都会育ちの57歳女性、「雪深い富山」で家を2軒も買った理由…「東京を捨てない」2拠点生活で得られた「最高のこと」
都会から地方への移住、地方から都会への移住などライフスタイルが多様化する日本にあって、東京と、世界文化遺産の地である富山の五箇山で2拠点生活をしている女性がいる。
【写真】思わず富山に住みたくなった!《素敵すぎる「楽雪住宅」の内部》
米津悦子さん、57歳。2拠点生活といっても平日は都内、週末が別宅という一般的なものではなく、仕事や生活に合わせて自由に行き来するというきわめてユニークな暮らしぶりである。なぜこのような生活に至ったのか。

東京にも拠点を置きながら、五箇山での生活を楽しんでいる米津悦子さん(写真:米津さん提供)
東京と富山を行き来し、仕事や介護の日々
米津さんは夫(58歳)、7歳の犬と暮らすアクティブな女性である。東京都足立区と山あいにある合掌造りの集落で知られる富山の五箇山(南砺市)を行き来しながら仕事をし、さらに80代の母の世話もする。
心身の豊かさを求めての2拠点生活のはずだが、あまりにも忙しそうだ。バタバタしすぎて疲弊しないのだろうか。
「私は海外出張などが多いので、前々から移動に苦はなくて。富山は雪が多いので、冬は気象状況次第でまったく動けなることもあります。最近は母が体調の関係で入院しないといけない時期なので、しばらくは東京にいると思います」
東京と富山・五箇山の距離は約400km。自動車では片道で5時間以上かかる。今は北陸新幹線もあり、昔よりはアクセスしやすくなったものの、それでもかなりの「僻地」である。以前であればなかなか仕事と両立できる移動距離ではないが、コロナ禍でリモートワークが当たり前となり、かなり仕事がしやすくなった。
「今はPCがあればどこでも仕事ができますので、五箇山からオランダにいる人とミーティングをすることもあります。そんなときはさすがに不思議な気持ちになりますね」
米津さん自身は、もともと東京都足立区の出身。2拠点生活が始まってからは富山にいることも多くなったが、決して東京が嫌になったわけではない。
「やっぱり東京に戻ると、ホームに帰ってきた感覚がありますね。仕事のやりやすさ、暮らしやすさで判断して複数拠点で生活しています」
言うは易しだが、実際にこの生活に慣れるまでは大変だったに違いない。

50代で2拠点生活を始めた、米津悦子さん(写真:米津さん提供)
そもそも、なぜ東京出身の米津さんが富山に拠点を置くことになったのか。
「富山に来た理由は、母のパートナーが五箇山出身で、一度行ってみようと思ったことがきっかけでした。コロナが拡大した後の2021年のことです。仕事の関係で富山の都市部に住んでいた妹に下見してもらったところ、『見に来ない?』と誘われたのです」
母のパートナーと言っても、米津さんの実の父ではないため、関係性としてはそれほど強くはない。だがそれでも、すぐに富山に行くことを決め、妹のところに立ち寄りつつ五箇山に行った。五箇山のことはまったく知らなかったが、行くとすぐに気に入ったという。
「大自然に囲まれた素敵な風景が広がっていて、ここなら心身ともに豊かな暮らしができると考えたのです。そして、ぜひいい家があれば住んでみたいと思うようになりました」
「素敵すぎる家」を見つけ、2棟購入
米津さんは思い立ったらすぐ行動する性格で、家を探し始めるとほどなくしていい物件に巡り合った。もともと旧上平村の村立住宅だった建物を、(市町村合併後の)南砺市が売り出していたのだという。
築30数年。冬場の五箇山は雪が深くて生活は大変だが、この家はその雪を楽しみながら暮らせるという「楽雪住宅」というコンセプトで設計されていた。
楽雪住宅は、雪深い地域の実情に合わせた「落雪構造」になっている。急勾配の屋根が金属板でふいてあり、雪が自然に滑落するというものだ。五箇山の古くからの合掌造りももちろん素晴らしいが、この住宅は日本の伝統建築への敬意を払いつつ、現代の暮らしにも適合した形である。
「本当に素敵な家ですぐに惚れ込み、1棟を購入しました。その後、隣接する旧コミュニティセンターで、同じ造りの建物も売りに出されることになり、この1棟も買いました。この楽雪住宅はコテージのように6棟並んでいるのですが、そのうち2棟を手に入れました」

米津さんが惚れ込んだ「楽雪住宅」(画像:創建築事務所HPより)

古民家の梁を生かした「楽雪住宅」の構造が味わい深い(写真:米津さん提供)
楽雪住宅はただ雪がうまく落ちる構造になっているだけではない。6棟全体が特徴的なベンガラ色の2階建ての木造住宅で統一されており、外観も五箇山の豊かな自然や集落に合うように設計されている。公営住宅においてこのような明確なコンセプトを持つ住宅は珍しい。
「この楽雪住宅は他の住宅とはまったく違います。五箇山がいい場所だから暮らしたいというのはもちろんですが、とにかくこの家で暮らしてみたいという思いが強かったです。ホテルや旅館に泊まってたまに来るのではなく、自分の居場所が欲しいと思いました。
私の場合、海外生活が長かったせいもあって、1つの場所に“ずっと住む”感覚が薄く、住むこと自体が移動するような軽やかな感覚です」
1年間は腰を据えて富山で暮らした
1棟目の楽雪住宅を購入したのが21年5月。最初の1年はほとんど富山で暮らしたという。北陸という地域はよそ者に厳しいとも言われ、実際になかなか地域になじめず悩む人は多い。
「当初から東京と富山を行ったり来たりすることになると思っていましたが、はじめの1年は、ほぼ富山にいたので移住状態でした。この1年は慣れるために奮闘していた感じです」
1年間、腰を据えて富山にいたことは非常に効果があり、住民の方々との距離がグッと近づいた。また、長年、運転免許は持っていなかったが、富山に来る直前に免許を取得。これは地方暮らしに大いに役立った。
最もよい効果があったのは、飼っている犬の存在だった。犬の散歩で朝晩毎日歩いていると、犬がアンバサダーになってくれて、畑やあぜ道などで住民の方と挨拶し合うようになった。
「やはり犬がいると話しかけやすいですから、声かけてくれる方が多かった。こちらに来る前から飼っていましたが、いずれこの子と自然豊かなところで快適に暮らしたいという思いは根底にあったと思います」

愛犬と自宅周辺を散歩する米津さん。愛犬が地域の人とのつながりを作ってくれた(写真:米津さん提供)
2棟目の建物を宿泊所に
富山で1年暮らした後は、状況に応じて東京と行き来する生活になった。
夫と一緒に経営している照明販売の会社は東京にあり、仕事の事情でどうしても東京に戻らなければならないことも少なくない。また、80代の母も東京に住んでおり、病気の看病の関係で戻る必要が出てきた。
だからこそ、五箇山での生活は米津さんにとってもかけがえのないものになっていった。
「東京にいるときは、五箇山での生活が一層恋しくなります。人間関係は濃密で、地域の人とはほとんど知り合い。私たちのように東京から来た夫婦は珍しく、すぐに覚えてもらえました」
2棟目の住宅は、1棟目取得から2年後である23年に購入した。
「市の方からもこの建物が売りに出されることは聞いていましたが、地域の人が『米津さんたちが買えば?』と言ってくれたことがきっかけでした。地域の方々に受け入れていただいたと思うと本当に嬉しかったです。こうした経緯もあり、今度は自分が迎える立場になって、この2棟目の建物で新しい風を呼び込む一助になりたいと考えました。そこで、簡易宿泊所の許可も取りました」
現在は、2棟目の建物を宿泊所として運営している。
こうして急速に五箇山での生活に馴染んでいった米津さん夫妻だが、それはさまざまなタイミングが合い、地域の人たちに恵まれたという運もあっただろう。そもそも地方に住むという決断を簡単にできるものなのだろうか。
「夫はそこまで積極的に人とコミュニケーションをとる人ではなく、私がどんどん突き進んでいくタイプです。私が富山に家を買いたいと言ったときは、『えーっ!』と驚きつつも賛成しました。私についていくと面白いことが起きると思っているようです。
実際、富山に住み始めてから、夫もDIYでキャビネットを作ったり、家の細かい手入れをしたりと、富山での生活を楽しんでいます」

宿泊施設として活用している「楽雪住宅」の内部(写真:米津さん提供)
五箇山への移住にかかる費用は現実的だった
夫とともに経営する会社は海外照明の卸売販売会社で、設立15年ほど。もともと夫が海外の照明メーカーに勤務しており、その後独立した。
近年は新規事業として、従業員の母のレシピを再現した砂糖がけナッツの販売、それに先述した五箇山での宿泊所経営など、事業が多角化している。
「夫妻で2拠点を行き来しながら一緒に動けることは、とてもよいと思っています。これまでも旅先で『ここに住みたい』と思うことはよくありましたが、費用の算出まで落とし込めないままでした。五箇山のような過疎地域では、費用が(桁違いに)少なくなります。だからこそ、すぐに決断できたという面はあります」
「楽雪住宅」に住み始めてから、思いがけない出来事があった。住宅を設計した建築士らと直接会うことができたのだ。
この村立住宅を設計したのは、創建築事務所と、建築士で芝浦工業大学 名誉教授の三井所清典さん。三井所さんは地域の小学校の設計にも携わっており、偶然学校の記念式典に招待されて五箇山の近くまで来ていた。そこでかつて設計した楽雪住宅の状況を見に来たのだという。
「こんな素敵な住宅を建てた方にぜひ会いたいと思っていましたが、まさか本当にお目にかかれるとは思いませんでした。私は嬉しくなり、三井所さんに家の中も見ていただきました。
改装した2棟目については、水回りのカラフルなチェッカータイルの床を見て、『トイレを明るく楽しい雰囲気にする点など、私が思い描いていた使い方です』と言っていただけた。ぜひ彼らの思いを受け継いで使っていこうと思いました」
米津さんが富山に住むきっかけとなった母のパートナーは、すでに他界した。東京に住む母は高齢になり、心配事も増えてきた。米津さんがなるべく食事を持って訪ねたり、外に連れ出したりしている。
「母は都会が好きで、ネオンのない場所は好まないのですが、母のパートナーは東京に住みながらも、富山を心のふるさととして大事にしていたようです。今思うと、パートナーが持っていた人形や本など、富山ゆかりのものがいつくもありました。お酒を飲むと歌っていたのも五箇山に伝わる民謡でした」
外国人観光客を受け入れたい
まもなく2拠点生活を開始してから5年が経ち、五箇山にもだいぶ慣れてきた。
五箇山の合掌造りは飛騨高山の白川郷と並んで世界文化遺産になっていることから、外国人観光客も多く訪れる場所だ。今後は宿泊所にたくさんの海外観光客を迎えていきたいと考えている。
「海外の方とは仕事柄コミュニケーションをとってきましたので、ぜひ宿泊所で外国の方々を受け入れていきたいと思っています。以前、泊まっていただいた僧侶の方が、『100歳どころか今後は120歳まで生きられますよ』とおっしゃっていました。ぜひ私も120歳とまではいかなくても、100歳までは社会参加し続けたいと思っています」
2拠点生活により、心身ともに充実した生活を送る米津さん夫妻。暮らし方は人それぞれで、正解はない。人生が豊かになるにはどうすればいいか。それぞれが考え実行することで、その答えは見えてくるはずだ。