国鉄が生んだ「直流特急型電車」黄金期の記憶 181系「とき」から183系「あずさ」「あまぎ」、185系まで

国鉄初の特急電車は、1958年に東京―大阪・神戸間で運行を開始した「こだま」だった。東京―大阪間の日帰りを可能にした「ビジネス特急」の呼び名で知られたこだまの151系は、電化方式が直流の東海道本線を走る「直流用電車」であった。

【貴重な写真を一挙公開】▶国鉄が生んだ「直流特急型電車」の懐かしい姿▶国鉄特急電車の始祖、151系「こだま」や上越線を走った「とき」、特急の運転拡大に一役買った183系の「あずさ」や「しおさい」など首都圏でおなじみの列車、そして近年まで活躍した「踊り子」185系や「しなの」「やくも」の振り子式381系など

その後特急電車網が広がるにつれ、地方に広がった交流電化にも対応した交直流特急型電車が登場し全国で活躍するようになったが、直流電化の区間で活躍した電車、とくに183系は首都圏などを中心にエル特急の顔として、特急の大衆化に一役買った。

今回は国鉄型の「直流特急型電車」の全盛期を、181系や183系の活躍を中心に振り返ってみたい。

国鉄特急型電車の始祖「こだま型」

国鉄の特急型電車の始まりは、冒頭にも記したとおり151系の「こだま」である。実は筆者が初めて乗った特急も、この「こだま」であった。東海道新幹線の開業前のことである。特急型電車に限らず「国鉄の特急」に初めて乗ったのがこの時だった。

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この時の写真は記念撮影として撮った1枚だけで、実はそれほど記憶がない。当時の憧れの列車として取り上げられることも多い「こだま」だが、筆者は福井県の北陸本線沿線在住で、乗ってみたい憧れの列車といえば電車急行の「ゆのくに」などだった。「特急」はその当時、一般には縁の遠い存在だったのだ。それくらい特別な列車だったともいえる。

151系は国鉄初の特急型電車であるだけに、その後の特急のイメージを形作った車両である。

クリーム色に赤帯の国鉄特急色、そして一時代を築いたボンネット型の先頭車も「こだま型」と呼ばれるだけあって151系が始祖である。カラーリングは気動車特急にも採用され、長らく国鉄特急のイメージカラーとなった。ボンネット型デザインはその後、交直流特急型の481系や485系にも引き継がれ、特急電車のイメージをつくりあげた。

今思えば、「こだま」の151系は個室などを備えた1等車(現在のグリーン車)の「パーラーカー」や食堂車、ビュフェなどを連結した豪華編成であった。後になってから、あの時食堂車に行けばよかった、奮発して1等車に乗ればよかった、と思ったものだ。

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C57形牽引の列車と顔を並べた151系「こだま」(撮影:南正時)

【写真を見る】豪華な設備を誇った「パーラーカー」を先頭に走る特急「こだま」

181系「とき」の思い出

64年10月の東海道新幹線の開業により、151系は東海道本線の花形の座を追われ、山陽本線や上越線に転じた。そして、勾配区間向けの強化改造などを行い、すでに62年に登場していた上野―新潟間の特急「とき」用の161系とともに形式が181系となり、その後新製も行われた。

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雪景色の上越線を走る181系の特急「とき」(撮影:南正時)

【写真を見る】利根川の橋梁を渡る181系特急「とき」

筆者にとって、国鉄型の直流特急型電車でもっとも思い出深いのはこの181系である。とくに、上越線を走った特急「とき」は思い入れのある列車だった。ボンネット型の先頭車、そして食堂車を連結した長大編成は「こだま」時代を思い出させるに十分な存在であった。

残念ながら食堂車は78年に営業休止してしまったが、「こだま」時代に乗れなかった食堂車にも「とき」で乗車することができた。

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渋川付近を走る181系の特急「とき」(撮影:南正時)

率直に言えば、筆者にとって国鉄の特急の中でも直流特急型電車は「カジュアル」な存在で、身近で便利な移動手段として多用したという印象が強い。思い立ったら自由席に飛び乗ってすぐ移動、といった記憶とともにあるのが直流特急型電車だ。

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短距離の房総特急に投入された183系。「しおさい」として走る姿(撮影:南正時)

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特急「あまぎ」として走る183系。あまぎは後に急行「伊豆」と統合されて特急「踊り子」となった(撮影:南正時)

【写真を見る】183系の前に特急「あまぎ」に使われていた157系。短命に終わった「悲運の名車」だった

特急の重厚さや風格という観点では、筆者は多くの場合、交直流特急型電車による列車のほうが上ではなかったかと思う。それは編成に現れていたといえよう。昼行特急で日本最長の運転距離を誇った「白鳥」など、交直流特急型電車は長距離を走り、食堂車を連結した長大編成が多かった。

筆者の生まれ育った沿線である北陸本線を走る「雷鳥」や「しらさぎ」などは最盛期、食堂車やグリーン車2両を連結した豪華編成で走っていた。当時の優等列車は食堂車やビュフェなどを連結しているのがステータスでもあった。

「身近な特急」183系

一方、181系の後、72年に登場した183系は、もともと房総方面の短距離特急列車向けとしてつくられただけあり、当初から食堂車やビュフェはなかった。国鉄初の振り子式電車として73年から特急「しなの」に投入された381系も同様に、食堂車などはなかった。

その後、特急「とき」向けに登場した183系1000番台も食堂車は存在せず、同じ「とき」でも181系の編成には連結しているものの、新型の183系は食堂車の営業がないという、やや寂しい列車となった。もっとも、食堂車はその後全国的に姿を消していってしまった。

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渋川付近を走る183系の「とき」。食堂車は当初からない編成だった(撮影:南正時)

【写真を見る】青空の下、渋川付近のカーブを走る183系の「とき」。クリーム色と赤の国鉄特急色が美しい

とはいえ、70年代半ば以降、筆者は『ケイブンシャの大百科』の取材で当時の全国の特急列車をすべて撮影している。そんなこともあり、183系をはじめとする直流特急型電車の思い出は数多い。

もっとも印象に残っている列車は前述の181系「とき」だが、ヒット曲『あずさ2号』でその名が全国的に知れ渡った「あずさ」、房総半島のさまざまな特急列車、そして国鉄最急勾配区間だった信越本線の碓氷峠をEF63形の力を借りて越えた189系「あさま」など各地の列車を追った。

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小淵沢付近を走る、絵入りヘッドマークになる前の「あずさ」。ヒット曲『あずさ2号』で名前が知れ渡るようになった列車だ(撮影:南正時)

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EF63形との協調運転で碓氷峠を越えた「あさま」(撮影:南正時)

【写真を見る】このデザインが懐かしい人も多いのでは?「あずさ」の絵入りヘッドマークを掲げた183系

全国各地のヘッドマークを追って

『大百科』では全国の特急を網羅したが、そのうえで何より重要なのはヘッドマークだった。まず先頭のヘッドマークがはっきりとわかる写真を撮影するのが重要な仕事だった。

個人的には、とくにボンネット車は文字のみのヘッドマークが美しいと感じているが、一般的にはイラストの描かれた絵入りヘッドマークも人気が高い。絵入りヘッドマークは78年10月から登場し、このため一度文字のみのヘッドマークを撮影した列車も再度撮影することになり、全国を駆けまわった。

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「とき」ボンネット車のヘッドマーク。ひらがなの「とき」に加え、漢字の「朱鷺」、そしてローマ字の「TOKI」と3つの表記が入っていた(撮影:南正時)

JR発足後、国鉄型車両は年を追うごとに数を減らしていったが、直流特急型電車には長年活躍した車両も多い。国鉄型特急電車として最後まで残り、定期運用として2024年まで「やくも」で活躍した381系や、21年まで「踊り子」で走り続けた185系はその代表格であろう。

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東海道本線垂井―大垣間を走る381系の「しなの」。ヘッドマークは文字のみの時代だ=1975年(撮影:南正時)

【写真を見る】名古屋駅で「湘南形」80系電車と並ぶ登場時の381系「しなの」

185系は1981年の登場時、特急と通勤輸送の両方を考慮した車両として、国鉄特急型としては異例の窓が開く構造で登場し、座席も簡易な転換クロスシートだった。当時の国鉄の厳しい事情を感じつつも、筆者には特急型としては決して手放しで歓迎できる車両ではなかった。

だが、JR化後には内装をリクライニングシートに改め、塗装の変更などさまざまなテコ入れが行われた。中でも、湘南色やかつての157系塗装などの「国鉄カラー」に塗装されると、やはり国鉄らしさを感じさせる車両であった。

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東北・上越新幹線の上野開業前、大宮―上野間の連絡列車「新幹線リレー号」に使われた185系。ヘッドマークには「新幹線連絡専用」の文字が見える(撮影:南正時)

【写真を見る】日本一短いトンネルとして知られた吾妻線の樽沢トンネルを通過する国鉄時代の185系特急「白根」

特急を「身近な乗り物」にした電車たち

JR発足後も国鉄の直流特急型電車は活躍を続け、各社・列車ごとに独自の塗装を施したり、グレードアップしたりした編成が相次いで登場した。それらは決してどれもがいいデザインとは感じなかったが、各社の意気込みは感じることができた。

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信越本線(現・しなの鉄道)小諸付近を走る特急「あさま」のグレードアップ車(撮影:南正時)

【写真をもっと見る】151系「こだま」や上越線を走った181系「とき」、183系の「あずさ」「しおさい」など首都圏でおなじみの列車、EF63形との協調運転で碓氷峠を越えた189系「あさま」、185系の新特急や「踊り子」、そして「しなの」「やくも」「くろしお」の振り子式381系など、国鉄時代に誕生した直流特急型電車の懐かしい姿

そういった車両も次第に新型車に追われ、首都圏の特急列車としてさまざまな列車で見られた183系も引退し、185系、そして381系も消え、国鉄時代の特急電車は姿を消した。すでにJR初期に登場した車両も現役を退く時代である。だが、車両としての歴史や風格はもちろんのこと、現在のように特急を身近な乗り物にしたという点でも、国鉄時代に生まれた直流特急型電車の功績は大きいといえるだろう。