「リストラされた56歳」がレコード大賞を受賞…プライドを捨てた"音楽ド素人"が「三木たかしの5000曲」で這い上がるまで
前編では、新卒で入社した毎日新聞社の早期退職制度に手を挙げ、起業するも詐欺に遭ったり、無収入が続いたりと、辛酸を舐めた花畑秀人さん(63歳)の苦労の日々をお伝えした。
【写真】「目の前には乃木坂46、隣にはM!LK」“音楽ド素人”が出席した〈「レコード大賞」授賞式〉での様子
本稿では、突然舞い込んできた「三木たかしの5000曲の管理」という仕事を得てどん底から這い上がり、「レコード大賞企画賞の受賞」にたどり着くまでの道のりを、『部外者の流儀』を上梓した花畑さんに聞く。
「味のないガム」を噛み続けるような日々
稀代の大作曲家・三木たかしの楽曲を管理し、企画する――。いかにも業界人らしい派手な仕事だろうと思われるが、現実はまったく違った。
花畑さんが最初にしたのは、楽曲が録音されたCDやレコードや楽譜などが保管されている部屋で、あらゆる資料に目を通すこと。楽曲を管理するなら、どのような資料があるのかを把握する必要があったからだ。
小さな一室で、積み上げられた段ボール箱を片っ端から開け、保管されているものをスマートフォンで撮影していった。
音源はCD、DVD、レコード、MD、カセットテープなどに収められており、パソコンに取り込んでデジタル化できるものはしていった。かなり膨大な量だ。楽譜や写真なども同様にデータ化。静かな空間で、パソコンやスキャナーの機械音だけが響く日々。
音源の取り込みがあらかた終わると、曲を1つひとつ聞いて、JASRAC(日本音楽著作権協会)のデータベースやネットでの検索、サブスク音楽配信サービスと照らし合わせるなどして、未発表曲か、発表済みの曲か分類していった。繰り返すが、5000曲を残した三木さんの音源を、である。
花畑さんは当時を、「味のないガムを噛み続けるような日々だった」と回想する。
「とにかくもう、淡々と事務的に整理していくしかありませんでした。でも整理されていないから、同じ音源がいろいろなところから出てきたり、判読不能な楽譜があったり、すごく大変だった。誰に何を相談すればいいかもわからないし、正直、引き受けたことを後悔しました……」

ひょんなことから三木たかしさんの楽曲を管理することになった、花畑秀人さん(写真:花畑さん提供)
300以上の未発表曲という“お宝”
だが同時に、“宝の山”が目の前にある、とも感じていた。
三木たかしさんの楽曲といえば、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、テレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」、坂本冬美さんの「夜桜お七」、「アンパンマンのマーチ」など、昭和から平成にかけて国民的ヒットを記録したものばかり。
当時すでに300以上の未発表曲があるとされていたが、調べてみると、まだまだたくさんあった。作業を続けながら、その楽曲をいかに世の中に届けていくかを考えるようになったという。
演歌や歌謡曲の市場が小さくなっている現代。音楽の楽しみ方も、CDを買うのではなく、ストリーミングへアクセスすることが一般的になっている。このお宝を、いかに世に出すかを真剣に考えなくてはならない。
考えた末に花畑さんが企画したのが、2025年に「三木たかし 生誕80年プロジェクト」を開催するというもの。同年にCDやレコードの発売や、没後30年を迎えるテレサ・テンさんとのコラボなどを行う、一大プロジェクトである。

日本人の誰もが知る名曲を数々生み出してきた三木たかしさん(写真:空ミュージック提供)
では、未発表曲はどのように形にするか。花畑さんが取ったのは、地道で泥臭い方法だった。人に紹介してもらったり、名刺を配りまくったりして、レコード会社や音楽事務所にアタックし続けたのだ。新聞社時代の営業経験が生きた結果と言えよう。
アポが取れたら、絶対に直接会いに行った。300以上の未発表曲のデータが入ったノートパソコンと小さなスピーカーを持って、実際に曲をいくつか聴いてもらう。メールでデータを送るより、確実に曲の魅力が伝わると思ったからだった。
すぐに成果は出なかったが「いい曲ですね。なんでこれ、出なかったんでしょうね」と言ってくれる担当者もおり、この方法は間違っていないと確信した。
「リストラされた56歳のおじさん」だと受け入れた
「音楽業界に大したツテもない、一介のサラリーマンだった自分は“部外者”で、できることは限られているかもしれない。でも、これしかないと思ってやっていました。結局、ベタな行動が一番刺さるんですよね。いろいろな人を頼って、“本流(音楽業界)”にいる人に会うように努力しました。
60年近く生きてきて、もちろんそれまでの経験やプライドもあります。でも、この音楽事業という新しい仕事に関してはド素人。正直に『わかりません』『教えてください』と言って相手の懐に入るようにしました」
新聞社にいた頃はプライドもあってできなかったが、自分を俯瞰してみると、「単なるリストラされた56歳のおじさんなんですよね。その現実を受け止めて、進み続けるしかないんです」と花畑さんは言う。
「生誕80年プロジェクト」とは別に、1つの実を結んだのは23年の秋。パーティで知り合った音楽プロデューサーが、三木たかしさんの未発表曲に興味を持ってくれた。後日、例のごとくスピーカーで聞いてもらったところ、数日後に「今度の新曲にしたい」と言われたのだ。歌手は北原ミレイさん。
スタジオでのレコーディングに立ち会った花畑さんが、目の前の光景を眺めながら胸を震わせたのは言うまでもない。
伊勢神宮に神頼み
では、「生誕80年プロジェクト」はどのように進んでいったのか。
24年9月、花畑さんは大手レコード会社ユニバーサルミュージックの会議室にいた。CDBOX「三木たかしソングブック」の提案をしていたのだ。
“部外者”のやり方で、業界のさまざまな人を頼り、「わかりません」「教えてください」と正直に言い、協力してもらい、ようやくたどり着いた場所だった。
CDBOXがどうなるかわからないまま時間は過ぎ、25年2月を迎えた。花畑さんは実現を願い、伊勢神宮へお参りに行った。すると、信じられないことが起きた。
「スマホでメールを見たら、ユニバーサルミュージックの担当者から、『社内了承が下りました』と届いていたんです。苦しいときの神頼みと言いますが、伊勢神宮のご利益に感謝するしかありませんでした」
「三木たかしソングブック」は、25年6月25日に発売された。さまざまなメディアから取材を受け、その中には古巣の毎日新聞もあったという。
突然、「レコード大賞受賞」の知らせが!
そして最大のドラマは、同年11月20日の夜にやってくる。
自宅でビールを飲んでくつろぎながら、ネットフリックスを眺めていると、電話が鳴った。
ユニバーサルミュージックの担当者からで、「三木たかしソングブック」がレコード大賞の企画賞に選ばれたというのだ。花畑さんはまたしても、「神様って、いるんだ」としみじみ思ったという。
そして12月9日、TBSで授賞式が行われた。花畑さんの目の前には乃木坂46、隣にはM!LK。
ほかにもそうそうたるアーティストに囲まれた当時の様子を、花畑さんは「スーツ姿で、明らかに場違いなおじさんが1人だけ交じっていた」と苦笑いしながら振り返る。だがもちろん、喜びは大きかった。

三木さんの楽曲を管理するようになって5年半……ついに「レコード大賞」受賞という栄誉を手にした(写真:花畑さん提供)
「レコード大賞は僕が獲ったたわけではなくて、制作してくださった方々や協力してくださった方々みんなの成果だと思っています。三木さんの生誕80年に、結果を出せてよかった。今後、三木さんの楽曲管理の仕事をしていくうえでも、大きな名刺になりました。本当に三木さんに感謝しています」
レコード大賞受賞の余韻も落ち着いた、現在。花畑さんは変わらず、三木たかしさんの楽曲を世に届けるための仕事をしている。
「定年や引退はせず、ずっと仕事を続ける人生でありたい」と考えていた花畑さん。巡り合ったこの仕事は、天職だと感じている。きっと死ぬまでこの仕事をしていくと思う、と言い切る。
会社という看板がなくなっても、「何とかなる」
花畑さんと三木さんの間に、こんなエピソードもある。
楽曲の管理をするようになって3年半ほど経った頃、慣れない仕事に悩み抜いた末、わらをもつかむように「霊能者」に頼んで、三木さんの“霊”を降ろしてもらったのだ。
花畑さんの前に下りてきた三木さん(?)から、「ごめんね、僕は死んでいるから何もできなくて」と謝られたという。
ある日突然、三木たかしさんという大作曲家の曲を託され、直感で引き受けた。五里霧中の中でも立ち止まらず、泥臭く立ち回り続け、「生誕80年プロジェクト」を成功させた。何とも数奇な人生と言うほかない。
同時に、会社という看板や守ってくれる存在がなくなっても、「何とかなる」ことを見せてくれた。どん底にいても、這い上がれることを教えてくれた。
人生の哀愁や壮大さを音楽で表現した、三木たかしさん。もし存命だったら、この1人の男の生きざまをどんな曲にしただろうか。