな中でフランスのラ・メゾン・ジュヴォーと出会い、アンナミラーズと同様に家庭の味や素朴さ、ファミリー感のある企業スタイルに共感して技術提携しました」(北角氏)
華やかさよりも日々の暮らしに寄り添う味。この価値観は、和菓子であるようかんともあずきバーとも通底している。ジャンルは違っても、井村屋が選ぶブランドには一貫した「選球眼」がある。
ラッセリアは「完成形」ではなく「実験場」
こうして築かれてきた複数のブランドを一つに集約したのが、ラッセリアである。
立地はJR・近鉄津駅前の市内中心部からやや離れた津大門商店街付近。好立地とは言いがたい。しかし取材時、平日にもかかわらず駐車場には県外ナンバーの車が並び、店内は賑わっていた。
「三重県は井村屋グループの創業の地であり、本社もあるのにアンナミラーズもジュヴォーも県内に販売場所がなく、地元の皆様にご不便をおかけしていました。このエリアはかつての商業の中心地でありながら、現在は人通りが減少しています。地域の活性化に貢献したいという思いもありました」(北角氏)

手前から時計回りに「菓子舗井村屋」の「酒々まんじゅう」6個入1080円、「アンナミラーズ」の「アップルパイ」864円、「ラ・メゾン・ジュヴォー」の「ミルフィーユ ショコラ」735円(写真:筆者撮影)
店内には、「菓子舗井村屋」と「アンナミラーズ」、「ラ・メゾン・ジュヴォー」の3ブランドが並ぶ。そのアイテム数は100種以上にもおよび、商品を選ぶ楽しさを提供するだけでなく、カフェスペースで過ごす時間やギフト需要にも対応する。また、店舗内に工房を設けることで、できたての商品を提供できる体制も整えている。
これだけでも十分に魅力的な店だが、北角氏が強調するのはそこではない。この店は、新たな商品やブランドを生み出すための実験場でもある、という点だ。ラッセリアは完成形ではなく、次の展開への拠点として位置づけられている。
井村屋の歩みを振り返ると、一貫しているのは「まずやってみる」という姿勢と、「人の真似をしない」という考え方にたどり着く。
米の卸売から菓子製造へ、和菓子から外食へ、そして、複数ブランドの融合へ。130年の歴史を通じて井村屋が繰り返してきたのは、常に「これまでにない組み合わせ」への挑戦だった。
ラッセリアは、その延長線上にすぎない。ここからどのような商品やブランドが生まれるのか。創業から130年を超えてなお続く試行錯誤は、まだ終わっていない。