「借金2000万円で人生詰んだ」と思ったが…69歳でマック店員→71歳でYouTuber《年金5万円》75歳女性が掴んだ"逆転劇"

75歳のファッション系YouTuberロコリさん。その最初の一歩は、とても静かなものだった。

【写真を見る】素敵!…大恋愛もしたというロコリさんの若いころの写真

2022年8月8日夕暮れどき、ドキドキしながらYouTubeの投稿ボタンを押した。初回の動画タイトルは「70代の低年金シニアエッセイ」。

69歳でマクドナルドでアルバイトをはじめたこと、新しい仕事を選ぶ上で大事にしたことなどを音楽と文章で綴った動画だった。撮影場所の実家の和室も自身でDIY。ペンキや壁紙を使って壁の色を変え、押入れをクローゼット風に見せた。これらのDIYも、YouTubeで学んだ。

動画を投稿すると、すぐに友だちへ知らせた。最初の登録者は友だちと親戚の十数人ぽっきり。

「こんなものか」と思ったのがすべての始まりだった。

前編:ユニクロやGUに「ちょっといいもの」をプラス。《75歳おしゃれYouTuber》の年齢を重ねてもファッションを楽しむ秘訣
71歳のシンデレラ, 早くやった方が勝ち, 借金2000万…人生詰んだ, モダンガールだった母が認知症に, 69歳で見つけた「お金をもらえるジム」, ぜんぶが、ここにはあった, 老いることが怖くなくなった

第1回の動画(画像:ロコリさん提供)

71歳のシンデレラ

チャンネル開設から10日目、視聴数が急上昇した。

ロコリさんの作戦が当たり、YouTubeのおすすめチャンネルに掲載されたのだ。「初心者のチャンネルをYouTube側がチェックし、良いものをおすすめに上げてくれる」というハウツー動画で学んだことが現実となった。

その日、1通のDMが届いた。「本を出しませんか?」。出版社であるKADOKAWAの編集者からだった。「詐欺やろうな」と思ったロコリさんは、ホームページから問い合わせを行い、それが詐欺ではないことを知った。

トントン拍子とはまさにこのこと。

「他のYouTuberの状況を見てたから、ある程度はいくかなと思ったんだけど、そんなにうまくいくとは思ってなかった。半年から1年くらいで収益化できたらいいかなって思ってたから」

チャンネル登録者数は12日目に1000人に到達した。チャンネル開設からおよそひと月後、YouTubeから収益化の対象となったとの通知が届いた。1本目のYouTubeには、636のコメント(2026年3月時点)が寄せられている。

「びっくり。なんか人生変わってきたみたいな」

だが、この快進撃は偶然ではなかった。

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4本目の動画で収益化報告と、視聴者へのお礼を伝えている(画像:ロコリさん提供)

早くやった方が勝ち

YouTubeチャンネルの開設を決意してから半年間ほど準備してきた。きっかけは、70代YouTuberの「70才からのセカンドライフ」の動画を見たことだった。検索してみると60代や70代のYouTuberたちが出てきた。チャンネルの特徴やどの投稿で再生回数が上がっているのか、夢中でノートに書き留めた。

「デジタルが好きな私だから、これはやらないと」

思い立ったら動くのは早い。

シニアYouTuberを一人ひとりノートに書き出して研究した。ノートにまとめたチャンネル登録者数の一覧表を眺めていたロコリさんは、あることに気づく。「けっこう、みんな収益化できてるじゃん」。

YouTubeでは登録者数1000人を超えると広告収入を得られるようになる。「これでお金が得られるんだ」と思ったロコリさん。「やろう」と決めた。

「シニアのYouTuberは、まだ少ない。たくさん出てくる前に早くやらなくちゃ。早くやった方が勝ちと思って」

昔から戦略を練ることが好きだった。そしてシニアYouTuberは食事やライフスタイルなど「丁寧な暮らし」について発信する人は多かったが、ファッションを中心に発信する人はほとんどいないことにも気づいた。そこで、ジャンルをファッションにして差別化できると考えた。何より、ファッションは昔から大好きだ。

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穏やかな語り口で話してくれるロコリさん(写真:筆者撮影)

借金2000万…人生詰んだ

1951年、北九州市で生まれたロコリさん。高校卒業後、地元でしばらく働いた後に上京してファッションに携わる。その後家庭の事情で北九州に戻ると、縁あってブティックを経営することになった。

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若いころのロコリさん(写真:坂本勉)

店は繁盛してすぐに2店舗目もオープン。しかし、ロコリさんの心はいつもうっすらと雲がかかったようだった。

「洋服は好きだけど、売るのは得意じゃない。商売には向いてないタイプなんです。オーナーをしていたけど、これが私の仕事だと思えたことは一度もなかった」

そう語るロコリさんがひとつだけ手応えを感じていたのが、お客さん宛てのDMに添えた短い文章。よろこんでくれる人が多く、書くことが好きな自分に気づいた。

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ブティック経営時代のロコリさん(画像:ロコリさん提供)

時が流れ、周辺ビルのリニューアルが進むと人の流れが変わった。ロコリさんの店が入るビルには人が来なくなった。10年続いた店を畳んだロコリさんに残ったのは、2000万円の負債だった。

「にっちもさっちも行かないなっていう感じ。35歳、人生どん底。今の言葉で言うと人生詰んだなって。でも、返済は続けないといけないから……大変でしたね」

「母の年金で暮らした。1円も入れられなかった」

ぽつりぽつりと語った。弁当、水筒を持って百貨店やアパレルメーカーで働いた。催事商品売り場をまわるようになると、一度入った売り場の人が「来年も来てね」と予約を入れてくれるようになった。万年、白シャツに黒パンツの装いで、あちらこちらの売り場に現れるロコリさんについたあだ名は、さすらいのハウスマヌカン。

35歳から50代半ばまで、稼いだ給料の8〜9割を返済に充てる生活を送った。「1日1万円もらえるところもざらにあって、残業もどんどんしていいから、けっこう稼げたんですよね」とあっけらかんと語る。

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売り子時代のロコリさん。必死で働いた(画像:ロコリさん提供)

返済に追われた暗黒時代を淡々と振り返るロコリさんだが、落ち込むことはなかったのだろうか。

「気持ちが落ち込むと俯きがちになるでしょ。昔は電柱の下の方に消費者金融会社のポスターが貼ってあって、それがやたら目に入ってくるの。なんだか魔界に引きずりこまれるようで……もう下向いて歩いたらいけない、絶対目線を上げて歩かないといけないと思った」

電停から家まで歩く夜道では、「大丈夫大丈夫」と口に出して唱えた。「どうするのあなた」と深刻なことを言ってくる人とは距離を取り、朗らかな人たちと過ごすようにした。励まされ、時にはごはんをご馳走になった。

「周りの人に恵まれて、普通の顔でいられた」

モダンガールだった母が認知症に

ロコリさんの母はモダンガールだった。女性ドライバーが珍しい時代に運転免許を取り、会社の社長付き運転手を務めた。60代でカラオケに目覚め、師範の免許を取って開いた教室を、85歳まで続けた。ロコリさんにとって母の生き方はお手本だった。

借金返済が落ち着いてきた頃、その母が認知症と診断された。ロコリさんは60歳になっていた。

「目の前が暗くなるよね。どうしようっていうか。週3〜4でデイサービスに通う生活が10年くらい続いた」

それからは母の介護に向き合う10年だった。最初の頃は、母とのエピソードをおもしろおかしく文章にしたためて、「認知症の家族会」の会報誌に投稿した。それが好評で、18回まで続いた。しかし、母の症状が深刻になるにつれて、笑いに変えられなくなってきた。

「もうなんか怒りが込み上げる。毎日が自己嫌悪……自己嫌悪も忘れるぐらい。優しくなれない。家族はみんな、多分いっしょだったと思う」

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子ども時代のロコリさんと母(画像:ロコリさん提供)

寝入った母を見届けると、次に起きてくるまでの間、家から3分の公園へ行き、全力で踊った。イヤホンで音楽を聴いて、飛び跳ねた。時には、好きな音楽を聴いて思いっきり泣いた。

介護生活がはじまって10年、95年生きた母が亡くなった。

「ほっとした感が強かったと思う。認知症やったし、どうしようもなかったから。もう95やしね。本人も良かったと思う」

69歳で見つけた「お金をもらえるジム」

介護生活を終えたロコリさんを待っていたのは、思いもよらぬ出会いだった。いつもの散歩コースに新しくマクドナルドがオープンした。立ち寄ってみると、シニア向けバイト募集の広告が目に飛び込んできた。広い店内には、デザインにこだわった椅子やかわいい椅子が並んでいた。

「こんなおしゃれな空間にいられたらいいな」

新しい仕事を探そうと考えていたロコリさんには、ある考えがあった。

「販売はずっとやってきたから、他のことしたいなと思って。同年代が集まるとね、介護や病気の話ばかりになるから、そういうのは、もういいかなって思ってた。人って環境による空気を纏うから、暗いお店とか空気感が重いお店にいたら自分の空気感まで暗くなる。だから活気のあるところに行きたくて」

やったことがない職業。トイレがきれいなこと。外が見えること。そして、若い人たちと働けるところ。

「あ、ここピッタシじゃんって」

69歳、マクドナルドの店員となった。広い店内を動きまわり、ゴミ処理やトイレ掃除と忙しく働いた。「お金をもらうジムって感じ。靴の擦り減り方とか半端なかった」と笑う。

高校生や主婦、働く人たちはみなエネルギッシュだった。週3日ほど働きながら、冒頭に記したようにYouTubeチャンネルを開設したロコリさん。マクドナルドは3年ほどで卒業し、今はYouTubeとエッセイの執筆、講演の依頼にも応じている。

ぜんぶが、ここにはあった

「今が一番生きやすい」

ロコリさんはこう語る。

年を重ねていくなかで、漠然とした不安を抱えたり、若い人を羨んだりしてため息をつくときもあった。だけど今は、違う。何が彼女を変えたのか。

「私の居場所が見つかった、っていうよろこびが大きい。YouTubeって自分の得意なことをぜんぶ合わせて自己表現ができるから。誰からも文句言われんし。自分の100%みたいなことができてる」

ロコリさんのYouTubeには喋りがほとんどない。画面に流れる文章と、自ら選んだBGMで構成されている。書くことが好きだった。音楽はいつもそばにあった。ファッションは人生そのものだった。そのぜんぶが、ここにはある。

収入は、年金月5万円にYouTubeの収益とエッセイの原稿料、講演料。YouTubeの収益は良い月で12万円くらいだが、工夫してやりくりしながら暮らしている。

そうはいっても暗いニュースが多い今、この先30年も40年も生きることが不安だ。どうしたら楽しく生きられるのか。46歳の私が聞いてみた。

「怖いよね。怖かったけど、この年になってみればこんなもんかって感じ。年金から引かれるものも多くて、えーって思うけど、なんとかなる。やっぱり、興味のある方向に行ってみる。興味のあることやってみる。私だってぜんぶうまくいってるわけじゃない」

「挫折ばっかりだけど、それを乗り越えたら消去法みたいな感じで、進んでいく気がする。これもダメだった、これもダメだったって思ってたけど、それは確実に一歩進んでる状態だったんだって思ってる」

今後の目標は、YouTube登録者数10万人を達成して銀の盾をもらうこと。ChatGPTを使ってタイトルやサムネイルを工夫しており、大学を出た友人にAIの使い方を教えてあげることもあるそうだ。

老いることが怖くなくなった

YouTuberになったおかげで、思いもよらない出会いが生まれる。ご縁が広がる。

講演に登壇したとお知らせをすると「東京にも来てください」とのコメントが寄せられる。60代を母親の介護に捧げ、借金を必死に返していた彼女は今、誰かの希望になっている。

「老いることが怖くなくなったってコメントが多い。70代になっても楽しくいられるんだとか、夢が広がったとか。そういう人たちの励みになればいいかなと思ってる」

「人には役割があると思う。私は結婚もしてないし、子どももいない。後世に子孫も残せないけど、自分の生き方みたいなものが残せたら、いいかなって」

撮影を終え、大きな歩幅で颯爽と去っていく彼女の後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。

71歳のシンデレラ, 早くやった方が勝ち, 借金2000万…人生詰んだ, モダンガールだった母が認知症に, 69歳で見つけた「お金をもらえるジム」, ぜんぶが、ここにはあった, 老いることが怖くなくなった

黒いコートで颯爽と歩く様子が心に残った(写真:筆者撮影)