ブルートレインから鈍行まで「夜行列車」の記憶 普通列車にもあった寝台車、「豪華列車」にない旅の郷愁

日本の鉄道では、特急「サンライズ瀬戸・出雲」が唯一の存在となってしまった定期運転の夜行列車。だが、かつては数多くの夜行が走っていた。寝台特急ブルートレインを筆頭に、各地を結ぶ夜行の急行や普通列車が夜の鉄路を駆け抜けていた。

【貴重な写真を一挙公開】▶かつては全国各地を走っていた夜行列車▶普通列車ながら寝台車を連結していた「山陰」▶蒸気機関車が牽引した北海道の夜行列車▶「出世列車」と呼ばれた東北地方の急行▶全盛期のブルートレインなど、懐かしの「夜行」の数々

近年は夜行列車といえばクルーズ列車のような豪華車両に注目が集まることが多いが、その全盛期は気軽に乗れる庶民の便利な足としての存在感が大きかった。とくに夜行の急行や普通列車は、予約もせず思い立ったときにすぐ旅立つことのできる列車として、行動範囲を大きく広げてくれる移動手段だった。

今回はかつての「夜行列車」を振り返ってみたい。

「寝床は床」の夜行列車旅

筆者が初めて「夜行列車」に乗ったのは昭和30年代、中学2年生の修学旅行のときだった。福井県の武生から東京へ、往復とも夜行の貸し切り客車での移動だった。寝台列車ではなく座席車、しかも寝たのは「床」だ。

【写真を見る】かつては全国各地を走っていた夜行列車。普通列車ながら寝台車を連結していた「山陰」、蒸気機関車が牽引した北海道の夜行列車、「出世列車」と呼ばれた東北地方の急行、全盛期のブルートレインなど、懐かしの「夜行」の数々

形式は定かではないが、当時としてもかなり古い薄汚れた客車だったことは覚えている。ボックスシートでも寝ることはできたはずだが、薄暗い車内で油っぽい木の床に新聞紙を敷いて、みな思い思いの格好で寝た。夜行なので車窓風景の思い出はないものの、その車内での記憶は鮮明だ。今では信じられないような修学旅行であろう。

かつての夜行列車の旅はそのように、「豪華寝台」とはほど遠い忍耐の旅も多かった。とくにお盆や年末の帰省時期は夜行列車を待つ人々が駅に入りきらず、駅の外にテント村が設けられるほどだった。

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かつての上野駅の風景。「青森行」「男鹿行」「福井行」など各地へ向かう夜行列車の札が並び、多くの人が出発を待つ(撮影:南正時)

【写真を見る】国鉄時代の夜行列車寝台車、白熱灯の灯るほの暗い車内

筆者も昭和40年代初頭の年末、東京から武生への帰省時にすさまじい混雑の夜行列車に乗り合わせた記憶がある。夜遅く、とにかく北陸方面への列車に乗ろうと米原駅で待っていると、やってきたのは超満員の急行「日本海」だった。客車はデッキまで満員だったが、ぎゅうぎゅうの車内になんとか乗り込んだ。

何とか洗面所のあたりに落ち着くと、10代の女の子が隅にうずくまっていた。「どこまで行くの」と尋ねると「青森まで」。恐らく集団就職などで関西に来て、帰省する途中だったのだろう。彼女がその後、青森まで座って帰れたか気になるところであった。夜行列車はさまざまな人々の悲喜こもごもの人生を乗せて走っていた。

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時刻は0時半過ぎ、静かな夜のホームで発車を待つ急行「だいせん」(左)と普通夜行列車の「山陰」(撮影:南正時)

SLを追って夜行列車の旅

昭和40年代後半になると、筆者は引退間近の蒸気機関車(SL)を追いかけて全国各地を撮影取材に回った。その時の移動手段も夜行列車だった。

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EF58形が牽引する急行「津軽」。集団就職などで上京した人々が帰郷の際に利用することから「出世列車」の名でも知られた(撮影:南正時)

当時の取材旅行には、今では姿を消した「周遊券」を使った。周遊券は、目的地のエリアへの往復に特急を利用する場合は特急料金が必要だったが、急行であれば追加料金なしで乗ることができた。SLの撮影取材といえば少なくとも片道、とくに往路は朝に到着してすぐに撮影に入れる夜行列車をよく利用した。東北方面であれば急行「津軽」などである。全国各地のSLを撮影できたのは夜行列車のおかげである。

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上野―青森間を東北本線経由で結んだ急行「八甲田」。EF57形が先頭に立つ=1974年11月(撮影:南正時)

夜行列車での移動がほとんどだったのは北海道だ。移動でなく、単純に宿代わりにすることもよくあった。例えば夜に上りの夜行急行に乗り、途中の駅で反対方向の列車に乗り換えて出発地と同じ駅に戻ってくるのだ。周遊券であれば、このような利用も問題なくできた。

とくに記憶に残っている夜行列車の1つは、急行「大雪5号」である。「大雪」は札幌―網走間を結ぶ列車で、ほとんどは気動車による昼行列車だったが客車による夜行もあった。それが「大雪5号」だ。

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急行「大雪5号」は北見―網走間は普通列車としてC58形蒸気機関車が牽引し、鉄道ファンに「大雪くずれ」と呼ばれ親しまれた=1972年6月(撮影:南正時)

【写真を見る】「夜汽車」という言葉がぴったりくる、夜の網走駅にたたずむC58形牽引の列車

「大雪5号」は寝台車やグリーン車、座席車を連ねた豪華な客車編成だったが、急行として走るのは札幌―北見間で、北見―網走間は同じ編成のまま朝の普通列車としてC58形SLが牽引して走り、鉄道ファンからは「大雪くずれ」と呼ばれた。筆者も、SLが引く堂々たる客車編成だったこの列車を追いかけた。

実はこの列車は、映画『男はつらいよ』シリーズの第11作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年松竹・山田洋次監督)で主人公の寅さんとマドンナのリリーが初めて出会う舞台でもある。『寅さん』ファンの筆者には、そんなことも思い出深い要素の1つである。

普通列車にも寝台車があった

「寝台車」といえば、今では冒頭に挙げた「サンライズ」やブルートレインなど、特急列車を思い起こす人が多いであろう。だが、かつては普通列車にも寝台車を連結した夜行があった。北海道の「からまつ」や紀勢本線の「はやたま」などである。普通列車なのに愛称までついていたのは、指定席予約の都合だった。

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京都駅で発車を待つ普通「山陰」。寝台車を連結した夜行の普通列車だった(撮影:南正時)

山陰本線にも京都―出雲市間を結ぶ夜行普通列車があった。その名も「山陰」である。筆者はこの列車の末期である1984年、雑誌の取材で乗車した。当時でも、もはやこのような普通列車の寝台を利用する“酔狂”な客はほとんどおらず、車内はガラガラだった記憶がある。

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普通「山陰」寝台車の車内(撮影:南正時)

【写真を見る】普通「山陰」の寝台車内。洗面所は蛍光灯で煌々と明るかった

寝台車は10系のオハネフ12形だった。冷房のない旧型の客車である。そのころすでに何度もブルートレインの同乗取材などを行っていた筆者にとっては、白熱灯の灯りや、発車の際に機関車が客車を引き出すときの衝撃など、当時としても「昔ながらの列車」を感じさせる旅であった。

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朝のホームに停車する普通「山陰」。寝台車の周りを見回る車掌(撮影:南正時)

「豪華寝台」ではない夜行列車も…

夜行列車は、当然ながら夜から朝にかけて走るため写真の撮影、とくに走る姿の撮影は難しい。ブルートレインは何度も同乗取材を行ったが、筆者にとって夜行列車はどちらかといえばそれ自体を撮影するというより、SLなど各地を走る列車の撮影に向かうための便利な手段であった。

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寝台特急ブルートレインは数多く取材した。夜の宇野駅で発車を待つ「瀬戸」(撮影:南正時)

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「豪華寝台列車」ではない、自由席のある夜行列車が走っていたころは、思い立ったらその日に旅立ち、翌朝には目的地に着いているということが可能だった。

そのように気軽に利用することのできた夜行列車の伝統を受け継いでいるのは、今では夜行のバスであろう。東京なら「バスタ新宿」や東京駅八重洲口のバスターミナルから、全国各地さまざまな行き先を掲げた長距離夜行バスが発着している。そこにかつて夜行急行が多数発着していたターミナル駅の面影を見るのは筆者だけであろうか。

ただ、狭いバスの車内ではトイレに行くのも難儀し、高齢者には厳しいのも事実だ。海外では見直しの機運もある中、日本では夜の時間を有効に使える夜行列車がほぼ消えてしまったのはやはり残念なことである。