日本定住を望む外国人が、カタコトでもいいから日本語を学ぶべき理由

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筆者は、大勢の外国人が短期間に日本に入ることには反対だ。しかし、外国人を受け入れざるを得ない状況を迎えるならば、互いのためにも外国人に日本を深く知ってもらわなくてはならない。日本のように民族的・言語的な均質性の高い国においては、日本語を知ることなしに日本人を理解しようとするのは難しい。日本定住を目指す外国人は、日本語を学んで、日本の心を理解してほしいと強く願っている。(パタプライングリッシュ教材開発者 松尾光治)
「よろしくお願いします」が通用しない
名刺交換や自己紹介の締めくくりに、あるいは初めて会う取引先の相手に「よろしくお願いします」と挨拶するのは、多くの日本人にとって当たり前の光景だろう。意識しようがしまいが、その言葉の裏には、相手への敬意(低姿勢)と、今後の良好な関係構築を願う気持ちが少なからず込められているはずだ。
では、この「よろしくお願いします」を英語で言うとどうなるか?
たいていは、Nice to meet you.で済ますことが多いと思う。「あなたに会えたという今の事実が、私にとってナイス(心地よい)です」という、感情のポジティブな表明である。
ただしそこには、「よろしくお願いします」に含まれる謙遜さや、今後の関係構築へのニュアンスはない。英語圏の文化において、そうしたニュアンスは無用の長物だからだ。結論からいうと、日本語の「よろしくお願いします」にどんぴしゃで該当する英語表現は、ない。
英語圏では、初対面での謙遜する態度は、下手をすると「自信が無いのでは」と思われかねない。今後の関係構築は、行動を通じて互いが自分の価値を証明していくことでこそ、作られるというのが前提にある。
翻って「よろしくお願いします」は、AI翻訳では対応できない「日本の心」がこもった言葉のひとつだと考える。
日本語の特殊性、英語との大きな違い
ある民族の言語というのは、その民族が時には何千年もかけて培ってきた価値観、感情の機微、世界観などと複雑に絡み合っている。語彙や表現、さらには言語構造・文法までもが互いに影響し合っていることもある。
日本語と英語を比較した際、日本語の特徴のひとつはコンテクスト(場の空気)や対人関係、相手への配慮を反映した表現が極めて多いことだ。※
代表例として、「一人称」が挙げられる。自分のことを呼ぶのに男性なら「わたし、わたくし、僕、俺、自分、(自分の子に向かって)パパ」などと、相手との関係性や距離感によって瞬時に使い分ける。
一方、英語だと自分を指す言葉は「I」のみだ。英語では、自己をはっきり示す。日本語では、状況や相手に合わせて振る舞い方を調整するという文化があり、語彙と表裏一体になっている。
もちろん英語圏でも、関係性や距離感の取り方が複雑になることはある。が、個人の意志や情報の具体性を重視する文化なので、自分の権利や意見、感情の細かいニュアンスを論理的に文章表現する。単語では言い表せない。
ちなみに、日本語と同様に社会的感情や対人関係のニュアンスの違いを表現する語彙が非常に多い言語は、他にもある。一例が、アラビア語だ。多様な敬語表現で微妙な距離感を調整し、さらに詩的・宗教的・方言的な多様性があるそうだ。

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Kawaiiが英語圏に受け入れられたワケ
話は変わるが筆者が渡米直後、1990年前後に暮らしていた地域では、女の子が小学校高学年にもなると、口紅やアイメイクに挑戦しながら「大人の女性っぽさ、セクシーさ」へ急ぐ空気があった。
そこにサンリオがハローキティを持ち込み、「kawaii(カワイイ)」という選択肢が加わったとき、多くのアメリカ人女性が、これに飛びついた。
Cuteやpretty、beautifulといった言葉にはない、「非セクシーな幼さ」を肯定するニュアンスの言葉がそれまで英語にはなかった。Kawaiiは、人類共通の感情・感性に日本文化発祥の言葉が「呼び名を与えた」と言えよう。

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人間は元来、誰もが同じ感情や感性を持っている。しかし生まれ育った環境と言語、そして各人の個性によって、それほど育たなかったり埋もれたままになったりするものがある、と筆者は考える。
古くは「kaizen(カイゼン)」に始まり、「ikigai(生きがい)」や「mottainai(もったいない)」など、英語圏の語彙にそのまま取り込まれた日本語は数多くある。その多くは、誰もがその存在を感じてはいたが、それをひとことで表すどんぴしゃの語彙が英語には存在しなかったところ、日本語がうまくハマったのだろう。
ちなみに日独合作映画『パーフェクト・デイズ』(Perfect Days)を通じて欧米に拡散した、「Komorebi(木漏れ日)」という言葉は、英語に直訳すればsunlight leaking through trees(木々を通って漏れてくる日光)となり、実に味気ない。Komorebiという言葉に情緒や美を感じる感性の外国人が、日本を訪れると、「生まれ故郷に帰ってきたような気がする」という。
内気な日本人が、英語を話すと大胆になる
言語の違いは、話す人の思考回路や態度にまで影響を与えることがある。例えば内気な日本人が、英語を話す時は少し大胆になれる、というケースがよくある。
英語における丁寧な表現を知らないので、ついストレートになってしまいがち、という要素もあるだろう。一方で、日本語の敬語のように言葉の端々に気を遣う必要がなく(人間関係への配慮の薄さ)、文法上YesかNoを最初に明確にせざるを得ない(日本語だと最後でいい)言語であることも関係していそうだ。
さて、前置きが長くなってしまったが本題だ。これまで述べてきた理由からも、分かってもらえたと思う。日本定住を目指す外国人は、日本人の思考形式と感性を強く反映する日本語を学んで、日本の心を理解してほしいと筆者は強く願っている。
Nice to meet you.の後に加えるひとこと
冒頭の話に戻ると、日本のビジネスパースンが「よろしくお願いします」に含まれるニュアンスを初対面の相手に伝えたい場合、Nice to meet you.の後に、次のひとことを加えると良い。
◆相手への敬意を示すには、I've heard great things about you.(ご活躍はかねがね伺っております)。
◆関係構築への気持ちなら、I'm looking forward to working with you.(一緒にお仕事するのを楽しみにしています)。
逆に、もし外国人に「よろしくお願いします」の意味を教えるならば、上のようなニュアンスも教える必要がある。しかし正直言って、これは面倒でもある。日本人同士なら意識しない暗黙の了解事項を、わざわざ言語化して説明する必要があるからだ。
そして、この面倒な作業を根気強く行なっていけるかどうかが、日本が外国人受け入れに成功するか否かの鍵を握ると思う。いわゆる日本の常識とされる、日常のありとあらゆる行動規範においてで、だ。
言語や文化の異なるグループが隣り合って住む。同じ職場にいる。その場合、大小を問わず必ずトラブルは起きる。それは避けて通れない。
幸か不幸か、異文化コミュニケーションの機会も、トラブルの耐性を培う必要も、多くの日本人にとってはあまりなかった。しかし今後はどうか?耐性を培うには、少しずつ慣れていくしかない。だから筆者は、大勢の外国人が短期間に日本に入ることには反対だ。
しかし、外国人を受け入れざるを得ない状況を迎えるならば、互いのためにも外国人に日本を深く知ってもらわなくてはならない。
挨拶には、日本の心が凝縮されている
まずは、ほんのちょっとした挨拶から始めるのがいいと筆者は考える。挨拶には、日本の心が凝縮されているからだ。
そして、kawaiiが世界で受け入れられたのと同じように、日本独特の挨拶も、人類共通の感情・感性の一部だと考える。日本社会が持つ高い規律性に、そうした日本の心がいかに息づいているかを知れば、異なる文化圏から来た人間であっても日本社会に溶け込みやすくなるのではないだろうか。
試しに、次の挨拶のニュアンスを考えてみよう。
◆「行ってきます」「行ってらっしゃい」「お邪魔します」
◆「いただきます」「ごちそうさま」
◆「お疲れさまでした」「頑張って!」「おかげさまで」
これらの挨拶のどれも、そのまま英語に対応する言葉はないと筆者は考える。辞書を引けば英訳されているのだが、「なんか違うな」と感じる。違和感を覚えるものばかりだ。
その違和感を外国人に説明することが、「日本人とは何か」と自己を考え直す絶好の機会になると思う。

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