MARCH合格で上京するも挫折し大学へ行けず…引きこもった青年が地元福岡の「塾」で再起し、就活を始めるまで
大学進学を機に九州から上京したトモアキさん(仮名)。志望校への合格と、念願だった親元を離れるという生活を手に入れたはずが、気がつくと引きこもりに。2年間の引きこもり生活ののち、最後に頼ったのは、おせっかいなおじさんが運営する〝塾〟だった。
【写真】ひきこもりだった人たちが八おき塾に来て、一緒に作っているお昼ご飯。みんなで協力して無事に完成
将来の夢を見つけられなかった中高時代
「おめでとう!」というお祝いの声と共に、威勢のいいクラッカーの音が響き渡った。「もう祝われるような年じゃないですよ」といいつつも、嬉しそうな笑顔を見せるのは、20代のトモアキさん。
トモアキさんは小学校から学習塾に通い、地元福岡にある難関中高一貫校に合格、中高時代は何の問題もなく日々を送っていた。ただし、親との関係はあまり良いものではなかったようだ。
「親と仲が悪くて、早く家を出たいと思っていました」(トモアキさん)

誕生日を祝うクラッカーの音が響く八おき塾の食卓。この日、たまたまランチ会にやってきた引きこもりの子を持つ親二人も一緒にトモアキさんの誕生日を祝った(写真:八おき塾)
トモアキさんは塾での勉強や中学受験を嫌だと思ったこともなく、中高一貫校に通えたことについては満足している。中学受験を目指す家庭が羨むような学校だったため、はたから見れば順風満帆、幸せな家族に映っていたかもしれない。
だが息子の気持ちは違っていた。
「何が嫌だったのかといわれると、コレって言えることがあるわけではないんです。ただ、しいて言うなら、話を聞いてくれなかった、ってことかな」(トモアキさん)
特に難しかったのが母親との関係だった。
「MARCH以上には入ってね」
「浪人なんてありえないから」
母親にかけられた言葉を思い出してもらうと、トモアキさんの口から出てきたのはこの言葉だった。
この言葉以外にも、母親は息子を思いやる言葉をかけていたかもしれないし、親としては息子にやる気を起こさせるための声かけだったかもしれない。だが、当の息子はそうは受け止めていなかった。どんな大学に入りたいかなど自分でもまだわからず、明確な夢もなかった。
「僕、中学ぐらいから、将来の夢がないっていうのをコンプレックスに思っていたところがありました」(トモアキさん)
トモアキさんは10代の多くの子が経験する将来に対しての漠然とした不安な気持ちを抱えていたのだ。だが、母親のかけた言葉はそんなトモアキさんの揺れる気持ちを受け止めてくれるものではなかった。
「高校になると、学校でも、将来の夢がないなら、できるだけ頭のいい学校行って、選択肢を多く持ちましょう、みたいなことを言われて。まあ、よく言われるじゃないですか、こういうこと。そういうのもあって、自分が行ける範囲で、なるべく(偏差値的に)いい大学へ行こうかなって考えるようになっていました」(トモアキさん)
コロナ禍での大学生活
こうして目標にしたのが「MARCHクラスの大学に入る」だった。高校の勉強で好きだった世界史を学べる学部を中心に出願することを決めていく。
第一志望にしたのは明治大学だったのだが、とにかくMARCHに入ることが目標だったため、この中の大学ならばどこに合格しても嬉しいと思っていた。明治、中央、青学、立教、立命館、福岡大学を受験し、念願だったMARCHクラスの大学に入学した。
だが入学はコロナ禍の真っ最中。まだ情勢が不安定な時期で、一時、授業は対面になったが、東京で感染拡大が広がると再びオンラインが主流となった。
そんな状況でも、授業はもちろん、対面のイベントにはなるべく参加するようにした。そこにはトモアキさんなりの努力があった。地方からの上京、しかも、中高一貫校の出身のため、6年間同じ仲間と過ごしてきた。そんな自分は、新しい友達を作るのに苦労するかもしれない、という思いを持っていたのだ。
「新歓イベントに参加したり、サークルに入ったりして、なるべく自分から積極的に人に声をかけていくように心がけていたんです」(トモアキさん)
総勢20人ほどのスキーサークルに所属し、サークルの仲間たちとも楽しく過ごせるようになった。だが、問題は学部の友達だった。
対面講義があった際に近くの席の人たちと連絡先を交換、それなりに過ごしていたつもりだったが、久しぶりに教室へ行くと自分以外でグループができていた。そこに自分の居場所を見つけることは、もはや難しくなっていた。
おまけに講義も面白いとは感じなくなっていた。
「高校の時って、テストで点数取れる科目を楽しいと勘違いすることがあるような気がするんです。世界史は高校の時は得意だったのですが、大学の講義はぜんぜん面白く感じられませんでした」(トモアキさん)
教室に会いたい友達がいるわけでもなく、授業に面白みも感じなくなってしまったトモアキさんは、夏休みに入る前には大学に行かなくなっていた。
引きこもる日々
トモアキさんの両親がこの状況を知ったのは、大学から届いた成績表がきっかけだった。大学の成績表は親元にも送られる。
長期休暇で帰省すると、単位が取れていないことを知った母親から「何をやっているの!」と強く叱責された。だが、自分のもやもやとした気持ちをうまく伝えることができないまま、東京に戻り、大学2年目を迎えた。
今度はなんとかやってみようと、再び大学に通い始めた。だがやはり、学部でうまく仲間ができず、学びを面白いとも思えない。大学とのつながりはサークルだけとなっていた。これもだんだんと行かなくなり、一人暮らしの部屋に引きこもるようになっていく。
結局、大学2年の11月、トモアキさんを案じて上京した親に連れられ、地元福岡に帰った。
地元に帰った当初は、アルバイトを探すこともやってみたがうまくいかなかった。
思えば、東京で暮らしていた頃もそうだった。初めての一人暮らしで、アルバイトは大学に通う生活が落ち着いてから、と考えていたトモアキさんは、5月からアルバイトを探し始めた。ところが、やりたかったアルバイトはもうなくなっていた。
「大学生といえば塾講師とか、家庭教師のバイトかなと思って応募したんですけど、遅かったみたいです」(トモアキさん)
その後、単発で都議選の出口調査のバイトを1度、スキーサークルの合宿の際に現地の宿で住み込みバイトをしたものの、定期のアルバイトはしたことがない。
「一応、引きこもってた間もバイトをやろうかなって思った時期もあったんです。福岡に帰ってきた時も、バイト始めようと思って、2カ所に応募しました。1つは書類で落ちて、もう1つは面接まで進んだけれど落ちました。そこでちょっと、完全にバイトやろうというやる気が失われちゃって……」(トモアキさん)
こうした小さな挫折が積み重なり、すべてにおいてやる気が失われていってしまった。福岡に戻ってからも外出はできず、引きこもり生活は約2年に及んだ。外に出なくなったトモアキさんの髪の毛は、鎖骨あたりまで伸びていた。
「八おき塾」へ通うようになって
この間、両親は必死だった。引きこもりに対する相談窓口を探す中、見つけたのはカウンセリングを行うところだ。トモアキさんは親の勧めを受け入れて、そのカウンセリングを受けにいった。
「カウンセリングは喋って楽になるみたいな効果はあったんですけど、別に何か前に進むことはないじゃないですか。これ以上カウンセリングに行っても意味ないかなっていう気になって、行かなくなりました」(トモアキさん)
結局、引きこもりから脱することはできず、またいつもの日々が始まった。なんとか外との接点を持たなくてはと、母親も悩んでいた。そこで相談したのが、今トモアキさんが通う福岡わかもの就労支援プロジェクト「八おき塾」(福岡市博多区)だった。
名前に塾という文字がついてはいるが、学習塾とはかなり違う。八おき塾は「コーチングで引きこもりや不登校になった若者の社会復帰(就労・就学)を支援」する場所。
塾生一人ひとりに担当コーチが付き、定期的な面談のほか、簡単な実務経験で働く練習をしたり、ランチ会の準備や片付けを通して生活面を整えたりしていく。
支援の対象は15歳から39歳の若者で、70%の塾生が入塾から1年以内に卒業し、就労・就学を果たしているという。

卒業する塾生に送った卒業証書(画像:八おき塾提供)
トモアキさんがこの八おき塾に通い始めたのは昨年7月のことだ。「親は前から相談していたみたいで、初めはなんか、無理矢理に連れてこられたって感じでした」と笑う。
八おき塾のやり方はかなり“おせっかい”。まずは、トモアキさんの家にコーチが会いにいくことから支援が始まる。
トモアキさんの担当になったのは吉永さんというコーチ。何度かの訪問の中で吉永さんは八おき塾でやっているランチ会に誘ってくれた。しかし、「気が向いたらおいで」という気楽な言葉ではトモアキさんの気持ちはなかなか動かなかった。
結局、トモアキさんが八おき塾を訪ねたのは、ひょんなことがきっかけだった。ある日、トモアキさんは母親との些細なけんかで髪の毛を切ることにする。
「僕、パソコンのゲームをやっているんですけれど、母とけんかして、ネットの回線を切られたんです。そうしたら母親が、『髪の毛切ったらつなげなおしてあげる』と言うので、じゃあ切るよ、と近所の美容院へ行ったんです」(トモアキさん)
鎖骨まで伸びきっていた髪の毛を切り、自宅に帰ると吉永コーチが待っていた。
「髪を切った僕を見た吉永さんが、なんかいけると感じたらしくて、そのままここ(八おき塾)に連れてこられました」(トモアキさん)
出迎えてくれたのは「おじさん」
「いらっしゃい」
トモアキさんを満面の笑みで出迎えてくれたのは、八おき塾の代表の鳥巣正治さんだった。
八おき塾ではメンバーが一緒に食事を作り、歓談していた。居心地も悪くなかった。コーチや仲間と一緒に食事を作ったり、何気ない会話をする中で、トモアキさんの気持ちも徐々に前向きに変わっていった。
鳥巣さんによれば、何度転んでも大丈夫なんだと思えたら、若者は自然と立ち上がっていくという。ただし、大人が前に出過ぎないことが肝要だ。前から引っ張るのではなく、後ろからそっと背中を押す、それが何より大切なのだと、鳥巣さんは語る。

自分の誕生日に塾生が作ってくれた手作りケーキを手に満面の笑みを浮かべる代表の鳥巣さん(写真:八おき塾提供)
「トモアキには、『なんかほしいものないと?』『やってみたいことはないと?』と、声をかけたくらいですよ。すると、なんかパソコンのゲームをやっているんだけど、本当はそのゲームをするにはもっと性能のいいパソコンがいるんです、と言っていたので、そのパソコンを買うことを目標にアルバイトを探すことにしました」(鳥巣さん)
担当の吉永コーチは、どんなアルバイトをやってみたいかをトモアキさんに尋ねながら、一緒にバイト探しを手伝い、面接練習にも付き合った。動く時の起点はすべてトモアキさん。吉永コーチは、トモアキさんの声に丁寧に耳を傾け、それにそって背中を少し押していった。

ランチ会では参加者の希望で献立を決め、買い出し&調理を協力しあって食卓を囲む。この日の献立はチャーハンと八宝菜(写真:八おき塾提供)
一歩ずつ前進
こうしてコーチたちと仲間に支えられ、トモアキさんは昨年秋にアルバイトに合格、外で働く一歩を踏み出せた。1月にはたまった給与で念願のパソコンを購入した。
「奮発しましたよ~」
そう語るトモアキさん、その声はどことなく自信に満ちていた。
そしてさらに、次なる挑戦をはじめている。
「今、就活をしていて、こないだSPIを受けたんです。そしたら受かって、次、面接なんです」(トモアキさん)
夢がないのがコンプレックスだと感じていた青年の目は、まっすぐに将来を見つめる目に変わっていた。

塾生の「揚げ物が食べたい」という一言から、この日の献立はコロッケに。揚げたコロッケが中まで火が通っていないなどハプニングもありつつ、みんなで協力して無事に完成(写真:八おき塾提供)