3000時間以上全国の小学校で授業を行っている教師が明かす、型からはみ出る子を排除する基準

全国の小学校からひっぱりだこの教師がいます。この10年で3000時間以上の飛び込み授業を行い、いまもっとも日本の公立小学校を知っていると言っていい存在です。

数々の崩壊した教室をコミュニケーションの授業で立て直し、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」や日本テレビ系列「世界一受けたい授業」などにも出演。

著書『足型をはめられた子どもたち』では、各地で出合った目を疑うような授業、規則を紹介するとともに、コミュニケーションの授業で子どもたちが、どう伸びていくかを伝えていきます。

「おたがいを理解し合う技術」を身につける

ではずばり「コミュニケーション科とはどんなものなのか」。私自身もよく聞かれます。確かに、国語や算数のように馴染みのある教科ではありませんから、当然の疑問でしょう。

授業では、子どもたちにあるテーマについてどんどん話し合ってもらい、「おたがいを理解し合う技術」を実践的に身につけていきます。もう少し具体的に言うなら、「相手の話を聞き、自分の考えを伝える力を、体系的に身につける」もの。

「おたがいを理解し合う技術」を身につける, 「彼はまるで教室の守り神だね」という仮説, 現実社会に必要なのは「納得解」を導き出す力, 正解はひとつだけの「絶対解」、対話でつくる「納得解」

3000時間以上全国の小学校で授業を行っている教師が明かす、型からはみ出る子を排除する基準

私はこの、コミュニケーション科を「あたたかい人間関係を築きあげる力を育て合う教科」と定義しています。厳密に言うと、私の「飛び込み授業」の形式はコミュニケーション科の「発展版」でもあります。

コミュニケーション科の授業はややもすれば、取り上げるテーマから「国語」や「道徳」のようにも見えるかもしれません。

確かに国語にも「話すこと・聞くこと」という領域があります。しかし、コミュニケーション科とは決定的な違いがあります。国語科は「正解」を求める授業です。漢字の読み方、文法、作文の書き方、すべてに「正しい答え(絶対解)」があります。発表でも「声を大きく」「姿勢よく」「内容を正確に」といった技術的な指導が中心になります。

一方、コミュニケーション科は「納得解」を大切にする授業です。友達の意見を聞いて「なるほど、そういう考え方もあるね」と認め合う。自分の気持ちを素直に表現して「そんなふうに思っていたんだ」と受け止めてもらう。正解はひとつではありません。

道徳の授業はどうでしょうか。道徳も人間関係について扱いますが、どちらかといえば「こうあるべき」という価値観を教える側面が強いものです。一方、コミュニケーション科は、価値観を一方的に教えるのではなく、「おたがいを理解し合う技術」を実践的に身につける授業なのです。

「彼はまるで教室の守り神だね」という仮説

ひとつの事例として、私の教員時代最後の2年間で、5年生のクラスに森本くんという子がいました。発達障害の傾向があり、4年生までは教室で暴れまくって授業を妨害していた子です。5年生で会ったときは治まっている様子でしたが、明らかに彼独特な言動は見られました。

私は、それが突飛なアイデアがひらめく独自性だと捉え、彼がクラスのキーマンになれればと考えました。

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帰りのホームルームの「ほめ言葉のシャワー」の時間に、彼は興奮のせいで席にじっとしていられませんでした。いま思えば、その日ほめられる女の子に好意を寄せていたのかもしれません。彼は席を離れ、教室後ろの棚の上に膝を立てて座り、掃除用の長いほうきに寄りかかるようにしてその様子を見ていました。

私は教室全体に向けて言いました。

「見て、彼はまるで教室の守り神だね」

私は子どもたちに「仮説」を与えました。おたがいを理解し合うためのきっかけ、あるいは「席についていないことが絶対的に悪いことではない」といった解釈もあるよと示したのでした。納得解の考え方も含めた姿勢を教室に示してみたのです。このあと教室が森本くんの居場所になっていきました。

卒業時に彼のお母さんからいただいた手紙の内容が忘れられません。6年生になるころ、医師の判断で薬を飲まなくてもよくなったそうです。彼が教室で価値観の押しつけをされず、周囲と言葉を交わすことで持ち場を与えられ、結果的に落ち着いたのなら、教師冥利に尽きるなと思ったものです。

現実社会に必要なのは「納得解」を導き出す力

絶対解と納得解とは、民間企業出身者で、公立中学校の校長先生も務められた藤原和博さんが体系的に整理し、広めた言葉とされますが、私もこの考えに賛成です。

藤原さんは「ダイヤモンド・オンライン」の記事で次の発言をされています(「成長社会から成熟社会のターニングポイントで生き残れる人、生き残れない人の分かれ目とは?」2023年3月19日)。

日本の教育は「正解至上主義」なんです。でも、私がいたリクルートはそれが通用しない世界でした。想定外のこと、二律背反の出来事が毎日どころか毎分起こる。それらに対処していくには、知識や情報の「処理力」だけでは足りません。必要なのは、自分で仮説をたくさん立て、他者からの仮説も集めつつ、その中から自分が一番納得し、さらに関係者も納得できる解、つまり「納得できる仮説」=「納得解」を導き出す力です。

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ここでは、私なりの解釈も加えて話してみたいと思います。

絶対解というのは、もう答えが決まっているということですね。一般的に言えば正解主義です。テストの点数で測れる「学力」です。1+1=2というのが絶対解です。

現在の日本の教育現場の主流でしょう。「できる・できない」で子どもたちを分けるものでもあります。100点満点としてできない問題の点数を引いていく減点法の評価基準とも言えます。

これはじつは、排除の論理へと向かいがちです。できないから、そのできない状態がひどいから「来年度は支援学級に」という構図も、ある意味生まれやすくなってくると思います。

私の立場は、この絶対解的な考え方をすべて否定するということではありません。子どもが社会に出ていくにあたり、暗記すべき項目やルールというものは存在します。それができるか、できないかという厳しさは必要なものです。

しかし、「それがすべてではない」ということです。「絶対解だけだ」というのが、絶対解ではないのです。

正解はひとつだけの「絶対解」、対話でつくる「納得解」

これに加え、学校教育の現場では「納得解」という観点を持つべきだと思うのです。それは、「みんなでつくっていくこと、考え続けて、見つけ続けようとすること」であると、私は定義したいです。

絶対解だけを重視して、その型からはみ出る子を排除するという発想ではなくて、それぞれの子どもの意欲を重視しつつ、みんなでつくっていくという教育観です。

加点法でもあります。絶対解が「そこに合わなかったらダメ」という減点法なら、納得解は逆に「ここはいいよね」という加点法です。

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ダイバーシティ、という言葉が言われて久しいです。多様性の尊重ということです。多様な意見が尊重されていく社会になろうとしているわけですから、そこに学校教育も当然のごとく対応していくべきでしょう。

私は、教室の現場を一歩離れたここ最近の日本の日常生活の中でも「納得解」の考えがうまく作用するのでは、と思う状況があります。たとえば、SNSなどで盛んに見られる、政治的な立場の違いに基づく過激な言説の対立です。これは「答えがひとつ」という絶対解の考えに引っ張られているがゆえのことではないでしょうか。「相手の意見を変えなければならない」という考えに囚われているから起きる面があるという。

そうであっても、学校現場ではあくまでも教科書を中心に、正解がここに書かれていて、それを見つける、それを確認する絶対解の教育になっているのです。でも世の中では「正解がない時代に入ったのだから」などと言うでしょう。多様性の時代は、納得解の時代でもあるのです。他者の意見を聞き入れて、自分の意見も伝えて、みんなで新しいものをつくっていくというものです。

この「納得解」を積極的に採り入れるコミュニケーション科は、長期的に「子どもの成長の土台となるように」、最終的には「民主主義の担い手となるように」と願いを込めたものですが、短期的にも学級崩壊を防ぐ手立てになりうるものです。

もしクラスで何かトラブルが起きたとき。従来なら「喧嘩はいけません」と道徳的に諭すか、「ちゃんとあやまりなさい」と指導するでしょう。しかしコミュニケーション科の考え方では違います。「相手はどんな気持ちだったと思う?」「君はどう感じたの?」「おたがいが納得できる解決方法を一緒に考えよう」。このように、対話を通じて解決していくのです。私がこのコミュニケーション科でつけたい力は、次の4点です。

・あたたかい人間関係を築き合う力

・自分らしさを発揮しながら、他者と協力して学び合いができる力

・相手を理解し好きになって、一緒に成長し合うことができる力

・意味や感情を、言語・非言語などを活用して伝え合う力

つまり、コミュニケーション科は「人とつながる力」を育てる、いままでにないまったく新しい教科なのです。