すし・肉…食めぐる技能に脚光 生成AI時代に問われる知的労働スキルの相対化
かつて、日本社会には半ば常識化した「成功のロードマップ」が存在した。高い偏差値を武器に難関校を卒業し、大企業の門をたたく。空調の効いたオフィスで、パソコンを介して膨大なデータを操る――。それが長らく、ビジネスパーソンにとっての「勝ち組」のイメージだった。
しかし今、その盤石だった前提が音を立てて崩れ始めている。
生成AI(人工知能)の爆発的な普及は、言語化・論理化を主眼とする知的労働の中でも、とりわけ「中間工程」の価値が急速に圧縮されている。これまでの「正解」がコモディティー化する一方で、皮肉にも今、相対的に価値の重みが増しているのは、デジタルでは代替しにくい領域だ。自らの指先で価値を具現化する「職人的な技能」と、生命の根幹を支える「第1次産業」だ。
情報の海を泳ぐ能力よりも、素材と対話し、身体に技術を染み込ませる力が、かつてない希少価値を持ち始めている。本稿では、あえてデジタル中心の働き方から一歩距離を取り、身体性を伴う領域に踏み出した先駆者たちの軌跡から、これからの時代を生き抜くための真のリスキリングの本質を探る。相対的に価値の重みが増しているのは、デジタルでは代替しにくい領域だ。
「コンピューターと話す日々」に抱いた違和感
フリーランスの「すしコンダクター」として活動する30代の女性は、コンサルティング会社でデータサイエンティストとしてキャリアを積んでいた。ビッグデータがバズワードとなり、パナマ文書などのデータジャーナリズムが脚光を浴びた時代、彼女は「専門知識を持った記者になりたい」という夢を抱き、文系出身ながらデータ分析の最前線へ飛び込んだ。
新設部署で、プログラミング言語のPython(パイソン)を駆使した機械学習のコーディングに明け暮れる日々。その仕事は刺激的ではあったが、次第に強烈な違和感が彼女を襲う。
「一生、コンピューターとしゃべる仕事でいいのだろうか。コンサルタントという職業柄、究極的にはコンピューターよりも人と話したい」
多忙を極める生活の中で抱いたその疑問は、タイへの駐在経験でさらに深まった。現地で「到底、すしとは思えないようなもの」が日本食として高値で取引され、熱狂的に受け入れられている光景を目の当たりにした彼女は、日本のアセットが持つ未活用な部分の可能性を直感したのである。
「寿司が握れる」という圧倒的な市場価値
転機は、夫の留学に伴う渡米だった。当初は米国内での転職も考えたが、夫が将来的に欧州へ拠点を移す可能性も浮上していたため、「言語の壁を超えて世界中で戦える技術」の必要性に迫られた。そこで彼女が選択したのが、有給消化期間を利用した東京にあるすし学校での短期集中修業だった。
材料費込みで100万円近い自己投資を行い、包丁を握ったこともない状態から、内臓付きの魚を2分半で3枚におろし、刺し身にするまでの技術を身体にたたき込んだ。「お前は何ができるのか」と問われるシビアなシリコンバレーのコミュニティーにおいて、「データサイエンティスト」と名乗る以上に「すしが握れる」という事実は圧倒的なインパクトを放った。
口コミは瞬く間に広がり、スタンフォード大学のインターナショナルセンターからはワークショップの依頼が舞い込み、現地の起業家たちのパーティーや邸宅での個人レッスンに呼ばれるようになった。特に現地の人々を驚かせたのは、彼女が語る「本物の物語」だ。
「アボカドやサーモンを使わないのが伝統的な江戸前。日本ではこれらはお店では出ないんだよ」と説明し、海外では珍しい「かんぴょう巻き」や「梅キュー」を振る舞うと、知的好奇心の強いエグゼクティブたちは「これがトラディショナルなのか」と目を輝かせる。1回のワークショップ(約10人規模)で15万〜20万円、個人レッスンであれば1人数百ドルを支払っても、彼女の「技術と知識」を求める人々が後を絶たない。

パーティー用に依頼されて作成したすし
「高級部位」を売るだけのモデルを疑う
一方で、日本の伝統的な「食」のアセットを、ビジネスの仕組みそのものから変革しようと動く人もいる。畜産ビジネスの構造に精通し、異業種からこの世界に飛び込んだNIKUJILLE(ニクジル、福岡市)の有田ジェームス氏は、日本の畜産が抱える深刻なゆがみに直面していた。
「輸出される和牛の7割は、サーロインやヒレといった一部の高級部位ばかり。しかし、牛1頭からは約350キロの肉が取れ、高級部位はそのうちの50キロ程度に過ぎません」
残りの大部分が国内消費に頼らざるを得ない現状は、人口減少が進む中では農家にとって決して幸福な循環ではない。そこでジェームス氏が打ち出したのは、肉という「モノ」だけでなく、繊細なカット技術という「ソフト」をセットで輸出する戦略だ。

世界最大級の食品展「ガルフード(ドバイ)」での和牛プロモーション。 華やかなカッティング実演が、現地の観客を釘付けにしていた
和牛は霜降りの入り方が独特で、そのポテンシャルを引き出すには極めて繊細な扱いを要する。海外のシェフに「どう切るか」を教える人材を派遣し、1頭まるごとの価値を伝える。中東情勢が緊迫する前の2026年1月にもドバイで宮崎牛のプロモーションを伴うレセプションが開催され、そこでも単なる「食材提供」にとどまらない、技術とストーリーを背景にしたアプローチが現地のエグゼクティブを引つけた。
ジェームス氏は、こうした技術者への還元を惜しまない。海外へ派遣するカット技術者の給与は、日本の倍以上に設定されている。
「技術があるなら、それに見合う正当な報酬を受け取るべきだ。若い人たちが『職人になりたい』と心から思える夢のある仕組みを作ることが、日本の1次産業を強くすると思います」
かつて「現場の仕事」と敬遠された技能は今、グローバル市場における「高付加価値なソフトウエア」へと書き換えられようとしている。

1月にドバイで行われた宮崎牛のレセプション。肉を切るパフォーマンスが好評だった
AI時代に進む「閉じる世界」と「閉じない世界」の分化
私たちが今、真に取り組むべきリスキリングとは、一人の人間として何を生み出し、どう他者とつながれるか。その根源的な問いに対する答えを、自らの「手」と「頭」を通じて、現実に価値を生み出す形で作り上げることにある。
データサイエンティスト協会理事などを務め、AI・データ領域の第一人者である安宅和人氏も、こうした「身体性」を伴う技能や1次産業の相対的な重みの上昇を鋭く指摘する一人だ。
「価値の生まれ方には、構造が根本的に違う2種類があると考えています」
安宅氏はそう提起する。一つは、記号と情報で動き、再現可能でログが蓄積される「閉じる世界」。広告の最適化や法律文書の作成など、結果がシミュレートできるこの領域のとりわけ中間的な工程は、AIによって猛烈な速度で圧縮されていくという。
「もう一つは、有機的な対象を相手にし、物質を伴い、条件が毎回違う一回性の中にしか成立しない『閉じない世界』です。天ぷらを揚げる、あるいは陶芸のような営みがこれにあたります」
かつて、紙や会議室で完結するホワイトカラーの仕事は、現場の仕事(ブルーカラー)よりも高度で高付加価値だという暗黙の序列があった。しかし安宅氏は、AIの台頭によってその前提は崩れていくと語る。
「弁護士や会計士はホワイトカラーですが、価値創造の相当部分はサイバー空間で閉じており、AIに圧縮されやすい領域です。一方で、素材や環境に応じて高度な判断が求められる仕事、たとえば料理人の営みは、条件が固定できず、不可逆で、長年の『身体の履歴』がなければ成立しません。AIが最も触れにくい領域なのです。つまり、これまでホワイトカラーとブルーカラーの間にあった『格』の序列そのものが意味を失い、価値の置かれ方が書き換えられる。これは単なる職業の話ではなく、何が高度な知性かという構造的な書き換えに他なりません」
本稿で紹介した寿司職人や肉のカット技術者が体現しているのは、まさにこの「閉じない世界」の価値だ。彼らは頭で計算するより先に身体が動き、その瞬間の素材や環境に応答している。安宅氏の言葉を借りれば、それは「ファーストハンドの経験の積み重ねからしか育たない『知覚』の発露」である。
「AIが完璧な天ぷらを揚げたとしても、一人の人間が有機的な素材と格闘している現場そのものを共に生きることに価値がある。閉じる世界が徹底的に圧縮されればされるほど、人間がそこで格闘している『閉じない世界』の価値は、経済的にも文化的にも重みを増していくでしょう」
重要なのは、どちらか一方に寄ることではない。両者の構造の違いを理解し、どこが圧縮され、どこに不可逆性が残るのかを見極めることにある。
AIが論理化・言語化といった再現可能な部分を急速にコモディティー化させる中で、泥臭く素材と対話し、身体に履歴を刻む営みは、再現可能な領域が圧縮されるほどに、相対的な価値を増していく。サイバー空間で完結する領域と、現実の中で不可逆に展開される領域の双方を行き来しながら、自ら価値を生み出すこと。それこそが、これからの時代において構造的に優位に立つための戦略となるはずだ。
(ライター・雨宮百子)