「ムツゴロウさんに救われた」自然破壊への恐怖を抱えた小学生が見つけた希望の生き方
読書の秋、お子さんにいい本と出会ってもらいたいと考える親御さんも多いのではないでしょうか。1冊の本が、人生に大きな影響を与えることもあります。“アリ先生”として活躍する岡山理科大学教授の村上貴弘さんは、小学生の頃、「ムツゴロウさん」こと畑正憲さんの著作に出合ったことが、進路を決める大きなきっかけになったと言います。村上さんの少年時代のエピソードを伺いました。
※ この記事は『アリ先生、おしゃべりなアリの世界をのぞく』(扶桑社刊)に掲載された内容を抜粋・再編集しています
この記事のすべての写真を見る

※画像はイメージです(画像素材:PIXTA)
「自分は将来、自然を破壊する側にならない」
小学生時代、とにかく街の変わっていくスピードがすごかった。慣れ親しんだ田んぼや畑は消え、道路が拡張され、団地や商業ビルができて人々が集い、にぎわっていった。
大人たちは自然を克服する対象ととらえ、できるかぎり人間の都合のいいように改変し、コントロールする。そしてそこから、できるかぎり効率よく現金化できるよう工夫する。
第2次世界大戦後の高度資本主義社会の基盤は、簡単に言ってしまえばそういうことだ。
しかしながら、それは子どもたちから自由でナチュラルなワクワクする体験を奪うことでもあった。僕にはそれがどうにも受け入れられなかった。
自然がどんどん失われていくことへの恐怖や嫌悪感だけではなく、「自分は将来、自然を破壊する側にはけっして立ちたくない」という強い思いも出てきて、社会が向かっている方向とのずれを、早くも小学3年生で深く認識してしまった。これは人生不安になる。
●世の中への不満をぶつけた父親の反応は…
そんな嫌悪感や不安を、父親にぶつけたこともある。
戦中、大変な苦労をしながら育ち、さらにもっと苦労しながら日本を復興に導いた世代の父親は、とにかく手厳しかった。
「自然が大事って言うが、人間の生活の方が大事に決まっているだろう?」
「道路ができて生活がラクになる人がいる。そういう人に不便を強いるのか?」
「今だって、電気やガスで便利な生活をしているじゃないか」
まだ、小学生だ。経済合理性や人間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ。生活の質のこと)を真正面から説かれたら、ぐうの音もでない。毎回、半泣きで反論し、腹が立って父親のビールっ腹に思いっきり嚙(か)みついたこともあった。
ドロバチの観察をし、八木山で化石を掘っているときには、そんな不安をひととき忘れることができたが、「僕はちゃんと自然を壊さない側にずっと立っていられるのだろうか?」といった思いは、心の中から消えることはなかった。
「ムツゴロウさん」から受けた影響

※画像はイメージです(画像素材:PIXTA)
僕は本のなかである人と出会い、深く共感した。それは、今の道につながるものだった。それがムツゴロウさん―― 畑正憲(はたまさのり)さんだ。
多くの人にとっては、ムツゴロウさんといえば、1980年から2001年の20年余りにわたって年に1~2回、フジテレビ系列で放送された『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』がおなじみだろう。
ムツゴロウさんが北海道の道東にある浜中町につくった「ムツゴロウ動物王国」と、中標津町につくった「ムツ牧場」を舞台にしたドキュメンタリー番組だ。
しかし、僕が初めてムツゴロウさんを知ったのは、テレビではなく本であった。父親が「ほら、好きそうな本があったぞ」と無造作に手渡してきた単行本が『ムツゴロウの無人島記』であった。小学6年の春。この本が大変におもしろかった。
この本は、畑さん一家が、東京から北海道浜中町の沖合にある無人島「嶮暮帰島」に1971年から1年間移住した記録である。
無人島に家族で暮らすというだけでもロマンいっぱいなのに、その島でヒグマの「どんべえ」やエゾタヌキの「マリ」、ホシボソガラスの「九郎」たちと、一緒に生活をするというのだから、おもしろくないわけがない! 夢中で読んだ。そしてこう思った。
「こんな大人がいるなんて、世界はまだまだ捨てたもんじゃないかもしれない」
●ムツゴロウさんの本を読みあさる日々

※画像はイメージです(画像素材:PIXTA)
そこからむさぼるようにムツゴロウさんの著作を読みあさった。まずは動物関係の書籍だ。『どんべえ物語』『ムツゴロウの動物王国』などなど。読んでも読んでも、興味深い動物たちの生態や行動が出てくる。
とくに好きだったのが『天然記念物の動物たち』に出てくる、モリアオガエルの話だ。ムツゴロウさんはモリアオガエルの卵塊を求め、岩手に向かい、初夏の森に入る。
ウグイスの声、白い花でハネを休める赤い蝶、水の香り、アオモリトドマツの間にびっしり生えるエゾザサ──。
歩みを進めるごとに変わる景色の描写は美しく、読んでいる僕も一緒に探検をしている気持ちになった。毒虫に刺され、道に迷うムツゴロウさんの行く手を案じ、ページをめくるたびにドキドキした。そして、ついに見つけたとき、僕の心もざわめいた。

※画像はイメージです(画像素材:PIXTA)
大学院生時代、実際に野外でモリアオガエルの卵塊を見つけたとき、「これか!」と小学校6年生当時の気持ちがありありと蘇ってきた。この目で見たモリアオガエルの卵は、ムツゴロウさんが言うように「生命のふくらみ」そのものであった。
●衝撃を受けた、ムツゴロウさんの「自然観」
ムツゴロウさんの本はほぼ網羅したが、もっとも僕に影響を与えたのは、ムツゴロウさんの自然観だ。詳細は不確かだが、こんなエピソードだったと記憶している。
あるとき、動物王国に電気を引かなくてはならなくなり、あまりの手間にスタッフは「自前で発電させるほうが簡単じゃないですか?」と畑さんに言う。
しかし、畑さんが強く主張したのが、「いや、それではダメなんだ。僕はこの動物王国を社会から隔絶されたものにしたくない。電気も水道もちゃんと引く、社会の一員としてきちんと支払うものは支払い、手続きをするときは手続きをしていかないと、この活動は意味がない」ということだった。
このやりとりは、世を憂う小学6年生にとって痛烈なカウンターパンチであった。僕も動物王国やムツ牧場は、社会から逃れた場所、自然のなかに引きこもれる場だと思っていた。
でも、畑さんはまったくそんなことを想定していない。そしてこう突きつける。
「動物愛護とか自然保護とかは、人の経済活動としっかり結びついてこそ、しっかりした根を張るのだと私は確信している」(『ムツゴロウ動物王国の四季』より)
「こんな大人もいる」と知って欲しい

※画像はイメージです(画像素材:PIXTA)
小学6年生の1年間、ムツゴロウさんの著作を通じて、こういう大人もいるということ、こういう生き方もあるのだと知った。
大変おこがましいことだけれど、僕がこうして本を書いたり、アリ柄のTシャツを着てテレビやYouTubeに出て、アリのおもしろさを熱弁したり、子どもたちの科学教育に関わったりしているのは、ムツゴロウさんから受け取った「よきもの」を次の世代の子どもたちに引き渡していきたいという思いからである。
僕が子どもだった頃、経済は右肩上がりで、だれもが豊かさや便利さを追い求め、その代償として自然を壊し、大切ななにかをふるい落としていった時代だった。僕はその変化に違和感を覚えたのだが、令和の今は不安の種も違うだろう。
成長神話は過去のものとなり、閉塞感のなか、効率と結果ばかりが重視される息苦しい社会になっている。そして、地球温暖化による異常気象は、すでに私たちの日々の生活に影響を与えている。
社会を包む空気は違うけれど、僕のように「社会に自分の居場所がないのではないか?」「この世界で生きていけるだろうか?」――そんな言葉にできない不安を抱えている子どもたちはいるはずだ。
そんな子どもたちに、アリについて嬉々と語る大人を見て、「こんな生き方もあるんだ」と知ってもらえたらいい。「じゃないほうの生き方」はある。それを知るだけで、人生の幅が広がる。あの頃の僕と同じように、少し生きていくことがラクになるかもしれない。