スペック信仰の終焉。世界的ソムリエ大越基裕が解き明かす、2026年「日本酒」を制する6つの新基準

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

スペック信仰の終焉。世界的ソムリエ大越基裕が解き明かす、2026年「日本酒」を制する6つの新基準

日本酒をめぐる景色が、劇的な転換点を迎えている。「大吟醸」や「精米歩合」といったスペックという記号の消費は終わり、造り手が「なぜ、どう造るのか」を自らに問い直すアイデンティティの時代へ。2026年、日本酒は成熟した日本文化が到達した、極めて知的な「自己定義」の結晶へと進化したのだ。

この変革を世界のガストロノミーの文脈で読み解く「翻訳者」として、ソムリエ・大越基裕氏以上の適任者はいない。フランスでブドウの栽培から醸造までを学び、伝説の「銀座レカン」のシェフソムリエを経て独立した彼は、ワイン界における最高峰のテイスターであると同時に、世界的な日本酒講師資格「WSET Sake Level 3 Educator」を保持する稀有な存在だ。

大越氏の活動は、自身の店「Ăn Đi(アンディ)」や「Ăn Cơm(アンコム)」の経営のみならず、和食、フレンチ、中華、エスニックと、ジャンルを超えたレストランのアドバイザー、そしてプロへの教育に及ぶ。飲料と料理の相性を数式のように解明する彼の「ロジカルペアリング」理論は、日本酒をワインと同等の評価軸で語る道を切り拓いた。2026年に向けたムーブメントの深層を彼に訊いた。

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

大越基裕/おおこし・もとひろソムリエ、ワインテイスター。北海道札幌市出身。フランスにて栽培から醸造までを学び、伝説的なグランメゾン「銀座レカン」のシェフソムリエを経て独立。ワイン界における最高峰のテイスターであると同時に、世界的な教育機関の日本酒講師資格「WSET Sake Level 3 Educator」を保持。日本酒の価値をグローバルな文脈で定義し直す「翻訳者」として、類まれなる実績を持つ。現在は外苑前「Ăn Đi」、広尾「Ăn Cơm」のオーナーを務める傍ら、和食からフレンチ、エスニックまでジャンルを超えたレストランのアドバイザー、飲料監修、人材育成を幅広く手がける。ワイン、日本酒、焼酎を網羅し、飲料と料理の相性を数式のように解明する独自の理論は、日本酒をワインと同等の評価軸で語る道を切り拓いた。著書に『ロジカルペアリング:レストランのためのドリンクペアリング講座』。 Shiho Yanokura

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Ăn Đi

かつて日本酒を愉しむ情景といえば、塩辛や一夜干しといった「肴(さかな)」とともに猪口を傾ける、情緒的な「晩酌」だった。しかし現在、その舞台はよりダイナミックでロジカルな「ガストロノミー(美食)」へと完全に移行してきている。

「いま起きている変化は、単なるスタイルの流行ではありません。酒そのものの立ち位置が、晩酌の相棒という『点』から、食事の時間をデザインする『構造』へと進化したのです」と、大越氏は語る。

大越氏が主宰する外苑前「Ăn Đi」は、世界中の「マスター・オブ・ワイン(MW)」たちが来日時に真っ先に予約を入れるという、世界屈指のペアリングの聖地だ。さらに、その思想をより濃密に日本酒へと投影した「Ăn Cơm」。あらゆるジャンルの飲料に精通する大越氏は、レストランの現場に長年存在した「日本酒への壁」が完全に崩壊したことを確信している。

「数年前まで、コースに日本酒ペアリングを組み込む際は、日本酒を敬遠されるお客様のために必ず予備のワインを用意していました。しかし、今はもうその懸念は不要です。日本酒が劇的に多様化し、ワイン以上に料理のポテンシャルを引き出す存在になったことを、世界中のプロや美食家たちはすでに本能的に理解しているからです」

【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Ăn Đi

いま、世界の美食は「味のライト化」へと舵を切っている。その主たる原動力は、世界的な「ヘルシー志向」の浸透だ。バターやクリームの重厚なソースは激減し、素材の水分やミネラル、発酵由来の酸を活かした軽快な一皿が主役となった。こうした料理に対し、実は日本酒は必然といえるほど高い適合性を持つ。

大越氏はその理由を、日本酒特有の「アミノ酸(旨み)」の構造に見出している。

「脂のボリュームに頼らない現代料理において、満足感を与えるのは繊細な『旨みの重なり』です。日本酒のアミノ酸量はワインの数倍、時には10倍。酸で料理を『切る』ワインに対し、日本酒はその旨味を料理と重ね『同調する』。とくに、特有の『コハク酸 *1』は魚介の旨みの要素との一体感を生みます」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

この潮流はワインにも波及し、重厚なカベルネ・ソーヴィニヨンより、酸が高く繊細なピノ・ノワールなどが好まれるようになった。日本酒のトップランナーたちは、この流れを鋭敏に捉えていた。

「彼らはワインの真似をしたわけではありません。世界が求める『軽やかさの中の満足感』という難題に対し、日本酒ならではのアミノ酸組成と酸のバランスを再構築することで、ワインには不可能な、現代の美食に対する唯一無二の解を提示しはじめているのです。さらに、日本酒に豊富に含まれるコハク酸*1 が、出汁や魚介、ハーブなどの繊細な要素を繋ぎ合わせる接着剤となります。これこそが、現代のガストロノミーが日本酒を欲する理由なのです」

*1:貝類などにも含まれる旨味の強い酸。日本酒特有の深みを作り出す成分。

【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

2026年に向けた最も顕著な変化が、アルコール度数11%〜13%という「低アルコール原酒」の新基準だ。一斉に低アルコール化が進んだ背景には、極めてロジカルな理由がある。

「第一の理由は、先述した料理のライト化への同調です。油脂分が少なく、水分量が多い現代の繊細な料理に対し、従来の16〜18度のアルコールは、液体としての『ボリューム感』が強すぎて、料理を追い越してしまう。13%以下という度数は、現代のファインダイニングのテンポとボリュームに寄り添うための、必然的な帰結なのです」

第二の理由は「持続可能な飲酒体験(セッショナビリティ)」の追求だ。

「食後に重たい疲労感を残さず、最後まで知的な会話を楽しみながら食事を完結させる。そのためには、アルコールの強度を抑えつつ、液体としての密度(満足感)を保つ必要があります。かつての低アルコールは、原酒に加水(割水)して薄めるのが主流でしたが、今は違います。原酒のままで、瑞々しさとエキス分を両立させる。これが今のトップランナーたちの共通認識です」

この「薄くない低アルコール」を実現させているのが、大越氏が2026年のトレンドとしてもっとも特筆したい「人の技術」である。

【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

日本酒の飛躍を「醸造機械の進歩」や「発酵学の解明」で片付けるのは、その核心を見誤っている。

「今の日本酒を一段上のステージへ押し上げたのは、オートメーションではなく、現場で血の滲むような試行錯誤を繰り返している『人の技術』です。機械の精度をどう使い、どんな解を導き出すかは、人間にしかできない領域なのです」

大越氏が強調するのは、既存の作業行程を一度疑い、再構築する造り手たちの姿勢だ。「新政」「而今(じこん)」「産土(うぶすな)」「日々(にちにち)」や「仙禽」「みむろ杉」をはじめ、現在人気を博す銘柄に宿るのは、米の吸水率0.1%や発酵温度0.1℃単位で管理する凄まじい執念だ。この人間らしい泥臭い作業、その「試行錯誤のプロセス」こそが、今の日本酒の価値を形作っている。

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Ăn Đi

この「人の意志」を表すエピソードを持つのが、滋賀の銘醸蔵「七本鎗(しちほんやり)」のスパークリング日本酒「awaibuki」である。

大越氏は、日本酒における糖分を「重さ」と定義する。高アルコールのものと同じく、甘みが強いタイプのお酒は、ボディがリッチで重心が低くなりやすい。スパークリングにおいては飲まれるシチュエーションからより軽い飲み口のものが向いているので、大越氏は蔵元の冨田氏に一つのリクエストを出した。

「もともと七本鎗の『awaibuki』は低アルコールで甘さを残しすぎない設計の酒ですが、食前酒として考えたとき、もう少しだけ甘みを抑え、酸が味わいを牽引するバランスのほうがより適しているのではないかと感じました。そこで私は『全体の調和を崩さない範囲で、ほんの少しだけ発酵期間を長く取ってほしい』とお願いしました。発酵期間をわずかに延ばすことで酵母に糖をもう少し消費させ、甘みを穏やかに削ぎ落とす意図です。もっとも、オリジナルの『awaibuki』は、麹設計や発酵温度の緻密な管理によって、原酒のまま低アルコールでありながら見事なバランスを実現している酒です。まさに技術の結晶といえる一本だと思います」

人間が意志を持って挑んだ跡が味わいに宿っているからこそ、それを扱うソムリエや飲む私たちはその背景(フィロソフィー)に興味をそそられ、「共感」し、応援したくなる。

2026年、日本酒を味わうということは、その「人の試行錯誤」の物語を享受することと同義になるのだ。

【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Ăn Đi

なぜいま、世界中のトップシェフやソムリエが日本酒を欲するのか。それは日本酒が劇的に変わっていることに気づき始めたからだ。

かつての日本酒は「造り(杜氏)」と「経営(蔵元)」が分断されていたが、杜氏の高齢化や経営危機などの問題を経て、経営と製造が一体化した「蔵元杜氏」へと移行した。彼らは最初から世界市場を見据え、旧来の「もったりして重い」というネガティブなイメージを自らの技術で破壊した。ソムリエたちもまた、日本酒を酸・糖・テクスチャーといったワインの評価軸でロジカルに再定義し始めたことが大きい。

いまや、高級な鮨屋などでも「とりあえず有名銘柄を置いておけばいい」という安心感への依存から脱却する動きが始まっている。より深い食体験を提供したいと願う若手の職人と、志高い若い蔵元が出会うことで、和の世界でも変革が起きているのだ。

「パリの和食店で日本酒が置かれているのは当然の風景で、それはまだ『注目』とは呼べません。現地の人々の生活に溶け込んだ料理と日本酒が合わされたとき、初めて日本酒は本当の意味で世界へ羽ばたいたと言えるのです。2026年、その光景は当たり前のものになろうとしています」

大越氏が示すペアリングの具体例は、私たちの固定観念を軽やかに超えていく。例えば、能登杜氏四天王とも名高い、石川のレジェンド・農口尚彦氏が醸すアルコール18%のパワフルな酒。

「こうしたボリュームのある酒は、トウモロコシの力強い穀物感と具材の豊かな旨みを併せ持つ『タコス』のような料理と見事な共鳴を見せます。口の中で複雑な具材と酒が混ざり合う『口内調味』を経て、素材の旨味が最大化される──。日本酒はもはや、和食の範疇を超えた万能な『構造材』なのです」

【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

「いまや日本酒市場は、完全に成熟しています。だからこそ、造り手もスペックという表面的な数字ではなく、『なぜこの造りを選んだのか』という、独自のアイデンティティを確立することに注力しています」

2010年代、華やかな香り(カプロン酸エチル*2)を生む酵母のコントロール技術が一つの完成形を迎え、日本酒は一度「一極化」を経験した。しかし、いま起きているのは、そこからさらに一歩踏み出し、各蔵が自分たちの個性を『アイデンティティ』として磨き直す作業だ。

「新政(あらまさ)」がいち早く特定名称の表示を廃止し、自らの美学を提示したことはその象徴だが、現在では地元で昔栄えていたお米を復活させたり、原点回帰の酒造りに意味を見出したり、米を磨かず、酵母も添加せず、微生物の力に身を委ねる自然派の蔵、食用米を使う蔵などが、スペック競争とは無縁の独自の花を咲かせている。

この流れを後押しするのが、2024年末のユネスコ無形文化遺産(伝統的酒造り)への登録だ。大越氏はこれを、単なる名誉ではなく、蔵元たちの「自信」に繋がる実利的な転換点だと捉えている。

「自分たちの歴史的な技術が“世界に誇る文化”として認められたという事実は、造り手たちに大きな自信を与えました。日本人に対しても、世界に対しても、胸を張って自らのアイデンティティを語るための強力な『武器』が一つ増えたのです」

蔵元たちが自らのアイデンティティを掲げて戦っているいま、飲み手の側にも新たな意識が求められている。筆者がかねてから確信し、注視してきた視点──「どの日本酒を買うか」という行為は、もはや単なる消費ではない、という事実だ。どのボトルを手に取るかは、自分がどの造り手の思想を肯定し、どの日本酒の未来を託したいかという、一票を投じるような「意志表示」に他ならない。流行に左右されない強固なブランド思想を選択し、支援すること。大越氏が語る「武器としての自負」に応える飲み手の選択が、これからの日本酒の景色を作っていく。

*2:リンゴやバナナのようなフルーティな香りを生む香気成分。

【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

2026年に向けたもう一つの大きなテーマは、「時間の再構築」だ。これまでの日本酒の熟成酒は、重厚なメイラード反応*3による黄色や茶色の見た目、醤油のような香りやカラメル香が支配的な強烈な個性の一極化であり、それがペアリングの幅を狭めてきた側面があった。

「いま必要なのは、酸化を抑えた環境のなかで、フレッシュな輪郭を保ったまま液体がしなやかにこなれていく『リダクティブ(還元的)な熟成』です。こうした綺麗で透明感のある熟成酒が増えたことで、料理との接点をさらに広げる重要なキーとなります」

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Mina Asaba

従来の強烈な個性を持つ熟成酒・古酒も大切にしながらも、現代の空気感に合わせて一度バラバラに解体し、再構築する。熟成酒でさえもライトで美しいバランスを保つ、この多様性こそが日本酒市場の成熟の証しといえる。

*3:糖とアミノ酸が反応して茶色く変化し、独特の香りを生む現象。

終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

晩酌の「肴の相棒」から、ガストロノミーを構築する「構造材」へ, 【美食への適合】ヘルシー志向が求めた「旨みの抱擁」, 【精緻な軽快さ】13%の衝撃。「低アルコール原酒」という必然, 【技術の再構築】機械を超越する「造り手の執念」, 【和食の枠の崩壊】プロフェッショナルの記憶を上書きする「構造材」, 【アイデンティティの確立】ユネスコ登録がもたらす「武器」と、飲み手の「選択」, 【透明な時間軸】「リダクティブ」な熟成の日常化, 終わりに──「何を飲むか」より「どう時をデザインするか」のフェーズへ

Shiho Yanokura

日本酒をめぐるこれらの状況を俯瞰したときに浮かび上がるのは、スペックで酒を語る時代の終焉と、「体験のデザイン」としての日本酒の始まりだ。産地や米の品種の違いよりも、その酒が持つアイデンティティが、自分の価値観とどう共鳴するか。そして、その一杯がどのような時間を自分にもたらしてくれるのか。

大越氏の言葉の端々からは、日本酒への深い敬意と、それを論理的に解体し、再構築しようとする専門家としての矜持が感じられた。それは、世界の食文化の変容を冷徹に分析しつつも、日本酒という文化の可能性を、誰よりも信じている者の言葉だった。

この考えに触れたあなたにとって、次の一杯を選ぶ行為は、もはや単なる「注文」ではないはずだ。それは、成熟した日本酒文化が投げかける問いへの回答であり、造り手のアイデンティティという物語への、知的な参加にほかならない。日本酒は、いまや私たちの誇りであり、未来をデザインするための、最も洗練されたツールの一つなのだ。

関連記事

「焼肉ここち」鰻名人にまで学びを乞う飽くなき探究心【三代目が導く、東京焼肉・新潮流 Part 3】

日本酒の種類をわかりやすく解説。純米? 吟醸とは?

ソウシオオツキは覚醒するか 世界が最も注目する日本人デザイナーの鮮烈と現実